乾清花苑  太白廡   略伝引得

月僊(1741〜1809)

 寛保元年名古屋の出身、7歳で仏門に入る。その頃から絵を好み、江戸では桜井雪館に、京都では円山応挙に指導を受けたと伝えられてる。安永3年、34歳の時に伊勢・寂照寺の住職として知恩院から派遣され、自らの画料を資金源として、衰えていた寂照寺再興に着手するとともに、窮民救済に乗り出した。
 月僊は大量の作品を描いて伽藍整備を果たしただけではなく、合わせて2千両にのぼる大金を山田奉行に寄託して、社会福祉活動に大きな貢献をした。