鴆誕企画
トコトコと軽い足音が玄関から近づいて来ていた。愛らしく幼い足取り。その心地良い音を聞きながら、鴆は書物から目を上げる。
「鴆くーん!こんにちはー!」
声と同時に、部屋の廊下側の障子が乱暴に開かれた。
「いっしょに、あーそーぼ!」
開け放たれた入口には、にこにこと微笑んでいる幼い次期三代目が一人立っていた。
「―おい、今日は、リクオ一人だけか。」
幼子は首を振る。
「鴉天狗が付いてきたんだけど、薬鴆堂では静かにしろとか、きちんと挨拶をするように、とか煩いから、庭の百日紅に縛り付けて来たよ。」
「‥‥‥‥。」
耳を澄ますと、庭の方から、鴉天狗様、御怪我はありませんか、と懸命に問いかけている父の声が聞こえてくる。
「‥お前なあ‥。」
次期三代目は、手の付けられないやんちゃ坊主。元気すぎるいたずら小僧。確かに、そういう噂は聞いていた。
「だって、早く鴆くんに会いたかったんだもの。鴉天狗ったら、きちんと草履を揃えろ、とか、静かに歩け、とか、ほんと煩いの。」
本家で同じ年頃の妖怪がいないリクオにとって、年上とは言え、年齢の近い鴆は非常に大切な遊び相手であるらしかった。
「それにね、今日はね、『ぷれぜんと』があるんだよ!」
「‥『ぷれぜんと』?何だ、それ?」
「贈り物だよ。誕生日の。」
「誕生日?」
「今日は鴆くんの誕生日だって聞いたよ!」
「ああ‥オレの生まれた日ってことか。」
鴆一族の歳の表し方は、数えだ。年が明ければ、皆、平等に一つ歳をとる。それ以前に、春に繁殖を迎える鳥の化生でもある妖鳥一族は、殆どの者が誕生日が近寄っており、生まれ日は特に意味を持たない。
「人間はね!誕生日には、プレゼントをするんだよ!」
幼子が胸を張って見せる。
‥人の習慣か。鴆は合点がいく。母親が人であるリクオには、妖怪の習わしと人間の習わしの両方が行われていた。
「はい、これ、プレゼント!」
幼子は、いびつな紙の包みを、鴆に差し出した。見れば、表面がつるつるの綺麗な包装紙は、でたらめに折られており、その包装の外側には、よれた細い緑色の帯が結ばれている。何度も包み紙を折り直し、何度も紐も結び直したのだろう。
「‥ありがとうな。」
鴆は、しわくちゃの紙包みを受け取った。
「じゃあ、開けて!すぐに開けて!」
受け取った途端、目の前でリクオがにこにこと笑っていた。促された鴆は、芸術的にすら感じられるほど捻じれている緑色の帯紐を解き、折り皺だらけの紙包みを開いた。
「‥‥‥‥。」
「ね!凄いでしょ。」
紙包の真ん中には、透明な袋が二つ入っており、その一つの中には、植物の種子や穀類が入っている。
「‥何だ?これ?」
「鳩の餌!ペットショップで買ってきたんだ!」
「‥‥‥‥。」
「だって、鴆くんは鳥の妖怪だって聞いたから!」
「‥あと、これは?」
もう一つのビニール袋に入っている魚を指差す。
「台所の冷蔵庫にあった鰯。水鳥は水の中の生き物を、そのまま食べるって読んだから。」
「‥‥‥‥。」
「ボクね、図書館へお父さんに連れて行ってもらって、調べたんだよ!いっぱい、図鑑を読んだの!」
「‥‥‥‥。」
「それとね。」
何かを思いついたように廊下へ出たかと思うと、再び大きな風呂敷包みを引きずりながら部屋へ戻ってくる。
「‥おい!何だ、それは!」
「お父さんに頼んで隣町の農家から貰ってきたんだ!」
得意満面リクオが、まるで蒲団一式が入っているのかと思われる程の大風呂敷を結び目を解いた。広げられた風呂敷には、なんと絡み合った藁が、一塊、びっしり詰まっている。
「藁だよ!牛さんのおうちに使っているのを分けて貰ったの!」
息子のおねだりとはいえ、二代目は隣町の農家から、わざわざ藁屑を貰い受けて来たのか。掴みどころのない遊び人風情の二代目のやることは、やっぱり分らない。
リクオは、藁の塊を満足そうに眺める。と、同時に大きな風呂敷の上の盛り上がったその藁山の中へ、勢いよく飛び込んだ。そして小さな身体をぐるぐる回しながら、真ん中に小さな窪みを作っている。
「‥リクオ、お前、何をやっているんだ?」
