野辺地〜西千曳間はもともと東北本線が走っていたが、ルート変更の後、路盤と国鉄千曳駅を譲り受けて改称したのが西千曳だ。そういう経緯により同鉄道では最古参の駅であり、風雪に耐えた、という雰囲気の駅が少ない中で貴重だ。手入れが行き届かず廃屋寸前であり、仲間内では、ほんの序の口の位置にあるこの駅など目もくれず、奥に歩を進める者が多かったが、「ボロ駅好き」の風太郎としてはどうにも気になったらしく、しつこくここで撮っている。
太平洋側で海からも遠くないから意外だったのだが、結構ドカ雪が降る土地で、線路の両脇は高い雪の壁が出来ている。西千曳駅で乗降する人を見ていて面白いのは、ホームから線路に降りて向かい側の雪の壁をよじ登り、除雪などしていない雪原を突っ切って歩いていくことだ。
線路を挟んだ向かい側に集落があり、これが近道らしかった。下校時間帯になると地元の小学生が大勢降りてきてこの道を通る。雪国の子供のくせに深みに足をとられてひっくり返り、雪まみれになる奴もいて面白い。雪に埋もれて今にも倒壊しそうな駅だが、この子達が大人になった時、ある日ふと思い出す場所なのかもしれない、と思った。
夜の西千曳
続いて坪川駅。文字通り「坪川」の鉄橋のたもとの築堤の上にへばりつくように建っているが、絵になる駅なので結構ここでも撮った。道路を歩いてきた人は短い階段を上がってホームに出るのだが、小高いので見晴らしが良い。もっとも吹雪ともなれば吹きさらしで寒いのなんの。
坪川駅
D45の引く貨物列車
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このあたりは国道4号線がすぐ脇を通り、バスが結構走っていて移動に便利だったので、風太郎愛用の5万分の1地形図にはバス停の位置が細かく記入してある。条件が揃えば雪を頂いた八甲田の山々をバックに撮れるといい、実際そういう写真を見たことがあるが、風太郎はついぞ八甲田を拝むことは無かった。晩秋の空気がよほど澄んだ快晴時あたりの、極めてニッチなチャンスしかないのであろう。
朝日とレールバス
南部縦貫鉄道は、当てにしていた沿線の砂鉄産業が頓挫した後、苦しい経営が続いていたが「東北新幹線が来れば・・・」という話をよく聞いた。七戸に駅が出来るのが決まっており、新幹線連絡鉄道として一気に脚光を浴びるというものだ。しかし並行する国道4号を疾走する車やバスを見るにつけ、それは淡い望みと思わざるを得なかった。結局「南縦」は悲願の新幹線開通を見ることなく1997年に歴史を閉じることになる。
被写体としての「南縦」は、車両は面白いものの、なかなか難しかったというのが印象だ。森田牧場前付近の森や北海道チックな原野など、シーナリーには恵まれていたはずだが、何故だかよく分からない。学生時代に3回程行ったが、そんな気後れもあってか、その後行かないまま廃止になってしまった。結構遅くまで残っていたのに勿体無い事をしたものだ。
レールバスは結局廃止の日まで35年にわたる歳月を完走し、今も七戸駅跡に動態保存されているという。先日開通した新幹線に乗れば七戸まで4時間かからない。お互い製造50年を迎える同級生に、「よおお、お疲れ」と声を掛けに行ってみようか。
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