乾清花苑  太白廡  略伝引得

服部竹塢(1790〜1856)
 江戸後期の儒者。寛政2年生。伊賀の人。本姓は藤田。服部道白の養子となる。服部氏は代々處士で書及び散楽を人に授く。竹塢18歳で上京、楽をまなぶ傍ら、猪飼敬所、頼山陽に師事。文政のはじめ伊勢津藩につかえ、伊賀上野の藩校崇広堂でおしえた。安政3年3月18日死去。67歳。名耕。通称は文稼。著作に「竹塢随筆」「晩香筆記」。旧蔵書は上野白鳳図書館(伊賀白鳳高校?)に収む(Wiki、三重先賢傳)