晩秋1

朝晩がすっかり冷え込むようになり、山の方では、山頂から木々が色づき始め、次第に山々を目の覚めるような紅葉が覆い始めたある秋の晴れた日の朝のこと
だった。

 その日は機嫌が良かったのか、殺生丸は、厩に新しい妖竜が入ってきたことを
朝餉の席でりんにそれとなく告げた。実を言うと、りんは、何年か前にこの屋敷に落ち着いてから、殺生丸と二人で膳を挟んで食事を一緒にする事が多くなって
いた。人里に行くと随分と大人しくなってしまうりんも、何故か妖の殺生丸の前
では、絶え間なくしゃべり、このときとばかり、報告やら情報収集やらに余念が
ないらしい。
 そして、ここ最近、外で、戦と野盗の出没の噂が立ち、用心からか外出を邪見に
とがめられている彼女は、小さな頃から懐いているかごめたちにも会いに行く
こともできずに、館の中で退屈な暮らしを余儀なくされてしまっていた。

 独り言に近い殺生丸の話に興味を示し、すっかり食事が手に着かなくなって
しまった彼女は、殺生丸から詳しい話を何とか聞き出そうと、つい懸命になる。
退屈もそろそろ限界だった。
「三日目前に二頭入った。一頭は、私が乗る予定でいる。もう一頭は、まだ若竜
だ。これから、馴らす。言って置くが二頭ともおまえが乗れるような代物では
ないぞ。」
りんの妖竜への興味の示し方がいつもと違って、少し普通でないことにやっと気がついた殺生丸は、話すのではなかったと後悔したが、その一方で仕方あるまいとも
同情したようだった。小さな頃から阿吽を可愛がり、今は、外出もままならず同じ年頃の者のいないこの屋敷の中では、妖竜は、りんにとっては心許せる大切な存在なのだろう。

「―りん、当分は、乗るのは控えろ。もう少しすれば、よく飼い馴らされて、
竜たちも落ち着いてくるだろう。そうしたら乗るといい。今朝、早くに乗って
みたが結構気が荒かったぞ。馴れるのに、時が必要だろう。」
「えーっ、殺生丸さまもう乗ってしまったの。どうして、りんも起こしてくれなか
ったの。私も一緒についていったのに。ひどい。」
「・・・夜も明け切らぬ頃だ。竜責の者しかおらぬ。」
「そんなこと全然構わないよ。局の人たちは起こさなくてもいいから、りんだけ起こしてくれればよかったのに・・。ちゃんと自分一人でお支度できるもの。」
「・・・・・・・」

 ―まだ暗いうちから、ほとんど大人といってよい年頃になった娘の部屋に男の
己が一人で入れば、どんな噂が立つか―

 肝心のりんは、気持ちが幼いのか、そこまで思い至っていないようだった。
 殺生丸の妖竜の阿吽は、気がつけばすっかり、りんに懐いており彼女を乗せて
どこへでも飛んで行った。既に彼女専属の妖竜に近い状態となっている。
そのため殺生丸が使えないこともあり、もう一頭用意せざる得なくなったのかも
しれない。
「・・でも、見に行ってもかまわないでしょ。竜場には、よく遊びに行っている
もの。竜は見ているだけで楽しいし。阿吽以外にもしょっちゅう遊んでもらって
いるし・・。この間は、お屋敷の上を回ってみたよ。」
 殺生丸は、自分の知らぬところでりんが勝手に妖竜を乗り回しているらしいことを偶然知ることになってしまった。
「・・言っておくが、新しい竜は見るだけだ。わかっているな。」
りんのそわそわと落ち着かない様子を見て殺生丸は、一層、不機嫌な様子で返事をした。
「殺生丸さま、・・・触るのは構わないんでしょう・・。」
 りんは、殺生丸の方を見て言った。嬉しくてたまらないようだった。

―こういう無邪気さが彼女の魅力なのだろうか―。
 けれど、その一方で、背も伸びすっかり成長して、このごろ急に艶めいてきた
ような気もする。こんなとき、一度でよいからりんを女として確かめたくて
堪らないこともあった。

―だがそれは、邪見とともに養い親同然でもあった己の立場を思えば自重しなければならないのだろう。その時が、来るまで良識ある態度を保つべきであるとの考えも大事のはず。年長者としての責任はやはり果たすべきであろう。―

でも、その時が来たら・・・
いや、もう待つべくして、充分待ったはず・・。

「・・・噛まれても知らんぞ。触るのだったら誰かそばに置け。」
「じゃあ誰かそばに置けば、引いて歩いてみてもいい?歩かせてみたいの。
だって、
「歩く姿も見たいから。」
「・・・・・・・。」

