生田南水(1860〜1934) |
国学者・俳人。大阪生。名は宜人、通称を福太郎、字は子達、別号を夜雨荘・呦々居・百済・鹿鳴草舎、得田南齢門等。天王寺上之宮の神官の家に生まれ、漢学を伊藤如石に、国学・和歌を岩崎長世・平尾寛正・渡忠秋に、篆刻を熊谷厳毅に学び、書画に秀でた。当時の大阪を代表する博学者。新聞雑誌への寄稿や『四天王寺と大阪』(明治43年)の出版、さらには芦辺踊や浪花踊(大阪の芸妓による歌舞)の作詞など。また多数の俳画を残した。生田花朝の父でもある。昭和9年(1934)歿、75才(Kotobank、大坂歴博)。 |
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