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雨の中で

ルイスが組織へ連絡を取ってくれたのだろうか。大型のトレーラーが密林を分け入るように越えてくるとサンク・フレシュ・ファルマシーの館の門の前で止まった。それを見たデヴィッドは、つい先ほど、ジュリアに怪我の手当をしてもらったばかりだというのに、設営されたばかりの簡易テントの下で陣頭指揮を執り始める。応援に駆けつけたらしい赤い盾のメンバーは、手早く焼け落ちた館の跡から、メンバー達の損傷した遺体を収容したり、屋敷の中から、必要な証拠品らしき物を、勝手に押収し始めた。さらに手際よく、翼手化実験に使われた子供達も檻ごとトレーラーに
乗せられつつある。

 小夜は、そんな状況でデヴィッドに話しかけていいのか、わからなかったが、何も言わないわけにもいかなかった。そっと、テントの下へ入り、デヴィッドの側へ近寄る。

「あの・・デヴィッドさん。さっき、カイから詳しいことを聞かされたんだけど、ごめんなさい・・。ほとんど、何も覚えていないんです・・・。」
小夜は、遠慮がちにデヴィッドへ話しかけた。小夜の声を聞いたデヴィッドの側の応援のメンバー達は、一斉に小夜の周りを離れる。
「私、本当に何も覚えていないんです・・・。私、クララさん達のことを・・・。」
それ以上は、言葉にならなかった。
「・・・小夜、気にする必要はない。もとより、我々にはわかっていたことだ。君が暴走する可能性については話してあった。彼らも承知済みで来ていたはずだ。」
デヴィッドは、小夜の謝罪の言葉に憔悴しきった様子ながらも冷静な対応をみせると、椅子に腰を下ろした。
 横にいるジュリアは、つい先ほどの小夜の一連の行動を聞いたのだろうか。動揺しているらしく、 黙りこくっている。他のメンバーは、怯えたように小夜を遠巻きに見ていた。

「ジュリアさん・・・あの。」
ジュリアは疲れ青ざめた表情で小夜を見ただけだった。誰もそれ以上口をきくことなく、テントの中は静まりかえった。

 そして、にわかに辺りが暗くなり始める。空が急に曇り暗くなった。雨が、テントの布上で、ぽつり、ぽつりと音を立て始める。亜熱帯雨林の森の中で、雨が葉の上を打つ音がした。
その音の間隔が急速に小さくなり、突然、辺り一面が水しぶきでいっぱいになる。ぬかるんだ地面は、あっというまに大きな水たまりになっていく。
   
「スコール・・か。」

デヴィッドが消耗した身体で椅子からゆっくりと立ち上がり、テントの下へ入るよう皆に指示を出した。声を掛けられた面々は、一人、二人と移動を開始した。半焼した館の中にいるはずのメンバーも、わざわざ慌てて出てくる。

  このような酷いスコールの中でも、何故か誰も焼け残っている館の場所に残ろうとはしないし、入ろうともしない。精鋭揃いで知られたはずの特務隊員達の惨劇の現場になった館へ誰も入る事など出来なかった。テントに入り切れないメンバーも、取りあえずテントに身体を半分入れ、頭と 額を濡らしながら、暗い空を見上げている。

  小夜は、ふと周りを見回したが、近くにハジはいなかった。小夜は、慌ててテントから離れると辺りにハジの姿を探す。見つけたハジはサンク・フレシュ・ファルマシー実験農場の門の向こうの開けた場所で、立ったまま、小夜たちが歩いて来たジャングルをじっと眺めていた。
  どんどん強くなる雨足に、周りの景色が白く煙って見える。このような状態では密林など、 ほとんど見えるはずもない。既に、視界など、ほとんどきかなかった。ハジは、そんな豪雨の中に立ったままで、濡れ鼠になっている。小夜はその姿が気になって、独り、ぬかるみを踏み、 雨の中を歩いていった。

「・・あの・・ハジ。」
背後までやってきた小夜に声を掛けられたハジは、気がついたのか振り向く。
「・・小夜。」
激しい雨の中を、わざわざ歩いてきた小夜に、ハジが驚いているようだった。
「・・・こんなところに立っていると、貴方も濡れますよ。」
ハジもまた、デヴィッドと同じように血と泥で汚れ、すっかり、みずぼらしい姿となっていた。黒い髪の毛先から滴が流れ落ちている。そして、上着の肩の部分が血で汚れていた。
「・・ごめんなさい・・。カイが、私を見つけてくれなかったらどうなっていたかと思うと・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
    従者からは、返事はなかった。
「ハジ、私のこと、止めようとしてくれたんだってね。カイが教えてくれたの。ありがとう。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・そ、その首の傷、私のせいなんだってね。」
ハジは、左手でさっと首の傷を隠すと何も言わない。
「私、カイに感謝しなくちゃね。カイがいなかったら、他のみんなのことも殺しちゃったかもしれないんだもの・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・ハジ。・・あの。」
   
「---私は。」
ハジは、目を閉じた。その瞼が微かに震えている。
「---30年前も貴方を・・・。」
そう言いかけて、従者は口をつぐんだ。

・・・・・30年前も貴方を止めることが出来ませんでした・・。

「・・・ハジ?30年前・・・?」
「いいえ。」
ハジは、再び雨しぶきの中のジャングルの方を向くと、沈黙した。
「ハジ・・。」

小夜も、この激しいスコールの中で立っていたかった。この強い雨が全てを洗い流してくれるような気がするから。それは、幻想に過ぎないけど、少しでも自分が清められるような気がして。

