乾清花苑  太白廡  略伝引得

原田圭岳(1803〜1885)
 享和3年、三河国西尾生、長じて京都で四条派の岡本豊彦 に学び、天保7・8年頃から江戸で画家として活躍。その後安政2年圭岳54歳のときから吉田(豊橋市)に永住し、吉田の画家として活躍し、明治18年84歳で没した(豊橋市文化財『老松図』)、kotobankに鈴木南嶺にまなぶとある。