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篝火

12歳以上対象

 殺生丸の気まぐれと、老僕の邪見の采配で急に決められた形ばかりの略式の草の祝言は、まだ厳しい寒さが残る春浅い頃、身内だけで、ひっそりと執り行われた。正式のものとは見なされることの無い祝いの宴は極ささやかなものとなる。

 りんは、実際、人の娘に過ぎず、妖犬の一族に属する妖ではない。元はといえば、人里で拾われただけの、貧しい人間の女童に過ぎなかった。その為、妖犬族を率いる殺生丸の元へ、正式に御方様として嫁ぐ形は、一門では決して認められることはなく、現実は、側女として側にいることが認められただけである。恐らく、少女の一生涯を通しても、一度も認められることはないだろうと思われた。‥だが、りんにとっては、そんな表面的なことは、どうでもよかったのだった。それは、少女は幼い頃から共に過ごした殺生丸はと離れてしまうことなど考えたことはなかったからだったとも言える。
 一時期、楓やかごめのいる村里へ預けられたことはあったが、殺生丸は、時々少女の元を訪れ、二人は完全に離れたことは無かった。

 そして、簡素な宴は、妖の一族に、殆ど顔見知りのいないりんにとっては、逆に気楽な親しみやすいものとなった。略式の祝言が終わってしまうと、そのまま、身内だけの温かな宴と変わり、久しぶりに会った、かごめは、まるで本当の姉のように、偶には里に帰っておいでと親しげに誘ってくれ、珊瑚は、よかったねと声をかけてくれた。残念なことに祖母代わりでもあった楓は、立場上、村を留守にすることが出来ず、参加はできなかったが、少女を気遣う文を受け取ることができ、りんの心に、その優しさが染み込んだ。
 一方、無理やり、かごめが連れてきたらしい犬夜叉は、苦手な異母兄を避け、続きの間に移動して弥勒と勝手に飲み始めていた。犬夜叉は手酌で飲みつつ、独りでなにやら、ぶつぶつと呟き、「‥りんは、本気なのかよ。あんな、いけ好かねぇ野郎と・・」と訝しげに唸っていた。そう言いつつも、祝いの席には参加しているところが、如何にも犬夜叉らしい。弥勒は、やはり、こういう事になったんですね、世の中不思議ですね、と盃を仰ぎつつ面白そうに笑っていた。七宝は、ただ楽しそうに庭で遊んでいる。りんにとっては、取りも直さず、皆が元気そうで何よりだった。


****


 陽が沈み山奥に位置する館の辺りが、闇に包まれて暗くなり始める頃、屋敷の庭のあちこちに、----式が正式のものではないとはいえ----婚礼を祝うために用意された松明や篝に灯が点された。その仄暗い輝きが屋敷中を優艶に照らし出す。そして、日暮れと共に屋敷に仕える者たちにも、慶事の行事の習わしとしての酒や馳走が振舞われた。妖犬一族にとっては、犬夜叉の母でもあった十六夜と同様、歓迎されぬ縁組みでもあったのだが、それでも宴の後のしきたりは守られることとなった。

やがて、客人たちは屋敷を後にして帰路に着き始める。

 今宵、大妖の妻となる少女は、名残惜しさのあまり、里からの客人達と長屋門で暫く話し込み、なかなか別れを告げることが出来なかった。だが、里へ帰らなければならない犬夜叉たちは、また今度会おうと別れの挨拶をして表門を後にし帰り路についたのだった。一応、表門まで見送りに出てきた殺生丸は無言のまま、形式的に犬夜叉たちの後姿を見送る。

「‥また、村を訪ねてやればよかろう。」
そう言って、殺生丸が少女を振り返れば、少女は里の仲間との別れが辛いのか、表門の大きな扉戸が閉じられても、小さな潜り戸から身体を半分乗り出したままで、寂しげに何時までも立ち竦んでいた。





