乾清花苑  太白廡  略伝引得

池内大學(1814〜1863)
 江戸後期の儒者。文化11年10月22日生。京都で医業をいとなみ、中川宮朝彦親王や公家の侍読となる。尊攘論を主張し、三条実万(さねつむ)と水戸藩とを仲介。将軍継嗣問題では一橋慶喜を支持する。安政の大獄で自首し、これを裏切りとみた尊攘派に文久3年1月23日暗殺された。50歳。名奉時。通称は別に退(泰)蔵。号は陶所。