乾清花苑  太白廡  略伝引得

平野肱江(1813〜1884)
 文化10年名古屋巾下四間道生。名貞章、別号竹仏。父は木綿問屋。はじめ画を山本梅逸に学んで山水花鳥を写し、のち墨竹をもっぱらとした。また僧風外に参禅して画竹の気ようやくあがり、金銭を投じて名利を求めたが、技は進まなかった。のち家運衰え藪描きと酷評されたが、画竹は整然として法にかない、世評を超えて自適の生活を送った。明治17年没、享年七二歳。名古屋小船町にて亡くなる(忘れられた江戸人物誌)。


竹天下至
清之牧也

平野章

肱江
墨竹