風太郎の「旅の空」
 
  津軽平野落日  (青森県 津軽鉄道 川倉駅) 
 

寒い夏だった。 

風太郎が大学に入った1980年は、7月を過ぎ8月を迎えても天候不順が続き、東北地方からは大冷害の恐れが伝えられていた。入学後最初の大型撮影行の場所に選んだのはその東北地方の私鉄巡りである。本当は北海道に行きたかったのだが、アルバイトの金が思ったほど貯まらず東北で我慢したというところ。
ただ、津軽半島を縦断する津軽鉄道は、風太郎の行きたい場所5本の指に入る。

 川倉は津軽平野のど真ん中、田んぼの中にある小さな停留所だ。木造の掘っ立て小屋のような駅舎を後にすると、稲穂の一面の緑の中に埋もれそうになる。しかしこれが冷害の影響なのだろうか、実の付きがほとんど見られないのが気になった。

津軽鉄道は今年で開通50周年の節目に当たるのだが、沿線の農家が意気消沈していてお祭りめいた事はしづらいと聞いた。世が世なら「大飢饉」に襲われていたことだろう。そういえば川倉には津軽を何度も襲った大飢饉の犠牲者を弔う「川倉地蔵尊」もある。線路際にも祀られた地蔵の、赤い衣に目を奪われる。
 




集落の小道を歩くと、出会う人は思いのほか明るく、よく声をかけられた。しかし「○×△×○△×○!」と正調津軽弁で話しかけられたらたまらない。「えーあーうー」と応えると、ニコニコしてまた「○×△×○△×○!」と話される。まったく外国に来たかのようだ。

 

夕刻が迫ると、垂れ込めた西の空の雲が切れ始めた。芦野公園〜川倉間は大きな築堤が南北に伸びて西側の空がスコーンと抜ける。何かが始まる予感がして東側の道路に駆け上がると、津軽平野に沈む夕日が暗雲を黄金に染めて輝いていた。

この時撮った写真は風太郎の夕日写真の中でも指折りのお気に入りである。ドラマはこれで終わらず、日が沈んだ後は異様な色彩の夕焼けが空を染め、2本のレールが黄泉の国にでも続くかのように浮かび上がった。

寒い夏の1日は暮れた。大自然は思うようにはならないが、息を飲むような一瞬を、悪戯でもするかのように見せるのもまた、自然のありようである。

 
 
 
 
 
風太郎の 「旅の空」TOPへ
 
TOP PAGE へ