乾清花苑  太白廡  略伝引得

足代弘訓(1785〜1856)
 江戸後期の国学者、神職。天明4年11月26日生まれ。伊勢神社外宮の権禰宜。荒木田久老、本居春庭・大平らにまなぶ。律令、有職(ゆうそく)故実にも通じ、古典の考証にすぐれた。天保(てんぽう)の飢饉(ききん)には私財を投じて救民につとめ、大塩平八郎とも親交があった。安政3年11月5日死去。73歳。通称は権太夫。号は寛居(ゆたい)。編著に「日本紀人名部類」、著作に「本職平職考」など多数。