「巣を作っているんだよ。巣!鳥は巣を作るんだ。本家の庭の木にも鵯が巣を作っていたよ。それを見て、お父さんに巣の材料を下さい、って頼んだの。」
長い間、子がなく、漸くリクオを授かったという鯉伴は、息子に甘いのだろう。
「‥オレ達は巣なんか作らねぇよ。」
鴆は一蹴した。リクオは、一体、大陸出の秀才揃いの妖鳥鴆一族を何だと思っているのだろう。もしかして、ただの渡り鳥だと莫迦にしているのかもしれない。そこらへんと雀どもと一緒にしやがって。
「見て見て!上手にできたよ!」
今度は、藁の山の窪みの真ん中に座り込むと、リクオが無邪気にはしゃぐ。
―リクオは、単に遊んでもらいてぇだけかもな。
気を取り直した鴆は手にしていた書物を机の上に置くと立ち上がった。それをみたリクオは、嬉しそうに窪みの中央で身を丸くして蹲った。
「‥おい、今度は何をしているんだ?」
「ボク、卵だよ。」
「卵?」
「うん、鳥の卵。早く、あっためないと駄目だよ。」
「‥‥‥‥。」
リクオのあまりの幼さに呆れてものも言えない。
「あのな、オレは男だから、卵はあっためねぇよ。それは雌の役目だ。」
「雌の?」
藁の中で顔を上げたリクオの目が潤んでいる。
「じゃあ、鴆くんは卵をあっためないの?」
「‥まあ、雄でも温める奴もいるだろうけどな。オレは大人じゃねぇし、そんなこと詳しくは知らねぇよ。」
見れば円らなリクオの瞳が涙でいっぱいになっていた。鴆は思わずたじろぐ。
「い、いや、雛なら温めるかもしれねぇな。親鳥は寒さや敵から雛を守らないといけぇねからな。それは雄の大事な役目だ。」
鴆の答えに幼子の目が輝く。
「じゃあ、ボクをあっためて!ボク、雛になってあげるから!」
新しい思い付きのお蔭で、再び幸せいっぱいになったリクオを見ながら、鴆は戸惑っていた。みずぼらしい藁山の真ん中で、鳥の雛ごっこ‥付き合いきれない。どう考えても、魑魅魍魎の主となる者の遊びに相応しいとは思えなかった。
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「‥鴆くん、ちょっと重いんだけど。」
胸の下あたりから、少年の声がした。
「わ、悪りぃ。」
鴆は体重を預けていた胸と腹部を退ける。気が付けばリクオは文机の上でうつぶせに近い姿勢になっていた。少年が、大きく息を吐くと上半身を起こす。
「もしかして、鴆くん、眠いの?」
「‥まあ、ちっとばかりな。」
「それにしても、鴆くんは、どうしてボクに寄りかかりたがるの?なんか春から、こんな感じだよね。さすがに夏になると暑苦しいし、なにより重いよ。」
「‥いや、春は抱卵の季節だからな。オレ達はよ、鳥の妖なんだぜ。」
「鴆君が鳥の妖怪だということは知っているって。だけど、ボクに寄りかかってくることと、何の関係があるの?」
夏休みの宿題を邪魔された少年はすこぶる不機嫌だ。
「いや、オレ達は成鳥になるとな、雄でも卵を温めたり、生まれた雛を冷えないように羽根の下に入れたり、そういう習性があるんだ。敵から雛を守る意味もある。」
「‥真夏も?」
「夏は捕食者が多いんだぜ、鴆鳥の雛は孵るのも巣立ちも遅いんだ。雛を守ろうとする成鳥としての本能だな。」
「‥鴆くんは鳥の妖だけど、鳥そのものじゃないでしょ。本家の庭に巣を作る鵯みたいなことしないでよ。」
少年の溜息が漏れる。
「仕方ねぇだろ、成鳥本能で、ついお前を腹の下に入れたくなっちゃまうんだから‥。」
「‥もう、いいかげんにしてくれないかな。だいたいボクは鳥の雛じゃないでしょ。それ以前に鴆くんの主だよ。全く‥雛扱いしないで欲しいよ。」
―ボクをあっためて!ボク、雛になってあげるから!
「そりゃそうだけどよ。‥リクオは覚えていないのか?」
「‥何を?」
不審げな視線が男に向けられる。
「‥そうだな、お前がちっせぇ頃のことだよ。」
「何の話か、さっぱり分かんないよ。」
「‥‥‥‥。」
「それより、凭れられると宿題が出来ないから気を付けて。眠いなら、蒲団へ行ってさっさと寝れば。」
少年は鬱陶しそうに、鴆を一瞥すると、夏休みの英作文の宿題を再開したのだった。
あとがき
2012年8月11日コミックマーケット82で無料配布したお話です。