乾清花苑  太白廡  略伝引得

江上家

江上瓊山→江上瓊岳→江上敏勝→藤田瓊泉(麗子)
藤田瓊泉の略歴http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpdkx103/page033.html

江上瓊山(1862〜1924)

 文久二年長崎市東上町唐津屋敷生。名景逸、字希古甫、瓊山は号。守山湘(馬+風)に南画を、岡田篁所に書を学ぶ。長崎を訪問の露皇太子の前で彩筆を揮う。
 警察の辞令書き、長崎市立商業学校習字教師を経て、明治40年(1907)大森長崎県知事の京都府知事就任に伴い京都に移住。その際、大森知事より明治皇后へ、瓊山の画が献上されたという。
 京都で活動。元・明諸家を臨模してその技を極めた。大正13年に62歳で没す。


景逸之印

癸隱


 
天然爛漫是我師
「霜柯筠石略擬」圖 萱草花題七絶(旧蔵) 歳寒二雅 1909
江上瓊岳(1895〜1977
 
明治28年長崎に生まれる。瓊山の子。名は景敏、瓊岳と号す。瓊山と京都に移住。京都絵画専門学校卒。富岡鉄斎・山元春挙らの指導を受ける。後に熊本八代へ移住。台湾等でも活動。戦後は、八代を拠点に活動。愛弟子には平井桂仙ら。日本南画院評議員。日本南画院展・全日本水墨画展・創造美術展などに出展多数。昭和52年に82歳で没す。
藤田瓊泉(1959〜)

 昭和34年3月19日、八代市妙見町に江上敏勝・節子の長女として生まれる。曽祖父は江上瓊山・祖父は江上瓊岳。名は麗子、三代展を機に瓊泉と号す。京都府宇治市在住。八代にて祖父瓊岳の門下であった平井桂仙から水墨画の手ほどきを受ける。婚姻により大阪府交野市に転居、清水要樹塾に入門。静思会塾頭である田中伸明に師事し、春秋画壇等で活動。