陽だまり
「リクオ様、入りますよ。」
廊下で声を掛けてから、障子を開けた首無は、少年が、ぐっすり眠っているのを見て、それ以上話しかけてよいのか、一瞬、躊躇う羽目に陥ったのだった。
昨夜から明け方にかけて、四国妖怪を相手にした大きな出入りがあり、リクオの負った怪我は決して軽いものとは言えなかった。だが、幸いなことに、人の姿に変化する前の負傷であったので、比較的治りが早いようだ。
それでもリクオが、朝、学校へ行くと言い出した時は、正直、大いに呆れたことは言うまでもない。
「・・リクオ様、お休みなのですね・・お昼の食事の支度が整ったのですが・・。」
返事をしそうにない深い眠りの中の若頭に、首無は取り敢えず話しかけてみる。
「・・仕方ありませんね。では、後ほど、また参りますので。」
白い包帯を巻かれた痛々しい若頭の人間の姿に少し眉を顰め、障子を静かに閉めた。
「おう、首無。リクオになんか用か。」
「鴆さま。」
直ぐ後ろに立っていた薬師の男に首無は驚く。
「いえ、お昼の食事をお持ちしようと思ったのですが、ぐっすり眠っていらっしゃるので、後にしようと思いまして。」
「いや、もう起こしてもいいぜ。・・そろそろ薬が切れる頃だから、痛みでどうせ目を覚ます。どっちにしろ、もう一度、傷の様子を確認をしてやらねぇと、と思ってよ。」
薬師は左手を懐に入れた。
「・・リクオ様は、もう大丈夫でしょうか。」
「ああ、大丈夫だろう。夜んときの怪我だから、夜のうちに治り始めていて傷の塞がり方も早ぇし、あと一、二日養生すりゃ、何とかなるだろうよ。けど、明日の学校は休ませてくれ。本人は行きたがるだろうけどな。」
「わかりました。総大将にも、お伝えしておきましょう。」
首無が立ち上がった。
そして、薬師の男が首無と入れ違うように障子を開けて、リクオの居室へ入っていく。
「リクオ!ちょっと傷を見るぞ!起きろ!」
遠慮のない声と言葉と態度。少し羨ましいような気がして、首無は控えめに微笑んだ。
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「鴆くん、一体何なの・・。大声出して。折角、気持ちよく眠っていたのに。」
目を擦りながら、少年が目を覚ました。
障子が開けられて差し込む明るい陽光。その陽光がリクオの横たわる寝床の上に暖かな陽だまりを作る。若頭の部屋を訪れた薬師の男は、リクオの寝床の横に、どっかりと腰を降ろすと胡坐を掻いた。
「ああ?寝ぼけてんのか。オレが何の用も無く来る訳ねぇだろ。傷の治り具合を見るぞ。」
寝床で、のんびりと少年が欠伸をした。
「ん・・。後にして貰ってもいいかな。もう一眠りしたいし。」
眠そうな眼差しが男に向けられる。
「何言ってんだ。そろそろ薬が切れて、痛くなり始めるぞ。そうなりゃ、寝てなんかいられねぇよ。また、薬を出してやるから。・・どうだ、起きられるか。無理なら横になったままでいいぞ。」
「・・もう、大丈夫、起きられるよ。・・学校も行けそうな感じだし。」
それを耳敏く聞き咎めた男が、腕組みをした。
「言ったと思うが、学校は無理だ。莫迦も休み休み言え。」
そう説教しつつも、鴆はリクオが身体を起こすのを手伝ってやる。
「・・いたた・・。そこ強く押さないで、鴆くん。もろ傷のところ。今朝、縫ったばかり。」
「・・ああ、斬られたとこだろ。思ったより深かったからな。おめぇ、妖怪の血を受け継いでいなかったら、大変なことになっていたぜ。気をつけろよ。」
「うん・・。分かっているんだけど、夜になると大胆になるって言うか、怖いもの知らずになっちゃうんだよね・・。」
「・・みてぇだな。先頭に出ちまったんだって。皆、感心していたぜ。」
少年は手伝ってもらいながら、寝床の上に、無事、身を起こし終わると肩で息を付いた。
「え・・と、上を脱いじゃうね。」
リクオが、いそいそと右肩から袖を抜き始めた。痛いのか動きが鈍い。
「・・大丈夫か。無理に肩を動かすな。」
男が手を添えてやると、肩を片方ずつそっと抜いた。
