冬の夜
「おう、青か。」
忘年会前の定例報告のみの形式的な総会が終了し、最後に大広間を出てきた鴆を待っていたのは、新幹部でもある青田坊だった。
「鴆さま、一体、何の御用で。」
「忙しいとこ、待たせちまって、わりぃな。‥少し頼まれてくれねぇかな。」
「はあ、オレに出来ることなら‥。でも、薬草の知識はありませんし、お役に立てるかどうかは。」
青の返事に、鴆が頭を掻いた。
「いや、大丈夫だ。人間の世界を良く知っているおめぇだからこそ、聞きてぇんだよ。」
青田坊が、不思議そうに首を傾げた。
「まあ‥オレは人間の振りして暮らしてますし、鴆様よりは詳しいかもしれませんが‥。」
「‥じゃあ、いろいろと御指南頼むぜ。」
****
自分が幼かった頃は、十二月に本家でもクリスマス会が行われていたものだった。今は、自分が妖として成人してしまったため、クリスマス会というものは行われなくなってしまった。人間の行事に合わせて、毛倡妓、雪女が気を使ってケーキなどを焼いてくれることもあるが、今は二人とも自分を支える幹部の一員として忙しい。母の負担も考えると、昔のようにクリスマス会をしようなどと、簡単に言える雰囲気ではなくなってしまった。
リクオは、テーブルの上に頬杖を付き、通りに面したレストランのガラス窓から、落ちるように急速に暗くなっていく曇り空を眺めた。
眼前に広がる並木通りは、色とりどりのイルミネーションで彩られ、道行く人々が楽しげに行き交っている。
そういえば、昔していた本家のクリスマス会は、リクオが幼稚園に通うようになってから、始まったものだった。師走に行われる忘年会の昼の部を幼かったリクオのためのクリスマス会と称して、ご馳走やお菓子、ケーキが振舞われ、そして、赤と緑の包装紙でラッピングされたプレゼントが集まった妖の子どもたちに贈られたのだった。
まだ元服前だった鴆も呼ばれていた筈だった。「クリスマス会」の意味も分からず、その集まりの席についていたのを思い出す。不思議そうな表情でお菓子を食べていたっけ。
二学期最後の今日、リクオは若干厳しい評価の成績表を受け取り、終業式を終えると、クラスの有志で打ち上げならぬ、クリスマス会を催していた。廉価のメニューを提供するチェーンレストランの一角を借り切って、クラスメートの皆と気の置けないおしゃべりに花が咲く。
けれど、リクオは何となく馴染めなかった。今日、行われた筈の定例報告と忘年会しかない総会は、祖父のぬらりひょんに任せて、自分は学校のクラスメートと過ごすことを選んだのだった。今頃は、昔から行われている祖父主催の本家の忘年会へと変わっていることだろう。
今回の総会は、特に議題も無く、出る必要は無かったが、欠席した自分は、薬師一派の頭領でもある鴆には会えなかった。
薬師の鴆は年末にかけて急増した患者の療治や往診で忙しく、自分もまた、急に生じた或る貸元からの陳情の対応に忙しかった。互いの事情を考えれば、会えないのは仕方ないことだ。勿論、会えなくとも連絡は取り合っている。自分からも電話を掛けてみたりしたいるし、鴆から時折入る短すぎるメールには、きちんと返信していた。
リクオは大きな溜息を付く。‥会えなくとも大丈夫。どこにも不安など無い。それでも‥
少年が顔を上げて、レストランの壁に掛かっている時計を見る。‥そろそろ青田坊が迎えに来る時間だった。自分の立場を考えて、人間のときは、なるべく単独行動は慎むようにしている。本来は、青田坊も、このクリスマス会に参加する予定だったのだが、忘年会と総会の準備のために、通塾と称して、急遽、不参加となったのだった。
青田坊は、大柄で強面の風貌に似合わず、滅多に遅れることの無い几帳面な妖だった。リクオは、手にしている携帯の画面も確認すると、出入り口の辺りを、ちらりと眺めた。
「‥奴良くん、どうしたの?何だか上の空みたいだけど。」
少年の落ち着きの無さに、差し向かいに座っている少女が尋ねる。
「‥ううん、何でもない。そろそろ帰る時間かなって思って。実は家から迎えが来る予定なんだ。」
今度は隣の男子生徒が、リクオに話しかけてくる。
「おい!奴良!今回、成績どうだった?」
「‥う〜ん、ちょっと、厳しいかな。ついつい生徒会に夢中になりすぎたかもね‥。」
問われたリクオが苦笑いする。夢中になり過ぎたのは、生徒会、というより、奴良組だろうな、と思う。同じ学校に通ってくれている雪女や青の協力が無ければ、宿題対策も、試験対策も完全な無策だったろう。自分が出入りの準備や根回しなどで学校を休んだ日は、青田坊が懸命に授業のノートを取ってくれた。
「‥へぇ!真面目なお前がな!」
意外に思われたらしい。
「リクオ。迎えに来たぜ。」
不意に低い男の声が背後で響いた。
‥リクオが声がした方向を振り向く。
だが、現れたのは、リクオが待っていた青田坊ではなかった。
「鴆くん‥一体、何があったの‥。」
少年が息を呑む。
そこに立っていたのは、羽根紋様の羅紗羽織を纏った薬師の男の姿ではなかった。真っ白なシャツの上に焦げ茶色のコーデュロイのジャケットを羽織り、ベージュ色のパンツを身につけた若い男の姿だった。足元は革のブーツ。腕には黒のコートを持ち、首にはニットのマフラーが巻かれている。
「リクオ、何、そんなに驚いているんだ。‥やっぱり着方を間違えてたか?これでも、ちゃんと青に点検してもらったんだがな。」
リクオの驚いたような表情に不安になったらしい鴆が、右手でジャケットの衿を掴んでいる。
「‥ううん。大丈夫。‥青がきちんと教えたみたいだね。充分、合格だよ。」
「‥おお、そうか。」
少年の答えに男の表情が俄かに明るくなった。
「‥それより鴆くん、いつもの羽織は?」
「羽織り?ああ‥薬鴆堂の羽織か。あれなら、朧車に置いてきたぜ。」
--それにしても鴆くんって、こんなに背が高かったっけ?こんなに肩幅が広かったっけ?手足もこんなに長かったけ?
