乾清花苑  太白廡  略伝引得

橋本喜作(1873〜1939)
 会社役員。岡山県生。号に苔石・十王がある。画の他に写真・和歌を能くし、多種多芸である。雲煙会幹部。
 大阪府士族橋本繁治の長男。明治6年2月、岡山県生れ。大正8年家督を相續。夙に京キ同志社を卒業し、大阪府立商品陳列所に入り工業試驗部長となる。後原敬に擢でられて大阪每日新聞社に入り、「奇策」というペンネームで相場の神髄をついた記事を書く。自ら清國に渡航して同地の棉業を視察し、歸朝後清國の棉業を著はす。明治40年野村コ七と交を結び、同氏經營の株式業務銀行業務證券業務等を補佐擔任。大正4年米國に遊び、專ら同地の經濟事情就中信託事業に就き調査硏究を遂げ、歸朝後自ら其社長たる野村商店の經營に任ず、昭和元年病を以て同店を辭し前記ゥ會社の重役となる。
 著に「楓之家主人偲ふ草」「震災遭難記」(『人事興信録』ほか)

   





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