乾清花苑
太白廡
略伝引得
東東洋(1755〜1839)
江戸中・後期の画家。宝暦5年生。京都で狩野梅笑に狩野派をまなび、のち四条派の松村月渓の門にはいる。法眼にすすみ、晩年は帰郷して陸奥仙台藩の絵師となった。天保10年11月23日死去。85歳。陸奥栗原郡(宮城県)出身。名は洋。字大洋。通称は俊太郎、儀蔵。別号に玉峨、白鹿園。 仙台四代画家の一人(小池曲江、菅井梅関、菊田伊洲)
秋鹿圖