--そして、宵が訪れる。

 この館の主でもある殺生丸の強い意向で、局から自分の部屋を失ったりんは、今後は妖の部屋で暮らすことになっていた。それは、夫となった男が妻となった女への通う事を婚姻の習わしとしていた妖犬一族にとっては異例のことだった。少女の育った人里では婚姻後は夫婦は同居という独特の習慣を持っている。それを取り入れたためだと噂されたが、恐らく、そうではない。親や兄弟を亡くし、寂しすぎる幼年期を過ごしたことを妖が気に掛けたためであろう。
 やがて、夜も更け、少女の花嫁としての支度が始まりつつあった。
 少女が、いつも一人だけで済ませている筈の湯浴みには、屋敷仕えの妖女たちが二人付き添うこととなった。
 下々の風習と一蹴されれば、それまでだが、少女は、元々、親の目の行き届きにくい子沢山の家に生まれ、村育ちだった。殺生丸や邪見に拾われてからも、煩く言わない無口な殺生丸の元で、それなりに気侭に暮らし、一人で気楽に湯浴みや水浴びをしたりしていた。楓の村で過ごすようになってからも、気心の知れた、かごめや親しい女たちと水浴びするか、山の湯に行く気を使わない暮らしをしていたのだった。そのため、他人に側にいられるのが落ち着かない性分になっている。
 其の所為なのか、それとも楓とともに村人の世話に当たっていた立場だった所為なのか、少女は侍女に世話を焼かれるのは逆に負担で好きではなかった。それが侍女たちとうまくいかない原因である一つであることも、頭では理解しているつもりだが、長年の習慣を改める以前に、下賎の者の暮らしをしていたのだと蔑まれていることも辛かった。楓の村は豊かとはいえなかったが、妖を嫌わぬ心暖かな村人たちばかりで、幸せな日々を送ったからだった。
 しかし、今宵ばかりは、妖女たちも引き下がる気配がない。これでは否が応でも、誰かに言い含められているのが、少女にさえ感じられる。無碍にするわけにもいかず、其の侭放っておくと、ずっと湯殿の外で控えているらしい。お陰で気が散ってせっかくの湯浴みの楽しみも半減してしまう。仕方なく、りんが湯から上がり、身体を拭い、いつもの寝間着を着ようとすると急に声がかかった。

「こちらをお召しになってください。」

 真新しい白い綸子の寝間着が一式、漆塗りの乱れ箱から差し出される。わざわざ先代様にならって、人間の花嫁のために御用意されたものです、と言われ、少女は受け取らざる得なかった。今夜も、いつもと同じ寝衣で構わないということを訴えたりすれば、それは我侭に分類されるのだ。少女は気を取り直すと、その真新しい白い寝間着に袖を通し、新しい帯を締めた。
それが終わってしまうと、今度は侍女たちが、いつも殺生丸の使っている屋敷の奥の一角へ案内するという。今日だけは、今までの暮らし方とは明らかに違っていた。これが、この一族の暮らしなのだろう。
殺生丸の私室の場所は、承知しているし、自分でもちゃんと辿り着けるからと言うと、これだから、下々の者はと、侍女は呆れ返っている雰囲気が伝わってくる。先代様と殺生丸様のお母上様が御一緒になられましたときも、このようにいたしましたと、にべもない。
 此処は、妖の屋敷。--郷に入れば郷に従え。--やはり習わしには従うべきなのだ。そう思い直し、手燭を携えた女たちと一緒に長い渡り廊下を通り、広縁となっているところを曲がり、奥へと続く廊下を歩いていく。そして殺生丸の私室のある部屋の前まで辿り着くと、侍女たちが膝を付くと、静かに障子が開けられ、奥へと案内される。そして、さらに奥の間へと続く襖がまた開けられて、侍女たちがその両側に座して控えた。
手前には色艶やかな几帳が置かれており、中の様子はわからなかった。
 りんは、以前、邪見から、家長でもある殺生丸の部屋には決して入らないよう、きつく言われたことを思い出す。
そのため、この屋敷を訪れる機会があっても、りんは今まで殺生丸の寝室へは入ったことはなかった。けれど、これからは、りんも休むところにもなると思っていいのだろうか。既にりんの部屋は、習わしに反して、この屋敷の中からは無くなっている。殺生丸は、りんの部屋へ通うというか形式を守る気はなく、手元に置いておくつもりなのだろう。

