房総浮世絵美術館   長柄町 長南の笠森観音の近くにこじんまりとした浮世絵の美術館があります。初めての訪問でしたが浮世絵に人生をかけている津島館長の熱心な説明に感動しました。風景画の世界チャンピオンは「北斎の波」だという事初めて知りました。感動の一つでも皆さんに届けられたらと思いレポートを作りました。3年5月25日(日)
館長の津島寿夫さん。JALに勤務していた頃海外に行くチャンスが多く海外に流失していた浮世絵に遭遇した。これを30年かけて収集しここで展示している。
浮世絵の値段:大判錦絵が16文、そば1杯分の値段であったが今人気の1作を得ようとしたら家1軒分が必要。
海外流失:陶器を梱包する時にこの絵が摺ってある紙を使った。これを見た西洋の画家があまりにもすばらしいデッサン力にど肝をつぶした。それ以降浮世絵を取り寄せて研究した。
西洋画に与えたインパクト:巨匠セザンヌをはじめゴッホ、マネ、モネなどの秀作は浮世絵の影響なしでは生まれなかった。特に絵に感動など心の動きを投入すること、想像力を働かせることなど浮世絵から汲み取った。
1999年ライフ紙のアンケート「この千年間で人類に最も偉大な影響を与えた世界の100人」でただ1人選ばれた日本人は「葛飾北斎」だった。画家ではダ.ヴィンチ、ラファエロ、ピカソなどと並んで北斎がいる。作品では人物画は「モナリザ」、風景画は葛飾北斎の「波と富士」が国際的に世界のトップと認められている。北斎はあらゆるジャルンの絵(役者絵、美人画、春画、奇想画、風景画等々)を描いて成功していった。北斎漫画は世界中の画家に影響を与えた。金銭に執着せず、絵を描くことにつかれ続けた人だった。富嶽三十六景は71才の時の作品である。90歳まで長生きして執念を持って描き続けたことが誰にも真似のできない境地を開き作品を残した理由である。
神奈川沖浪裏  :実際は九十九里浜沖か?
富士は想像したもの。
この絵が風景画の世界チャンピオン。この点日本では評価されてないが世界の絵画のランクではこれを抜く風景画は無い。そして巨匠達「波の絵」は絶対描かないという。躍動する波、超然と存在する富士、船が3艘波を乗り切るため団結して操作している姿。銚子から江戸にサンマを運ぶ輸送船団だという。先頭はやや安定を欠いている「小泉丸」、最後に追っているのが中国丸か?館長は「人類愛」を描いているというが私にはまだ理解できない。
凱風快晴(がいふう) 
赤富士として有名である。富嶽三十六景の一つ。場所、季節、気象条件により表情を変えていく富士の姿を想像力を加えて実際には46図を発表した。天保2年から出版した。当時富士山信仰がブームだったので江戸町民を喜ばせた。絵の構成は○、△、□で表すのがベストと主張したのが北斎。富士の赤い部分も円弧で表現されている。これら作品は70歳を超えてからのもの。

歌川広重:東海道五十三次
「蒲原」夜の雪

歌川広重:東海道五十三次
「庄野」白雨

葛飾北斎:富嶽三十六景
山下白雨

葛飾北斎:芥子(けし)
肉筆画で「風にそよぐ花」季節、気温、風速全て分かるという。2m位の風とか・・・

葛飾北斎:富嶽三十六景
甲州石班沢(かじかさわ) 
神奈川沖浪裏の図と似た構図。

葛飾北斎:富嶽三十六景
尾州不二見原
大きな桶(大丸)と遠くに見える富士の姿(小三角)を組合せた構図。

(山口萩美術館)

たかはしのふじ
左の絵が描かれた頃オランダから大量の洋書とそこに載っている銅版画が流入していた。医学書が入った時代である。北斎はこれから精密な線や写実的描写を学んだ。そして具体的に遠近法や影の立体表現を取り込んだ。左絵は橋脚の陰が両側に付いていて初歩的な間違い。サインもひらがなをオランダ文字に似せて右上に表現した。若い北斎の負けん気と向学心、探究心と外国人へのサービス精神が洋風スタイルの絵を生み出し、更には浮世絵の広がりを大きくすることに役立った。ライバルの広重も登場してきて浮世絵が最高点に達した。
深川万年橋下
左絵の試作を経てできたのがこの図である。

歌川広重:名所江戸百景
大はしあたけの夕立

葛飾北斎:二美人図

(静岡MOA美術館)

葛飾北斎:寺院の天井画
 「鳳凰図」
東州斎写楽:
市川蝦蔵の竹村定之進
浮世絵というと美人画と役者絵であった。北斎と広重が登場して風景画の世界が出現した。北斎はそのピークに立った。
信州小布施町の岩松院の天井画
89歳の作品である。本堂の天井に21畳大の極彩色の絵は今も退色することなく迫力をもって迫ってくる。