Memories
暗い空だった。
春遠からぬはずの鈍色の空からは、白い牡丹雪が降っている。
目の前には、金髪の背の高い青年の広い背中が見えていた。いつもは闊達で雄弁な筈の青年の足取りは、心なしか重い。
雪の中で二人は、終始、無言だった。
足元には、湿った雪がうっすらと積もっている。青年が歩いた後には、滲んだような足跡が刻印の様に刻まれていく。年も開け、暦は春に近づいているというのにというのに、虎徹は身を切る寒さに体が凍えた。
シュテルンビルドの外れにある静かな墓地だった。
「―虎徹さん。」
突然、目の前の青年の足が止まる。
「‥あそこです。」
ずらりと並んでいる石の墓標の一つを指差した。
「‥僕の両親の墓です。」
それは質素で飾り気のない墓だった。ロボット先進工学の研究で名を知られ、学会まで設立した裕福な上流階級出身の両親の墓がこんな慎ましやかなものだったとは。
「‥僕の両親は、立派なお墓を望む様な人達ではありませんでした。」
虎徹の心をも見透かしたかのように、バーナビーが言葉を継ぐ。
「弱い人を助ける人間に優しいアンドロイドの開発を目指していました。」
青年は、その墓碑まで雪を踏んで歩み寄り、皮手袋を外して雪の掛かっている墓標の前で屈みこんだ。素手で墓碑の雪を取りのけていく。柔らかい、けれど氷のような名残り雪。雪を掻き分けていた青年の手が止まった。そして、視線を上げる。
「‥久しぶりだね、父さん、母さん、今日は僕とヒーローコンビを組んでいる虎徹さんも一緒に来てくれたんだ。僕たち、ヒーローコンビを再開したんだよ。」
人気のない墓地で、バーナビーが顔を上げて返事を返すことのない亡き両親へ語りかける。
その様子に虎徹は青年の背後からそっと、薄桃色の小さな花束を差し出した。
「‥ありがとうございます、虎徹さん。それにしても随分可愛い花束ですね。」
「‥いや、楓が見繕ってくれてね。」
「あの楓ちゃんが‥。お嬢さんは僕の両親の事件の事を詳しく知っているんですね。」
「‥ああ、テレビでも報道されたし、俺の方からも話したからな。」
「‥気を使っていただいてすみません。」
そう静かに言うと青年は、愛らしい小さな花束を受け取り、自分の持ってきた白い水仙の花束と共に墓碑の上へ置いた。
「‥実は楓も誘おうかと思ったんだけどよ、バニーの気持ちの負担になったらと思ってやめておいた。」
「‥そんな大丈夫ですよ、それより、こんなところに楓ちゃんを連れてくるのは申し訳ないですから。墓地なんか子供の来るところじゃありませんし。」
‥そんなことはない。楓はそんな幼いことをいうことはないと思う。いつも明るく元気な娘だが、まだ幼い頃、母親を病で失った事に耐えた娘だった。幼い子供が親を失う辛さを身を持って体験している。寧ろ、自分より、両親を目の前で失ったバーナビーに寄り添うのに向いているに違いなかった。
「‥虎徹さん、今日はありがとうございます。もし、よろしければ、是非、僕と一緒に、天国にいる両親のために祈っていただけませんか。」
青年が湖のような翡翠色を湛える瞳で、穏やかに微笑んだ。
****
ベッドには、プラチナブロンドの青年が眠っていた。
シャワーを浴びて、直ぐにベッドに倒れ込んだせいで、髪は湿ったままだった。濡れた金髪は、湿り気の所為で灰色を帯び、いつもの外に跳ねている癖毛に癖は無く、頬や額に張り付いたように流れ落ちている。
