乾清花苑  太白廡  略伝引得

赤松
与謝野禮巖━━━┳鉄幹
            ┗照幢
               ┝━━━┳智城
〇赤松連城━━━━安子     ┣克磨
                     ┗常子
赤松連城(1841〜1919)
 明治・大正の僧。天保12年1月17日生。赤松智城・克麿・常子の祖父。浄土真宗本願寺派。周防徳応寺住職。島地黙雷らと教団の改革をはかり、明治5年仏教者としてはじめてイギリスに留学。帰国後、宗門の教育機構をととのえ、仏教大(現竜谷大)綜理、勧学などを歴任した。大正8年7月20日死去。79歳。加賀出身。旧姓は中。幼名は宇三郎。号は榕隠(ようおん)。著作に「真宗本義」(英文)、「仏教史」など。