風太郎の「旅の空」
 
 ピンネシリの夜  ( 北海道 天北線 敏音知駅 )
 地図

ピンネシリの夜駅名の由来は目の前にあるピンネシリ岳(標高704m)だ。ちなみに隣の駅は「松音知」で、これはマツネシリ岳から来る。ピンとマツはそれぞれアイヌ語で「男山」「女山」の関係にあり、さして高い山ではないが、低い丘が連なるようなこのあたりでは良く目立つ独立峰で、地域のシンボルのようになっている。ピンネシリの頂上まで上がると遠くオホーツクまで見渡せるそうだし一度登ってみたい山なのだが、おいそれといける場所でもない。

                                            ピンネシリ岳


1988
1月、天北線の存続がいよいよ怪しいと聞き、前々からその佇まいが気になっていたこの駅を夜に訪れた。交換駅でもあり手入れはよく行き届いて雰囲気のある駅なのだが、いかんせん小さな集落があるだけの北海道の山中である。深い雪が降り積もった周辺は真っ暗で、ピンネシリの山容も周囲の森もとっぷりと闇の中に沈んでいる。駅舎入口にほんのり灯る裸電球だけが「人の存在」を主張するかのようだ。

 切符  切符

                     入場券のおまけ  「敏音知駅 到着証明書」

駅入口に掲げられた駅名看板は、よくある安手のものではなく、大木から製材したと思われる木目の立派な板に駅名が大書されている。このあたりは林業が盛んだったこともあり、木材産地としての歴史やプライドを感じさせる。ひとり駅を守っている駅長さんから入場券を求めてひと通り周辺を撮った後、待合室に居るとさっきの駅長さんが「お茶でもいかがですか」と駅務室に招き入れてくれたので、有難く熱いお茶をすすりながら暫く話をした。

ピンネシリの夜

天北線の廃止がほぼ決定の今、ここに働く人にとっても「終わり」が迫っているのではないかと思う。風太郎の昔の知り合いで、根室本線の普通列車で車掌をしていた男がいる。荷物車
(マニ)に乗ってゴロゴロ走り、荷扱いがある駅毎に積み下ろしをしていたという。
ところがJR化後北海道から広域異動でJR東日本に移り、なんと山手線の車掌に転身してしまった。大陸的にのんびりした男だったので、さぞや凄まじいカルチャーショックだったろうと案じたものだ。駅長相手にそんな話をした。

        ピンネシリの夜
   
  駅務室の閉塞






腕木信号機のテコ





駅長は口数の多い人ではなかったが、「若い人ではそういう人もいるようですねえ。でも私らの年ではねえ。ここで生まれて育ちましたから。北海道からは離れたくないですねえ。」と言った。日に何本も列車が無いローカル線の仕事は呑気なようだが、大雪が降れば夜中に起きて、しばれる寒気のなか始発列車の乗客のために駅前の除雪をする話、ポイントが凍りつくため、ツルハシでレールの間の氷を丹念に砕いて取り除く話、今は単身赴任が多いが、かつてそういった作業は家族総出だった話、その他もろもろ北辺の鉄路を守る苦労を聞かせてくれた。


話が途切れると、駅を包む静寂がことのほか深く感じられた。窓の外は電灯に照らされて粉雪が舞うのが見える。ふいに閉塞器がチンチンと音をたて始め、駅長は立ち上がって操作を始めた。列車が来るのだ。風太郎は身支度を整えるとホームに出た。音を雪に吸い込まれた列車が意外なほど静かに入ってくると、駅長は信号テコをガタンと操作し、彼方の出発信号機が青白く灯った。

乗り込み際、「お世話になりました」と声をかけると駅長は黙って手を挙げた。遠ざかるホームに立つ駅長は、舞い上がる雪煙ですぐに見えなくなった。 





19895月、日本中がバブル景気に沸き立つなか、天北線はひっそり廃止になった。敏音知駅の跡地は現在「道の駅ピンネシリ」になっている。ホームの一部と駅名標、「敏音知駅跡」のモニュメントがあるものの、往時の面影は無い。でも分かるだろうか、建物の入り口には在りし日の立派な駅名看板が掲げられている。
                   

 ピンネシリの夜ピンネシリの夜












                                       道の駅 ピンネシリ




 
 ピンネシリの夜
 
風太郎の 「旅の空」TOPへ
 
 TOP PAGE へ