「どうぞ、内へお入りになって、几帳の向こう側で御館様をお待ちくださいますよう。」

侍女たちは外に控えているだけで、決して奥の部屋に入る気配はない。仕方なく、りんが足を踏み入れると、それを待っていたかのように、その後ろですぐに襖戸は閉められた。更に、今宵は、もう皆下がらせていただきます、と声高に侍女たちが告げ、足早に去っていく足音だけが聞こえた。それも次第に小さくなる。

少女は、大きく息を吸い、そっと華やかな几帳の内側へ入った。明り窓からの弱い月明かりと燈台の儚い光のもとで、よく見渡してみるとすでに大きな白い新しい夜具が敷かれており、そこには枕が二つ仲睦まじく並べられていた。もちろん、知識としては、予め言い含められていたので知っていたことなのだが、実際に間近に見ると酷く気持ちが波立つものだ。何故か独り、不安に陥ってしまう。そして、少し自分を落ち着かせて、周りをよく見ると、枕元には刀掛けがあり、一振りの刀が納められていた。

「‥天生牙‥。」

少女は、懐かしい友に出会えたようで、嬉しくなって、そっと触れてみる。以前から摩訶不思議な刀だと思っていたが、何か神秘的な気を発しているらしく、触れたところが、じんわりと温かくなってくる。幼いころ、この刀を抱えたことがあったが、刀剣の類に感じられる冷酷さがなく、まるで美しい花でも抱えているような穏やかな気が漂っていたことを今でも思い出す。現在も、極偶に、手にとって殺生丸に渡すことあるが、触れた瞬間に心地よくなるのだった。まるで導かれたかのように自分と殺生丸を結びつけた全ての始まりの刀。

癒しの天生牙に触れ、まだ幼さの残る少女は、漸く落ち着きを取り戻しつつあった。

少女は、取り敢えずは居場所を探しあぐねて、二つ枕の大きな白い絹の臥所の上に正座の姿勢で畏まって座してみる。だが、今まではすぐ眠る暮らしをしていたため、暫くすると待つということに飽きてしまい居心地が悪くなってしまう。今までは、寝所というのは、眠るための場所に過ぎなかった。けれど、これからは、きっと、また違う意味を持つに違いなかった。どうしても、並んでいる枕が目に入り、これから自分に起こることが想像してしまい、どきどきしてしまうのだった。それは、幼い頃から、親のように兄のように敬愛し、慕ってきた殺生丸に、本当に自分が望んできたことなのだろうか・・。考えれば考えるほど、よく分からなくなる。ただ、幼いころから傍にいるのが楽しかった、傍にいると安心できた。だから、これからも、ずっと何時までも傍にいたい。本当に、それだけなのかもしれない。
少女は自分の考えを振り払うように、首を振る。‥今は考え過ぎているだけ・・。少し夜気に当たった方が冷静になれるかもしれない。りんは立ち上がって、襖を開け、奥の寝間を出ると次の間に出た。そして、更に障子戸を開いて、先刻、通ったばかりの広縁に急いで戻る。そこは、冷え冷えとしていて寒く、すぐに手足が冷たくなってきた。けれど、ふと、目をやると広縁から見えるところにも、篝火は焚かれいた。大きな二本の篝が左右に置かれ、煌々と明るく庭と縁側を照らし出している。
篝の向こうに、りんが毎年咲くのを楽しみにしている桜の木が見える。暖かくなると、咲いて美しい春の訪れを知らせてくれるだろう。夜空を見上げると、月が白く水晶のように光っていた。

 澄んだ月夜と篝火とで、いつもとは全く風情の違う庭の妖艶さに、思わずうっとりと見蕩れる。冷え込みにも関わらず、広縁を離れがたく、寒さも忘れ、縁側に立ち尽くして、優美な情景に見入ってしまっていた。




「―りん。」

静かに男の声がした。突然の呼びかけに驚いて顔を上げると、滅多に見ることのない白綸子の寝間着姿の殺生丸が立っている。

「―どうして、こんなに寒いところにいる。奥の寝間で待っていればよいものを‥‥。」

そういうと、妖の男の大きな手が少女の腕に触れる。
「‥ここは寒かろう。」
少女は落ち着かなくなって、部屋にいられなくなったとは言えずに、恥ずかしげに俯いた。

「篝火の灯りでお庭がとても綺麗だったから‥つい‥‥。」
下を向いたまま、小さな幼さの残る声で答える。

「‥そうか、これは祝いに用意させた篝火だ。」
「‥お祝い?‥」
妖の男は、少女をそっと壊れ物のように抱き寄せてやると耳元で囁いた。温かい妖の息が耳に掛かる。少女の身体が緊張で硬くなる。