時折、現れる癇癪の様な発作を起こした後だった。
両親を亡くし、他人の中で育ち、周りに気を使って成長したらしいバーナビーは、元々早熟な秀才ではあったようだが、周りに我儘を言ったりして甘えたことがなかったらしかった。彼を知っている人に聞くところによると、まるで大人の様な子供だったという。冷静で感情を律し聡明な優等生だったらしい。‥バニーには悪いが、俺には信じられないな、と虎徹は思った。
初めて出会ったとき、そして、コンビを組んだ時も、遠慮のない不躾な感情をぶつけてきたと思う。
自尊心がきわめて強く、人を見下したところがあり、その癖、感情的だ。ちょっとしたことで不機嫌になって拗ねる。
‥謙虚で優秀な秀才。
一体、誰の事だよ、と思った。でも、聞く人聞く人、皆が口を揃えてそういうのだ。若いのによく出来た好青年だと。
‥奴には外面を保つのに才があったらしい。聞いた時には、呆れてものも言えなかった。
今回の切っ掛けは些細な行き違いだった。コンビを組んでいる以上、ちょっとした考えの違いや介入のタイミングの違いで大きな事故や怪我が起きてしまう。
若く経験が少なく、そして将来ある青年に危険な先行をさせたくなかった。だから、自分が出た。囮に近いと言えばそうかもしれない。バーナビーは自分がやるといったのに、おじさんは勝手だ。囮をやって大莫迦だと激しく抗議してきた。初めは冷静に理詰めで来たのだが、適当にあしらっていたら、だんだん感情的になっていき、発作に近い怒りへ変化した。後は理論も何もあったもので無い。次回からは、素早く動ける自分にさせろと一方的な要求する。表現し難いらしい激しい憤り。
激しい感情の表出の後、突然気を失う様に倒れたのだった。
マーべリックの事件直後も、そのような感情発作が起き、アポロンメディアからの紹介で医者の診察を受けることになったという。そして一種の適応障害の様なものだと診断された。幼い頃の両親の事件が根幹にあるが、両親の犯人探しの為に、自分の欲求や願望を抑え込んで生きてきたことと、マーベリックに利用されていたことが大きな原因になっているのだろうと言われた。以前から、そういう兆候はありませんでしたか、と聞かれたらしいが、確かに思い当たる節のようなものはあったような。
医者は本格的なカウンセリングを勧めたのだが、信頼してきたマーベリックに精神的に支配された経験を持つバーナビーは首を縦に振らず、本人の意思に従って、様子を見ることになったらしい。
青年の瞳は閉じられたままだった。長い金色の睫毛。時折、震えるように揺れる。首筋に纏わりついている淡い金色の髪。白いタオル地のバスローブの合わせ目から浮き出た鎖骨が覗いている。鎖骨のくぼみにはベッドサイドのライトで出来る陰が落ちていた。
―激しい剥き出しの感情―
そこには怒りも含まれているが、悲しみも含まれている。そこが問題なんだろうな、と虎徹は思う。娘の楓も母親の死後、祖母の所で暮らすようになり生活が漸く落ち着いた頃、情緒がかなり不安定になり皆で心配した。母親を亡くしたのと、父親と別れて暮らさなくてはならなくなったことが原因だったらしい。今は元気に暮らしているが、子供というものはそういうものだ。では、バーナビーは?何も問題も起こしたことがないというバーナビーは‥?
