乾清花苑  太白廡  略伝引得

赤崎海門(1739〜1802)
 江戸中・後期の儒者。元文4年、鹿児島生。山田月洲、藪孤山にまなび、薩摩鹿児島藩校造士館教授、側役格となる。のち昌平黌で経学を講じた。頼春水・山陽親子や柴野栗山らと交友があった。享和2年8月29日死去。64歳。名は貞幹。字彦礼。通称源助。別号に尚友軒。著に「琉客談記」「村雨夕」など。生没異説1742〜1805
「放心を」歌