 殺生丸は、心の中でため息をついた。最後には、少しだけなら乗ってもいい
でしょという話にたどり着くのは、時間の問題に違いない。

―このお転婆め。―

 早めに立ち去った方が無難かもしれないと判断した彼は、食事を済ませて
しまうとおもむろに席を立ち、奥へ行く。それを見たりんが、その後を慌てて
追いかけ、先回りすると刀掛けから天生牙を取り上げると差出した。

 そして、殺生丸はそれを無言で受け取る。さらに殺生丸は自分で闘鬼神を別の
刀掛けから取り、結局、刀を二振り腰に収めて足早に部屋を出た。
「今日は、外出する。夕方までは、戻らぬからそのつもりでいろ。阿吽はつれて
いく。今日は、冷えるだろうから外でうろうろせず、暖かくして部屋で書物
でも読んでいろ。」

 殺生丸は素っ気なく言うと、広縁からそのまま庭へ降りた。阿吽のいる厩に
向かうのだろう。どこかへ出掛けていく殺生丸を見送るのは、幼い頃から
りんの役目だった。連れて行ってもらったことは、ほとんどない。
 りんは、いつもと同じように、その背中にお気をつけてと声をかけた。
昔と変わらず殺生丸の姿が見えなくなるまで見送る。ただ、幼いころと違って
いたのは、いつのころからか広い肩と美しい銀髪を見ていると胸の辺りが苦しい
気持ちになるようになったことだった。いつもは、殺生丸がいなくなってしまうと何故か、寂しくて仕方がなかった。だが今日は、何だか少し勝手が違う気がする。


 殺生丸が出かけてしまうと、新しい妖竜の話を聞いてからすっかり落ち着きを
なくしているりんは、手早く朝餉を済ませ、膳を侍女に下げてもらった。そして
あっという間に、心弾ませ自分一人で着物を着替え、袴を身に付ける。
「新しい竜を早く見に行かなくちゃ。」
急いで竜に乗るときに使う履物を出すと庭の方へ放り投げ、縁側から庭へ
飛び降りる。そしてその履物をはいて紐でしっかりと固定した。それが終わると
立ち上がって、自分も殺生丸の消えた方向へと急いで歩いていく。

 庭も秋が深まり始めていた。ある木々は、葉が落ち始め、またある木々は、
赤や黄色に色付き始めている。赤い実の生った小豆梨の枝がざわめいていた。
四季折々の花が咲き乱れるこの庭も、今咲いている花は藪椿だけだった。
 あとは、まばゆいばかりの紅葉が始まるだろう。そして、全てを雪で覆いつくす冬がやってくる。殺生丸たちとここへ来てから自分にとって何度目の冬に
なるだろうか。


 ある日、殺生丸は、心を決めたように、これからもずっと自分と暮らせと
言った。正月には、正式に許嫁として親戚に披露するつもりだとも言った。
だがそれは、形ばかりで皆は既に周知のことだろうからと付け加えることを
忘れなかった。
そういえば、以前、邪見に親族の中で殺生丸が人間の娘に懸想し、自分の女に
しようとしていると噂になってしまっていると言われたことがあった。
そのことを気にしているのかもしれない。
 お前のために形だけでも大切なのだということらしい。それは判ったような
判らない話だった。
 幼いころから殺生丸と共に過ごしてきたりんは、あの妖と離れて暮らすなどと
いうことを、一度も考えたことなどなかった。まだ、幼いころから格別に
慕い、いつもそばにいた。だが、自分は大人になり、もう殺生丸とは今までと
同じように過ごしていくことはできないだろう。彼は、今は自分を女として
欲している。大人になった自分はそれを喜んでよいのだと思いつつも、
幼いころとは違う立場の変化には受け入れがたかった。彼女は、思いを巡らし、
立ち止まった。
 どこかで甲高い鳥のさえずりが聞こえる。



 広い庭を半分走るようにして横切り、さらにしいの木ばかりの小さな木立を
抜けた。屋形の中とは、思えぬ広さだ。そうやってどんどん歩いていくと、突然
開けたところにでて、向こうの方に竜溜まりをかねる放牧地と厩が見えてくる。
 それを見ると思わず走り出してしまっていた。


「おはようございます。りん様。御館様ならつい先ほどお出かけになられました
よ。」
 厩に勤める従僕の一人が草地の前でりんに声をかけた。息せき切って現れた
彼女をめざとく見つけたらしい。りんは、厩に勤める御竜責らが、何故かとても
好きだった。この屋形の中では、先代から仕え、慣習にうるさい局の侍女たちの中にはりんを快く思わない集りもあり、人の身では気苦労が耐えない。
 それに比べ屋形の雑事からは、距離を置き独自の日課を持つ厩の者たちには、
何の気兼ねもいらない。母屋の行事などに忙しい古い家臣たちもありがたいことにここへくることはなかった。


Written by Hiroka
http://www2u.biglobe.ne.jp/~asami_n
天に星、地に花


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