乾清花苑  太白廡  略伝引得

度会氏橋村家
度会神主の分脈。外宮御師。
橋村並子(1816-1884)
 文化13年生。橋村主膳正立の妻。名は萬須。画を好み、京都の谷口靄山に学んで南画をよくした。また、足代弘訓に歌を学び、和歌が巧みだった。明治17年、69歳で死去した。
橋村香圃(1831〜1875)
 天保2年山田上中の郷町生まれ。名は正克、字は禮卿、幼名は壽丸、通称は宰記肥前大夫。橋本並子の子。幼いころから画を好み、母と同じく京都の谷口靄山に学んで南画をよくし、足代弘訓に歌を学んだ。茶は小川流を修めた。また、著名な文人と交遊し、特に貫名海屋とは常に交流していた。明治8年、45歳で死去した。





? 中京人書畫冊 1872