男のベージュ色のパンツのラインが綺麗に流れている。腰からヒップのところと、腿と脹脛のところが、優美な流線を描いていた。両太腿の付け根の間には着物では出ない筈の官能的な男特有の膨らみがあった。着物では、下半身は緩やかに覆われていることが多く、ラインが出ることも無い。
「‥リクオ、何、じっと見てるんだ。やっぱ似合わねぇか。そうならそうと言ってくれねぇと‥。」
少年は、大きく首を振った。
鴆くんの身体の線がこんなに綺麗だったなんて知らなかった。こんなにセクシーだったなんて、今まで気が付かなかったよ。
「‥あ!もしかして、この前の文化祭に来た奴良くんのお医者さんじゃない?」
リクオの向かいの席の少女が、思い出したように突然声を上げた。
「ほら、奴良君が家族同然だって言ってた人でしょ!」
その声に、席で楽しげに談笑していたクラスメートたちが一斉に振り返った。
「あ!そうだ!知ってる!あの着物の人だ。」
文化祭当日、同じ時間にウェイターをしていた男子生徒が興奮気味に言った。
「‥わぁ、目が緑色だ。まるで外人さんみたいだ!」
良く見れば、鴆の瞳の色が、やや緑掛かっていた。どうやら妖力を使っても、鶸色の瞳は色彩を完全には代えられなかったらしい。
「‥い、いや‥その。」
クラスメートたちの賑やかな反応に面食らったらしく、薬師の男が当惑した表情を浮かべていた。鴆は、奴良組での立場上、人間の中へ出かけることは殆どない。其のため、予想外にリクオのクラスメートの注目を集めてしまったことに、狼狽していた。頬が薄っすらと赤く染まっている。…ここは、三代目である自分が上手にフォローをしないと。
「‥えっと、ぜ、鴆くんは、ひいおじいさんの代が大陸から渡って来たんだよ。」
‥無事フォローになっただろうか。
「知ってる!それってロシア革命から逃げてきた白系ロシア人でしょ!」
テーブルの端に座っていた歴史マニアの女生徒が叫んだ。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。」
リクオが男を見れば、任侠の世界と違う妙な注目を浴び、困り果てている。
「元々僕の幼馴染でもあるんだけど、今は主治医もしてもらっているんだ。」
‥ちょっと、しゃべりすぎたかな。
「へぇ‥お医者さんなんだ‥。」
クラスメートの眼差しが、尊敬へと変わっていく。静かな溜息が辺りから漏れた。
「すみません、質問なんですが。」
突然、一番奥のテーブルからクラスでトップの同級生が手を上げた。
「国公立医学部受験志望なんですが、公募推薦ってどうなんですか。センターで勝負できるそうですが。」
「‥せ、せんたあ‥?」
鴆は、話の内容が理解できていない。
‥このままだと進路相談室に変わっちゃうよ‥。
「‥良く観れば、凄いイケメンじゃない。文化祭のときは気が付かなかったけどさ。てっきりお茶の先生だと思ってたから。」
仁義を重んじる任侠の奴良組では、鴆は、その容姿を褒められる事はなかった。それ以前に「イケメン」の意味すら分かっていないだろうと思う。
‥さて、そろそろ僕たちはお暇しないと。
「‥じゃあ、僕たちは、そろそろ帰るね。ちょっと家が遠いから、あんまり遅くなれないし。‥それで鴆くんが、仕事帰りに迎えに来てくれたんだけどね。」
‥実際は総大将の行動なんか、本家の皆は、いちいち気にしてないけどさ。
リクオは、椅子を引くと席を立つ。椅子の背に掛けてあったチャコールグレーのダッフルコートを手に取ると、大急ぎで袖に腕を通した。
「‥鴆くん、待たせて御免ね。」
足元に置いてあった白のショルダーバックを肩に背負い、今度は、クラスメートたちに向かって手を振る。
「じゃあ、また、新学期に会おうね。」
「奴良くん。」
テーブルから去ろうとする二人に、向かいに座っていた少女がリクオを呼び止めた。
「今度、鴆さんを紹介してね。是非アドレスとかも教えて欲しいの」
少女の切なる頼みごとに、少年は、にっこりと微笑んだ。
「ごめんね。悪いけど、鴆くん、仕事関係のメールや電話だけで手一杯なんだ。多分無理だと思う。」
