雪
 小夜は窓を見た。真っ暗な冬の景色の中を轟音を響かせて列車がひた走っていく。外では、
暗闇を照らす列車からの光の中で粉雪が煌めきながら、降っていた。

「何とか、列車に乗れてよかったですね。」
「うん・・。」
「予定から大幅に遅れてしまいましたが、明け方には、無事エカテリンブルグに着くでしょう。」
ハジは、コンパートメントの中で小夜のベッドを整えながら言った。
「いいよ、ハジ。私がするから。それに眠くないし・・。」
「いいえ、小夜は疲れているでしょうから。」
「それは、ハジも同じでしょ。」
ハジは、聞こえていないのか、手を止めない。白いシーツを掛け、さらに毛布を出すとベッドの上に
広げた。
「じゃあ・・、私がハジのベッド用意してあげるね。」
「必要ありません。あと数時間でエカテリンブルグです。それに私は眠れないんです。・・小夜は、
このことは知りませんでしたよね。」
知っているけど・・。だが、小夜は、あえて声には出して言わなかった。思い出せた事と
まだ、思い出せない事と・・・。いろいろあって、少し混乱が残っていた。
「あの、リクは・・・?」
「リクのことはリーザが見てくれています。彼は、かなり寒かったせいか、体調が優れないようで、
もう休んでいます。リーザも寒さとアクシデントで疲れたみたいですね。貴方がシャワー
ルームを使っている間に、隣のコンパートメントは、とっくに消灯です。」
「私、リーザさんとリクにおやすみなさいを言い損ねちゃった・・。」
「早朝には、エカテリンブルグへ到着します。遅いですから、小夜も休んでください。」
「うん・・・。でも、少し頭の中を整理したいの・・。あのね、さっきも話したけど、グレゴリー・エフィモ
ヴィッチを二人で追跡していたときのことを思い出したの。それで昔の出来事と、今の出来事が
一緒になってしまって訳がわかんなくなっているし・・。だから、ハジにも教えて欲しいの。」
「小夜。」
「・・何?」
「短時間ですが、取りあえず休んでください。」
ハジが小夜を促してベッドに横たわらせる。そして、毛布を掛けた。
「なんか、気持ちが落ち着かなくて眠れないよ・・。」
「・・私には、貴方がとても眠そうに見えますよ。」
ハジが屈んで小夜の顔を覗き込んだ。

 一瞬、小夜の記憶の中のハジの姿が重なる。

雪の中でハジは、否応なく深い眠りに落ちていく私を抱きかかえ、今のように覗き込んでいた。
ハジの黒い髪、碧い瞳。そして、空から白い雪が、花びらのように静かに舞っていて・・。

---今度目覚めるときは、もう会うことはないかもしれない。

そう思いながら、意識が薄らいでいくのを感じていた。耳元で最後まで聞こえていたハジの囁き声。

 小夜は、思わず手を伸ばしハジの頬の触れる。その動作に、ハジが黙り込んだ。
「何故か、どうしてもこうしたくなったの。ごめんなさい。いやだよね。、顔を触られるのは・・・。」
「・・・いいえ。」
「ハジが温かい・・。この手を離したくないの。離してしまったら、また、離ればなれになってしまう
ような気がして・・・。」

あのときも、眠りに落ちるその瞬間まで、この温かい肌に触れていたはず。

「---小夜。目が覚めれば、エカテリンブルグです。」
「ハジ・・・。」
ハジは、小夜の手をそっと取るとその手を毛布の中へ入れた。そして、肩の上まで毛布を引き
上げてやる。小夜はコンパートメントの天井を見上げた。列車の振動が心地よい。
「ねえ・・ハジ。眠れそうもないから、昔みたいにチェロを弾いてくれるかな・・・。」
「構いませんよ。お望みのままに・・・。」
ハジは、チェロケースを取り出すと、座席の上で開ける。その中から、見覚えのある焦げ
茶色の弦楽器を取り出した。
「ねえ、ハジ。ロシアは広かったよね。」
ハジが手を止めた。
「冬は寒くって、そのくせ途方もなく広くって、でも森も湖もみんな澄み切って綺麗だった・・・。」
「・・・そうでしたね。」
「春の待ち遠しくなるところだったよね。」
向かいの席に腰掛けたハジは返事をせず、用意したチェロの弦と弓を確かめていた。そして
また、手を止める。
「・・・寒くありませんか?」
「ううん。大丈夫。この部屋は暖かいから。」
懐かしい旋律が部屋に流れる。
その音色は、とても懐かしくて、でも哀しくて・・・どこか限りなく遠いところから聞こえてくる。
「あのね、ハジ。」
小夜の言葉に、美しいパッセージが止んだ。
「・・私のこと、眠っている間、待っていてくれていたんでしょ。」
ハジは答えない。
「もしかしたら、ハジにはもう会うことはないかもしれないって思っていたの。・・でも、やっぱり
私のこと、待っていてくれたんだね・・・。本当に・・ありがとう。」
小夜は微かな声で、それだけを言い終わると、安堵したのか眠りに落ちていた。小さな部屋に
少女の穏やかな寝息が満ちていく。
 ハジは、いつものように何も言うことはなかった。



 そして、ハジは、車窓から外の様子を見る。もう雪は止んでいた。目をこらし遠くまで見渡すと、
漆黒の闇の中で、ただ広く果てしなく白い大地が続いている。この土地は、遙か彼方のペテロ
グラードまで続いているのだろう。
 向かい合った場所に、小夜が安らかな表情で寝息を立て、幼い子どものように眠っているのを
見つめる。

 考えてもみれば、再び、小夜が自分のところに戻ってきたのだ。それだけでよかった。小夜の
記憶など戻らなくともよい。そんなものなど、自分には、必要ない。

ハジは、昂ぶる気持ちを抑えながら、気がつけば再会できたその少女に語りかけていた。

「お休みなさい、小夜。」


昔、北の都のペテログラードで幾たびも、そしてこの雪深い土地で最後に交わした言葉だった。
この私たちを、凍てつく大地は、また温かく懐深く、迎えて入れてくれることだろう。


永く深い眠りが、再び二人の時間を分かつまで。




閲覧をありがとうございました。第17話の後で第18話の前に来るお話のつもりです。
読んでいただきまして、嬉しいです。
パソコンがいつ壊れるかわからない状態なので
手早くUPしました。
また、最初のUP時から時間などの設定を変えてあります・・・。
実は、調べてみたらポクルフスコエ村に近いチュメニ駅を25列車「シベリヤク」が通る時間帯と
ずれているようでしたので・・。(18話を観た感じでもこの列車かな・・と思います。でも、チュメニを
かなり夜遅く通るんですが・・・テレビでは、リク君も含めて4人でお茶していました・・ほんとに大丈夫かな・・。)
私は、赤い盾一行が利用したのは1列車「ロシア」だと思っています。
(ちなみに参考にしたのは、ほとんど英語とロシア語の時刻表でした・・。ついでに、現地時間とモスクワ時間の
両方が書いてありほんと、わけわかんなかったです・・。さらに駅名がエカテリンブルグという表記でなかったし・・。
なので、いろいろと間違っていたら、すみません・・・見逃してください)





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