細合半齋(1727〜1803) | ||
勢州白子江島の人。通称八朗左衛門、名離、字麗玉、學半齋は号、別号斗南、太乙真人、太乙居士、白雲山人。晩年名を方明と改める。大阪に住み、書は松花堂を能くし、詩は混沌社に入り名流と唱和する。徂徠の学を奉じてのち一家言をなす。もっぱら清人の考證学を唱えて名を挙げる。享和3年11月4日没、年77、著「周易説統」「書説統」「詩説統」「論語啓發」「孝經闡旨」「三經二義」ほか(三重縣人傳)。 書肆としても活動(江嶋庄六・細合八郎衛門)、篆刻も嗜み『半斎百信』(安永8刊、息長庵編)がある。 |
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