「‥今宵、私の奥の女になるお前へのだ。‥」

妖犬の一族を率いる無口で無愛想なはずの妖の男。その男が、村生まれの何の価値も無いはずの娘に、そう囁いたのだ。その言葉には妖の深い心遣いが息づいている。りんは殺生丸を見上げた。
そして、妖は少女を優しく抱いたままで、幼い童にでもするように、そっと頬に口付ける。それは、以前受けた口付けと同じだった。けれどそこから先は、いつもと違う。口付けは、少女の唇へと移り、次第に抱擁は深く強くなり、いつもの子どもに触れるような穏やかな口付けではなく、今日はりんの唇を割って遠慮なく殺生丸の舌が入ってきた。その舌が這うように、りんの口の中を執拗に探る。心なしか殺生丸の息遣いが、いつもより荒く感じられるような気がする。いや、きっと気のせいではない。自分の置かれた状況に戸惑い、りんが殺生丸と自分の間に置いていた両手で殺生丸の身体を押して何とか離そうとした。が、圧倒的に殺生丸の力のほうが、強くどうすることもできない。あっという間に殺生丸の唇が首筋まで降りてきて舐めるように舌を這わせ始めた。その感触に身体が震えてしまい、どうしていいか分からなくなってしまう。

「殺生丸様‥‥あ、あの‥‥。」
りんが口を塞がれつつも、そこまで言うとやっと殺生丸は唇を離した。感情を見せたがらない妖が、りんの顔を物言いたげに覗き込んでいる。その美しい貌が少女にとっては愛しく思えた。親のように振舞い、誰も寄せ付けぬ大妖の姿とは思えない。男の彼女はその視線を少し恥らいながら見つめ返したが、それでも少女の心は、何処か幼い。やはり視線を合わせておられず、すぐに俯いてしまった。

「りん・・・奥の部屋に戻るぞ。」

りんは自分の両手を胸の上に置き、心を落ち着かせて頷く。
妖は、少女を抱え込むように伴い、襖をそっと開ける。そして、りんを促し部屋に背を押して入れると、その後ろで障子が閉める。
歩いて進んでいくと奥室へと続く襖が殺生丸によって開けられる。そして几帳の置かれた寝間へ二人が入った。

「お前は、恐らく私が思っているより幼いのかも知れんな。」
男の言葉に少女は返事をしなかった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥。」
「‥邪見が、そう言っていた。」
だが、少女は首を振る。
「‥村では、そろそろお嫁に行く娘も居ます。」
俯いたままで、りんが答える。
「‥そうだな、だから、お前を娶ることにした。」
「‥あ、ありがとうございます、殺生丸さま。」
少女が頬を赤く染まる。
「‥殺生丸様。」

二人に沈黙が訪れる。
殺生丸さま、邪険さま、阿吽、そして自分で、奈落を追い求め旅をし続けた日々。
深い森に迷い、雷雲を駆け抜け、吹き荒れる砂塵を彷徨い、厳しい追跡の旅路が続いた。 幾度と無く、少女の身は危険に曝され続けたが、恐ろしいなどと思ったことなど一度も無かった。それどころか、村での辛い日々を思えば、ただただ、楽しく嬉しい日々だった。

「殺生丸さま‥りんのことを‥これからは、どうか女として愛しんでください。」

切なく震える少女の声が闇に漏れた。

--そして、少女は大妖の男に白く小さな手を差し伸べたのだった。



ファイルから、未発表のお話を発掘してきました。
かな〜り改稿してUPした次第です。はっきり言って、文章壊滅、その上ベタ過ぎ・・でした。 (-o-)
もちろん、他のお話も改稿したいものばかりですが、あまりのヘボさに読むことさえ憚れています‥。
しかし、サイトを開設してもうすぐ7年。今でも殺りんコンテンツを訪れて下さる方がおられ、本当に嬉しいです。
読んで下さった方、本当にありがとうございます。