「・・ありがと、鴆くん。」
****
「・・随分、よくなってきているな。信じられねぇ治癒力だ。」
少し押すように、鴆は半透明の貼り布の上から傷の状態を診ていた。
「つ、強く触んないでよ。やっぱ、痛いよ。」
リクオが鴆の手を避けるように、少し身を引いた。鴆が手の力を緩める。
「何か、身体に秘密があんのかもしれねぇな。純血の妖怪でも、ここまで治りはよくねぇ筈だ。」
「・・こ、今度はくすぐったいよ。」
少年が擽ったそうに、身を捩った。
「あ?じっとしてろ!おめぇが強く触んなって言ったから、そっと触ってんだろうが。」
リクオの脇腹の縫合創を覗き込んでいた鴆が、その顔を上げた。透明な萌黄色の瞳が少年を捉える。心に沁み込むような不思議な瞳の色だと少年は思った。
男が再びリクオの胴体に包帯を巻くと、さらに袖を通してやる。
「抜糸、思ったより早くなりそうだな。浅い傷は、なるべく縫合せず貼り布する方向でいくから、激しく動き回るなよ。傷が開くぞ。」
「うん。」
少年が笑顔で頷いた。
「・・あっ、そうだ、鴆くん。聞いていい?・・いつの間にか寝間着になっていて、夜、出入りに出かけたときの着物と違うんだけど・・。」
「ああ・・手当てが終わった後、着替えさせた。」
事も無げに男が答える。
「鴆くんが?」
「ああ。首無か青に手伝ってもらおうと思ったんだが、生憎、他の怪我人の看病に借り出されていて、手が空いてなくてよ。流石にお前も年頃だろうから、そろそろ毛倡妓とか雪女だと抵抗があるだろうしな。・・だからオレが着替えさせた。乱れ箱にあった適当なのだけど、かまわねぇだろ。」
「うん。ありがと。・・で、肝心なことなんだけど、その着物は、どうなったの?ちゃんと洗濯に回っている?」
そう問われた薬師は、顎をしゃくって、部屋の片隅を指し示した。見れば部屋の隅には、藍色と白い布地の塊が作られていた。
「捨てるの忘れちまった。すまねぇな。あとで、片付けておくわ。」
少年が布切れの山を、じっと無言で眺める。
「・・ねぇ、鴆くん、ボクのお気に入りの藍染の着物が、ただの布の端切れの山になっているみたいなんだけど・・。」
「応、それがどうした。」
「・・お気に入りだったんだよ。呉服屋さんで、おじいちゃんが仕立ててくれたんだ。」
「・・あ?何言ってんだ。全部、裁ち鋏で切っちまったぞ。お前、ここに連れてこられたとき、半分、気を失っていたから覚えていねぇのか。手当ては一刻も急ぐときがあるからな。いちいち、ご丁寧に脱がせてられっかよ。」
円らな瞳で少年が男を睨みつける。
「・・酷いよ!あの藍染の着物すっごい気に入っていたんだよ!」
リクオがむきになる。
「ああ!着物なんて、皆、同じだろうが!ガキの癖に、何、しゃれっ気出してんだ!ガキの癖によ!」
『ガキ』という言葉を連呼した男の言葉に、少年は、何故か酷く動揺したらしかった。焦げ茶色の瞳がみるみる潤んでいく。
「そ、そりゃ、ボクは、クラスで一番小さいけど・・。」
少年の瞳が伏せられた。
さっきまで元気の良かった少年が、すっかり黙り込んでしまっている。
「・・おい、一体、どうしたんだ?」
少年の唐突な沈黙を暫く見守っていた男が少年の顔を覗きこんだ。
「クラスで一番小さいけど、勉強も体育も頑張っているつもりだし・・。皆と同じつもりだよ。」
「・・・・・・・・・。」
想定外の話の方向展開に、少々戸惑った薬師の男が足を崩して片膝を立てた。
「・・どうして、皆と違って、ボク、なかなか大きくならないんだろう・・。」
という少年の呟きに
「・・何なんだ、着物の話していたんじゃねぇのか。てめぇのお気に入りだとか言う・・。」
と男が釈然としない様子で受ける。
「・・・・・・・・・・。」
今度は俯いたままになってしまった少年に男が困ったように溜息を付いた。
「・・ねぇ、鴆くん。心配しなくていいかな。」
「ん?・・何をだ?」
「クラスの皆と違って、背が低かったり、発育が遅いような気がすること。」
「・・人間の話だろ、それは。おめぇは、妖怪の血が入っているだろうが。人と同じに成長しねぇのが当たり前だ。」
