九州は島原半島を大きく回り込んでいく島原鉄道の、大三東駅は「日本一海に近い駅」とされる。川崎の「海芝浦」が一番という説もあるが、アレは「運河」と呼ぶほうが正しい。その点、大三東は有明海という本当の海が眼下に広がる駅だ。干満の差が激しい有明海のこと、時間帯によって変わるのだが、満潮時のホームに立つと、まるで船の甲板にいるような錯覚さえ覚える。
ホームとキハ2000
1982年8月、真夏の日差しが眩しい駅で写真を撮っていると、突然「天狗」がやって来た。子供たちを引き連れた天狗は悠々とホームを横切り、行く先を見ると小さな神社が沢山の提灯で埋まっている。
そうか、この海辺の町は夏祭りなのだ。
神社を覗いてみると、世話役らしい地元の人たちが酒を酌み交わしている。見慣れない男が来たと見るや、さっそく「何処から来なすった」と聞かれる。「東京」と答えると「都(みやこ)から!?」と大仰に驚かれ、とにかく飲んでいけ、ということになった。口にするとこれが強烈な麦焼酎でクラクラしたが、暑さで脱水状態だったのでグイとやってしまう。「こーんな何もないとこ、何撮りに来た?」といつもの質問攻めにあった後、境内につながれている馬(神馬だそうだ)に乗れ、そのカメラで撮ってやる、と言う。神馬に跨って当惑気味の風太郎の写真が残っている。
ほろ酔い加減の風太郎は改めて駅に向かった。
小さな無人の駅舎があるのだが、中を一生懸命掃除しているおばあチャンがいた。穏やかな表情が良かったので1枚撮らせてもらった後、いろいろ話した。
駅前の雑貨屋に嫁いで来たのだが、何十年も前から駅の掃除をしているのだという。「都から来なすったか」とまた驚かれ、自分はこの土地から一歩も出たことが無いのだと言った。招かれるまま自宅の縁側でお茶までご馳走になった。
居心地が良かったので結局この海辺の駅に日が沈むまでいた。空と海の境目が分からなくなると、神社の提灯に灯が入り、波の音と共に小さくお囃子が聞こえて来る。
駅で会ったおばあチャンには、帰京してから写真と共に草履を送ってあげた。暫くして礼状が来たが、これが感動モノの文章なのだ。(原文のまま 一部略)
私は八十四歳になります。つまらん百しょうでびんぼうぐらしですが、えらい人たちにめぐまれてどーゆしあわせもんとよろこんでおります。朝はお日さまがありがたく、手をあわせます。よるはまんまるのお月さまがのぼります。うみはきんぎんにかがやいて、大三東はほんとうによいところです。またけんぶつにきてください。魚もいきたもんばかりでおいしいですよ。えんりょはいりません。それではお元気で。
昇る朝日に、満月に、海の輝きに、そして自分の周囲の人々に、日々感謝の手を合わせ、静かにいち日を終える。煩悩に満ちた風太郎も、その生を終える時には、かくありたいと希う。
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