風太郎の「旅の空」
 
 健さん気分で港町  (北海道 留萌本線 増毛)        
 

1981年公開の「駅 STATION」という邦画がある。監督は降旗康男、主演は高倉健で脚本は「北の国から」の倉本聰。筋は結構複雑なので省略するが、五輪射撃競技の代表まで務めながら職業の無情に疲れた刑事(高倉健)が、様々な心の軌跡を重ね、再び人生と向かい合う勇気を取り戻すまでを描く話だ。

ストーリーの転節点ごとに北海道各地の駅が舞台として配され、駅が「旅」の象徴として主人公の人生の旅と重なる。銭函、上砂川、そして増毛駅が登場するほか、セリフの中にも北見枝幸、歌登、雄冬と渋い地名が飛び交い、全編の標準語である北海道弁の嵐と相まって濃厚な「北海道映画」となっている。





健さんは風太郎にとって永遠の憧れであると共に、
学生時代の友人がこの映画にハマっており、ラストシーンも飾っている「増毛駅」に是非行きたいというリクエストに応えて行くことにしたのは1984年、大学卒業を真近に控えた2月のことだ。
 

映画での増毛はこんな風に登場する。大晦日、故郷の雄冬への連絡船に乗るため健さんがやって来る。列車のなかで悪夢から目覚めた健さんの目に映るのは、暗く沈んだ空、荒れる海、飛び交うカモメ。白く曇った窓ガラスを通した北の港町の描写が何ともいい。荒天欠航で足止めを食った健さんが場末のスナック「桐子」にふらりと入り、そこのママ(倍賞千恵子)と紅白歌合戦を見ながら互いの孤独を暖めあうシーンが、カメラの長回しと相まってこの映画の最高の名場面と言われている。


  増毛に向かうキハ22                        増毛漁港     


風太郎一行は増毛の町なかの、映画に出てくる建物を見つけるたびにキャッキャッと興奮し、果ては雪の積もった路地裏を覗いて「桐子」はこういうところにあるはずだ、と騒いだのだがあるはずもない。しかし、コートの襟を立てた健さんやマフラーをぐるぐる巻きにした倍賞千恵子が路地裏からひょっこり現れてもおかしくないような、映画のイメージそのままの町だ。

 

ところで増毛といえばかつてニシン漁で栄華を極めた土地である。風太郎は耳学問で知っているだけで、実物のニシンなどどんな魚だったか思い出せない程だが、小雪の降る港を歩くと漁師のおじさんが小型の魚の山をせっせと運んでいる。一枚撮らせてもらった後、これはニシンかと聞いたらスケソウダラだという。



駅前の雑貨屋        
(映画では「風待食堂」として登場)             
                         
                            


                               
                                   増毛漁港
                                      


眼前の海に、もしニシンが戻ったらこの町はかつての活気を取り戻すのだろうか。否であろう。ニシンの時代、日本は貧しく「飢え」という言葉がごく身近なところにあった。ニシンは人々の「飢え」を満たすため必要だったばかりでなく、肥料など多様な用途があったという。海が真黒に染まったというニシンの
群れが現代に必要とされているとは思えないのだ。ニシンの海と共に生きた町は、そんな過去とはとうの
昔に決別しているように見えた。

映画に戻る。故郷を後にした健さんは再び増毛に戻り、駅の待合室のストーブで懐に忍ばせた辞表を燃やす。自らの人生と再び向かい合うべく、留萌ゆきの最終列車に乗り込むのだ。発車したキハが闇に消えて映画はエンドロールとなる。赤く尾を引くテールランプが印象的で、美しく心に残るエンディングだ。

       





風太郎一行は首尾良く駅前好立地の旅館を確保して夕飯を食べたのだが、時計を睨んで落ち着かない。増毛発最終列車を映画と同じフレーミングで撮ってやろうというのだ。外は寒いので発車ギリギリまで待って旅館を飛び出し、あらかじめアタリをつけていた場所に三脚を据えてバルブ。列車は映画と同じようにテールを引いて闇に消えた。映画ではここで八代亜紀の「舟歌」が流れるのだが、今はしんと静まった駅だけが残った。



 
 
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