「・・・そうかな。」
少年の言葉は不安げな声色を帯びている。
「妖怪だとよ、昨日までガキだったのに、或る日突然、脱皮して成人する奴もいるぞ。」
薬師の自信たっぷりな話に、少年は、肩が上下するほどの大きな溜息を漏らした。
「・・鴆くん、言っていい?それ、全然参考にならないから。流石にボクは脱皮しないと思う。」
問うてはみたものの、やはり自身が純血の妖怪でもあり、種々の妖怪を診る薬師でも在る鴆に掛かれば、少年が知りたい内容からは話の要点がずれてしまうのは致し方ないことなのかもしれない。
「・・まぁ、だから妖怪なら、そういうもんだ。」
「つまり、妖怪であれ、人間であれ、ボクはちゃんと成長するってこと?」
男が頷いた。
「・・それに心配しなくても、夜のてめぇは、ほとんど大人だろうが。」
「・・そうかもしれないけど、気になるのは、本来のボクのことなんだ。」
「夜のが成人できれば、人間のこっちの方はどうでもいいだろう。」
それを聞いた少年は慌てて首を振った。
「それは・・・違うよ。子どものまま、なんて耐えられない。回りの皆は大人になっていくのに。」
リクオの話が分かっているのか、分かっていないのか、鴆は頭を掻いている。
「声だって、清継くんたちは、もう声変わりしているんだよね。それなのにボクはまだだし。」
「・・ん?雪女は、リクオ様は可愛い声でお話しになるのよ、とか喜んでいたぞ。」
「そういう事じゃなくて・・。」
無神経な男を前に、少年の覇気が次第に失われていく。
「あと・・。」
「あと、何だ。」
「三年生になると、修学旅行があるんだよね。」
「あれか、学校の皆で行くとかいう、下らない旅行のことか。」
「うん・・。」
「行ってくればいいだろうが。オレに土産買って来いよな。」
「・・・皆と一緒にお風呂に入りたくない。」
消え入りそうな声で、少年が言い澱んだ。
「そりゃ、本家の風呂よりは狭いだろうな。本家の風呂だって、おめぇ、うじゃうじゃ小妖怪連れて入ってるらしいから、やっぱり狭いじゃねぇのか。」
「だから、そ、そういうことじゃなくて・・。」
・・・ダメだ。鴆くん、男だし、年上だし、薬師だし、・・そう思って話してみたけど、全く、こっちの話を理解していない・・。
「・・さてと、首無が中食の用意が出来ているっていっていたから、取って来てやるな。オレもここで一緒に食わせてもらうぜ。」
「・・うん。」
「薬も出してやるから飲めよ。後は、大人しく寝てろ。」
薬師の男は、リクオの肩を、ぽん、と一つ叩くと、立ち上がった。そして、障子の方へ闊歩すると、引き手に手を掛けたまま、ふと立ち止まった。
「・・なぁ、リクオ。声は以前より少しずつ低くなっているし、身長も徐々に伸びている。他の奴より、ゆっくりかもしれねぇが、心配はいらねぇと思うぜ。」
さらに背を向けたまま、男が言い継ぐ。
「・・あとよ、てめぇが気にしている所もよ、直にちゃんと『男』になる。けど『男になった証』は突然やってくるからな。そんとき、うろたえねぇようしろ。何しろ『大人の男』には、自然なことだけどよ、おめぇには初めてのことになるだろうからな。」
さり気なく、そういい終えると、男は振り返ること無く障子を開けて廊下へ出て行った。
驚いた少年が顔を上げたときには、既に男の姿はなかった。鼻歌を歌いながら、機嫌よく台所へと歩いていく気配だけが伝わってくる。
寝床に身を起こしたままの少年の膝の上の上掛けには、男が障子を開けたとき、差し込んできた暖かな日差しが明るい陽だまりを作っていた。
あとがき
鴆には兄貴的要素があり、リクオを見守っているようなイメージを持っています。
実は、この話、最初テレビを見ながら書いていたら、見事なギャグ展開になって行きまして、書き直す羽目になりました。
お陰さまで、無事、真面目系?に収まっています。でもギャグも捨てがたかったような気も・・。
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