乾清花苑  太白廡  略伝引得

秋山白巌(1864〜1954)
 元治元年2月20日生。日本の書家。諱純、通称隆道、白巌は号で、別号を碧城・探淵という。田安徳川家の家臣秋山義隆の次男として江戸青山に生まれる。書は初め巻鴎洲に学び、後、巻菱湖の内弟子となった。明治19年に渡清して徐三庚の門に学び、明治24年に一旦帰国し、中村蘭台や西川春洞に大きな影響を与えた。帰国後、東京市京橋区に「弘書学院」を創立し書道の通信教育をはじめ、日本各地や台湾で書塾を開き、書道の普及に努めた。 昭和29年2月23日没(wiki)。