ルピナスという花がある。
ラベンダーに似たマメ科の植物で、ピンクやパープルの花弁が鮮やかだ。冷涼な気候を好むこともあり、初夏の北海道を彩る花としてよく目立つ。この花、もともと南北アメリカなどの原産で日本には自生しないのだが、おもに園芸種として輸入・栽培されてから広まったものである。
さてここで不思議なのは、この花が北海道の人知れぬ山中や、人家など見当たらない原野に群生しているのを見かけることである。基本的に輸入園芸種であるから、人跡が薄い場所に自然に生えてくるものではないのだ。
これに関して聞いた話だが、この花が群生している場所はかつて人の暮らしがあったのだという。日々の生活の慰めに植えた花が、その主を失った後も、繁殖力の強さからそのまま生き残り、いつしか自生するようになったというのだ。
話は変わるが深名線・蕗ノ台は仲間内ではやばい駅とされていた。何がやばいって雨竜山地の奥深く、それこそ人家の一軒も無いところにあり、ヒグマの楽園と化しているというのだ。実際深名線の運転士は線路際でたびたびヒグマを目撃すると言う。秘境中の秘境ともいえるこの駅は一度訪ねたい場所だったが、次の列車まで数時間、ひとり取り残されるのはさすがに恐ろしく、結局車という足を手に入れた1987年の夏まで待つことになる。
初夏の蕗ノ台駅は一面のルピナスのなかにあった。ホームは上屋すらなく、草は伸び放題、しかし風に揺れるルピナスの群生はピンクやパープルのじゅうたんのように駅を埋めて甘い香りを放つ。何も無いと思っていた駅の周辺には数軒の廃屋が建っていた。ルピナスをかきわけて朽ち果てた建物を覗くと、壁の断熱材代わりにしていたのだろう、張り付いた古新聞の日付は昭和38年だった。
かつてここは開拓部落だった。苦難の歳月を重ねた後、はるか昔に全戸が棄農しここを離れたと知ったのは後のことである。ここにどんな人生があったのか知る由も無い。駅を埋めて色を競うルピナスだけが、かつてここに人間の暮らしがあったこと、それを忘れ去られることを拒否するかのように咲き誇っていた。
深名線は地方ローカル線の廃止の嵐の中を遅くまで生き残ったが、1997年に廃止となった。線路も駅もやがて原野に還り、ルピナスだけが遠い記憶を伝えて咲き続けるのだろう。
|