えーっ、という残念そうな女生徒達の声が響き渡った。クラスメート達から、一刻も早く逃れたいらしい鴆が、リクオを待てずに既に足早にレストランの自動ドアに向かっていた。リクオは何だか、嬉しくて、後を追うようにドアに向かう。すると、大きな硝子扉の前では、薬師の男が立ちはだかるように待っていた。
「・・リクオ。その外套の釦をきちんと留めておけ。この間の肩の傷が治りかけだから冷やすんじゃねぇ。襟巻きもしろ。」
‥煩い!鴆くん!‥ほんと、この男は、いちいち口やかましいなあとは思う。けど、反論すれば、きっと怒り出すだろうな。それも面倒だし。
仕方なく少年は慌てて、コートの釦を上から留めていく。
少年が身支度を終えると、二人は揃って硝子の自動ドアへと踏み出した。目の前のドアが音も無く開く。
外に出てみれば、肩を竦めたくなるような寒さだった。
けれど暗い街を彩る様々なイルミネーションが鮮やかに点滅し、美しく師走の街を彩っていた。年末の行事や買い物に心浮き立つ人々が歩いている。
「‥いろんな灯りで一杯だな。」
多忙と病弱から滅多に人の街に出ることの無い鴆は、その華やかさに見蕩れている。
「‥まるで星みてぇだ。」
「鴆くん。」
少年の声にイルミネーションに見蕩れていた男が振り返る。
「今夜は遅いから、薬鴆堂に泊まってもいいでしょ。ゆっくり話もしたいし。」
「‥あのな、リクオ、本家の連中は、きっと、おめぇを待ってると思うぜ。」
だが少年は、携帯電話をコートのポケットから取り出して手にすると、親指を動かし始める。
「‥総会の後だぜ。報告を受けるために、本家に戻るのが筋だろう。」
男の話を聞いているのか、聞いていないのか、少年は親指を忙しく動かし続けたままだ。
「‥総会報告は鴆から聞く。次回の出入り時の治療体制について鴆と話し合いたいので、今夜は薬鴆堂に泊まる。以上。・・もう、おじいちゃんと鴉天狗にメール送っちゃったよ。」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
無邪気な表情で笑う少年に鴆が困惑を隠しきれない。
「‥今夜は久しぶりに鴆くんに触れたいんだ。ずっと、会えなかったし。」
「‥何だよ、いきなり、その気になっちまったのかよ‥。」
‥‥だって今夜は鴆くんが、とっても魅力的だから。
「‥母屋の薬鴆堂に泊まり番の弟子が一人居るが、離れまで人は来ねぇよ‥。見立てはいいし、滅多なことじゃ、オレは呼ばれねぇだろう。」
「‥あ、雪。」
夜空を見上げていた少年が手を伸ばし、夜空から、ふわり、と舞い降りて来た真っ白な雪片を手のひらで受けた。
其の声に男も空を見上げる。
「おう‥雪か。どうりで冷え込むはずだな。‥リクオ、人間の身だと寒いだろう。」
男の手が伸びて、少年の肩を引き寄せた。羽織っている黒いコートを広げると少年の身体を包み込む。少年は身体を寄せて、自分の腕を男の腰に回した。男の体が一瞬、ぴくりと震えたのが分かった。
‥鴆くん、年長者ぶって平静を装っているつもりらしいけど、心の中が丸見えになっているよ。‥ほんとはボクに触れたくて堪らないくせに。‥別に無理に隠さなくったっていいのにね。
受け入れる者がいなければ、身体の欲望は苦しみにしかならないが、受け入れる者がいれば、それは甘美な疼きでしかない。
リクオの口元に、少年らしい穏やかな笑みが零れた。
鳥妖怪である男の体は、とても温かい。
自分の中の妖のリクオも鴆に触れたがっているのが伝わってくる。長い冬の夜に薬師の男の細い身体を、その壮健な肩と胸に抱いて過ごすつもりだろう。
明滅する煌びやかなイルミネーションの中で舞い散る純白の雪が美しかった。
あとがき
ちょっと閑話休題です。アンケートで出ていた「甘々」を心がけてみました。
甘めにしすぎると、却って変になりそうでぎりぎりにしてみました。
アンケートお礼小説です。アンケートに答えてくださってありがとうございました。
コメントを下さった方々もありがとうございました。
サイトは、孤独な作業になりがちなのでとても嬉しかったです。
BACK