終わりそうになくなった口論に、シャワーを浴びてとっとと寝ろ!を怒鳴りつけたら、本当にシャワーを浴びに行った。夢遊病のようなふらついた足取りでバスルームから出てくると、勝手に虎徹の寝室へ行き、気を失う如くベッドへ倒れ込んだのだった。今は寝息を立てて眠ってしまっている。相当、消耗したのだろうか。確かに酷い言い合いはしたと思うが。
‥ベッドを占領されては仕方ない、今夜はリビングで寝るか。‥ていうか、コイツ、勝手に泊まっていくつもりかよ。
虎徹はバーナビーにブランケットを掛け、ベッドから立ち去ろうと立ち上がる。
その時、突然、バーナビーの手首の辺りから、アポロンメディアのヒーローコールが響き渡った。
コール音に美しいギリシャ彫刻さながらの青年が碧い瞳を開く。そして、素早く手首を目の前に持ってくるとPDAを確認した。呼び出しのサインが点滅している。
「‥事件ですね。」
躊躇なく、バーナビーは、さっと上半身を起こす。
「すぐ着替えますから、少し待っていてください。虎徹さんも準備を。」
さっき見せた激情とは打って変わった冷静な声と態度。
白いバスローブの前を掻き合わせて、バーナビーがベッドから立ち上がった。
「‥バニーおまえさ、もしかしてシャワー浴びる時も、寝る時もバンドをしてんのかよ。」
「‥は?当たり前だと思いますけど。防水になってますし。」
「‥かーっ、ほんと、真面目な奴だな。」
ベッドの傍らに立っていた虎徹は頭を掻きむしった。
「‥そういえば、虎徹さんはPDAをしていませんね。」
コールを切ったバーナビーのPDAからは音は聞こえない。だが、部屋の中では、まだ、コールが響き渡っていた。
「‥貴方のPDAは何処です?」
「‥いや‥何処って言われても。鳴ってるみたいだから、そこらへんにあるじゃねぇか?」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
「ここらあたりにありそうな気が‥。」
虎徹は音の源を探し、這いつくばってベッドの下をのぞいていた。‥その姿にバーナビーは呆れ果てるしかない。
「‥それよりボクは着替えを‥。」
ベッドの傍らの小椅子に掛けておいた服を、青年が手に取る。
「虎徹さん、とにかく早くヒーローコールの音を止めて下さい。煩いです。」
「‥わかってるって‥おっ、こんなところに落ちてるぜ。」
そういってベッドの下から拾ったPDAの液晶に指先で触れコール音を消す。
そして、得意げにPDAを手にした虎徹が、バーナビーを振り返った。
「止めたぞ。」
だが、視線を向けた先には、バスローブを脱ぎ落とした全裸の青年が立っていたのだった。
あまりにも唐突な展開に虎徹は目を瞠る。
淡い金色の髪に青い瞳。白皙の肌と筋肉質の鍛えられた身体。均整のとれた肉体だった。いきなり目のやり場に困る状況を作ってくれている。
そんな状況にも気が付かないのか、バーナビーは大急ぎで下着を身に着けていた。
「虎徹さん、何をぼけっとしているんですか?虎徹さんも早く準備を。」
「‥おっ、お前、人前でいきなり素っ裸かよ。」
トレーニングルームのシャワー室やサウナで一緒になったことはあるが、バーナビーは必ずタオルやバスローブを身に着けており、全裸を見たことはない。男性用ロッカールームなら、少しも気にしないで歩き回っているアントニオとは大違いだった筈。
「すみません‥でも、急いでいたので。」
「バスルームとかで着替えろよ。」
「濡れたバスルームで、なんて嫌ですよ。服が濡れますから。」
「じゃあ、リビングとか。」
「‥普通、リビングでは着替えはしませんよ。常識的には私室か寝室だと思います。」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
「もう細かいことなんか、どうでもいいでしょう!珍しいですね、細かいこと気にしない虎徹さんが。」
「‥ていうか、バニーは人前で着替えなんかしねぇタイプだろう?」
「‥そうですけど、今回は無頓着な虎徹さんの前ということで、この非常識を見逃して下さい。」
更にTシャツをに頭を潜らせて、大慌てでジーンズを身に着けている。
「虎徹さん、僕の着替えなんか見ていないで、自分の身支度を急いで下さい。」
虎徹がじっとバーナビーに見入っていたことに気が付いたらしい。
「‥そ、そうだな。」
慌てて、虎徹はクローゼットへ闊歩した。
「先にアパートメントの外玄関で待っています。ダブルチェイサーを準備しておきますね。」
玄関ドアが閉まり、駆け足で階段を下りていくブーツの足音が響いていた。
虎徹は気を取り直す。
バーナビーは自分に、すっかり心を許すようになったのだ。自分の前では隙のない鉄壁のヒーローアイドルではない。ごく普通の若者だった。虎徹は急いでクローゼットの中から服を取り出し、身支度を始める。
外ではダブルチャイサーのエンジン音が始まっていた。
あとがき
一応、最終回後の二人のつもりです。
虎徹がヒーロー復帰にした後ということで。
こんな感じで書いちゃっていいんでしょうかね?
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