しかし、小夜は、突如、胸が苦しくなるような感覚に襲われて、首を振った。
行動をともにした仲間達を切り、あまつさえ、デヴィッドをも殺そうとした・・。
私は、取り返しの付かない出来事の中で溺れているのだ。

すがるものもなく。頼るものもなく。寄る岸辺もなく。淵の奥深くで。浮かぶこともなく。

----虚ろな目での私を物陰から見つめている少女。
----怯え、逃げまどう者達を追い回し、追いつめ迷うことなく、その命を絶ち・・・。

 私が、かいま見た光景の断片は、もしかしたら、もしかしたら、夢ではなく真実なのかもしれなかった。だとしたら、生きている限り、私の手は血で汚れたままだ。その穢れが払われることはない。私の中に住んでいた無邪気な少女はどこに行ってしまったのだろうか。楽しく笑い、歌い、はしゃいでいた無垢な少女は、一体どこに行ってしまったのだろうか。

全てを焼き尽くす業火の中で刀を持って立っているのは、その少女ではない。
そこにいるのは、魂のない悪鬼でしかない。恐ろしいほどの憤怒を宿すその目は炎のごとく、暗く耀いているだろう。

 その刹那、小夜の頭の中は真っ暗となり、記憶の中のアオザイ姿の人々は、暗闇の中へと跡形もなく消えていった。

「小夜。」
小夜が背の高いハジを見上げた。

「・・・貴方は、カイのいる宮城家で幸せに過ごしていたんですね。」
「・・うん、そうだよ。私は、昔のことを何も覚えていなかったの。カイには、いつも世話焼いて もらってたよ。兄貴なんだから、気兼ねするなって言われてたの。学校にも病院にもいつも送っていってもらっていたし・・。」
「・・・カイ、にですか。」
「うん。バイクでね。リクも、私になついてくれて、とても優しかったよ。いい子なの」
小夜は、懐かしそうに顔を綻ばせた。
「お父さんは、すごく、私たちのこと大事にしてくれたの。俺たちは、血は繋がっていないけど、家族なんだよって・・・。」
「・・・それは、よかったですね。」
小夜は、悲しげにそして切なげな様子でに頷く。何処か遠くを見ているようなハジが呟いた。
「・・だから、カイには、貴方を止めることが出来たのでしょう・・。」
「・・うん、そうだと思う。だから、私はカイには、感謝しなきゃいけないよね。」
小夜の返事に、ハジの碧い目は、小夜を見なかった。
「ねえ・・ハジ。」
今度は、小夜がハジに、遠慮がちに語りかける。
「・・ハジは、30年前、私と離ればなれになっったんでしょう。デヴィッドさんが言っていた。ハジは、私が眠っていた間、どうしていたの?誰かと一緒だったの?」
ハジは、小夜をそっと見下ろしたが、再びジャングルの方角を静かに眺める。

どこか、彼方遠くを見つめている碧い瞳。
 豪雨の中で、ハジの血の気のない薄い唇が微かに動いていた。まるで滝の中にいるような、 激しい雨音のせいで小夜には、彼の言葉を聞き取ることは出来なかった。

「なあに、ハジ。なんて言ったの。」

だが、ハジの唇は、二度と動くことはなかった。ハジは、小夜の濡れそぼり、衣服が身体に張り付いたようになっている肩を静かに抱く。
「・・・小夜。もう皆のところへ、戻りましょう。このスコールは、しばらくやみそうにないですから。」
ハジが小夜を促すようにして歩く。向こうの方のテントの軒下で、カイが懸命に手招きしていた。
そのすぐ隣で、リクも一緒に揃って雨宿りしている。

「小夜!おい!何しているんだよ!ずぶ濡れじゃないか!早く、来いよ!」
「小夜ねえちゃん!」

 ハジと小夜は、雨のため、すっかり沼地のようになった地面に足を取られながら、歩いていく。
 雨に打たれた小夜の身体と心は何故か、ぬかるみに沈むように重く、氷のように冷たく、ただ、苦しかった。

まるで、自分の身体ではないように。暗く深い淵の底へと沈みゆくように。

「小夜。」
耳元でハジが囁く。
「---私がずっと、お側におりますから。」

それは、遙か昔に誓ったこと。

 空の向こうが、少し明るくなり始めていた。もうすぐスコールが、通り過ぎる。
あとには、鮮やかな虹は出るだろうか。

 小夜がカイに手を振り、何かを振り切るように皆の方へとそっと駆けだした。雨の中を泥だらけになりながらも、走っていく。ハジがそんな彼女の後ろ姿を見ながら、左手で首の傷に触れる。
刺すような、けれど甘いその痛みは、徐々に消えつつあった。そして、静かに、その透明な水色の目を伏せる。

心の中で先ほどの言葉を繰り返して・・・。



----いいえ、私は、ずっと独りでした。
   たった独りで、貴方を捜し続けていました。----







サンク・フレシュ・ファーマシーの戦いの後のことを、想像して書いてみました。