風太郎の「旅の空」  
   
 番外編その2  白熱電球の色気  
   

風太郎の家にも「LED電球」がやってきた。電力消費量は白熱電球の8分の1というから比較にならない。タマ自体は高いには高いが、電気料金ですぐモトはとれそうだし、何より昨今の国策節電ブームのなか、使わない訳にもいくまい。 

さてここで歴史の舞台から消えつつあるのは白熱電球だ。何でも2012年には生産を止めるというから、文字通り風前の灯である。エジソンの大発明以来、原理的には変わらず100年以上の間、世の中を照らし続けた白熱電球の終焉には感無量という他ない。

と、ここまで風太郎が感傷的になるのは、風太郎の昔の写真と白熱電球は切っても切れない縁があったからだ。当時から電気を食う問題もあって、ローカル線の駅や車内の照明も急速に蛍光灯に置き換わりつつあったのだが、まだ要所要所に白熱電球の照明が残っていた。


白熱電球は、いわゆる「色温度が低い光」で見た目も黄色いが、写真に撮ると赤っぽく何とも温かみを感じる色になる。特に朝夕、風景全体がブルーに色かぶりする時間帯に
白熱電球が灯ると、ピンクがかったような何とも色っぽい発色をするのだ。


蛍光灯の場合はブルーやグリーンの寒色系の発色になり、これはこれで雪景色などでは寒々しさが強調されて面白いこともあるが、生活に根を下ろしたローカル線には暖かみのある白熱電球の灯りがよく似合う。周囲の景色が荒涼としていればいるほど、暖色の色彩に「人が集う場所」としての温もりを感じるのだ。

 

蒲原鉄道ではそんな白熱電球が堂々主役を張っていた。ここの駅構内照明はいわゆる「裸電球」で、傘の着いたむき出しの電球が待合小屋の軒先や電柱の上にちょこんと乗っていた。暮れなずむ雪原の小駅に灯るとそれだけで絵になる。電車の方も古豪モハ12は白熱灯照明で、赤っぽい柔らかな光が車内を優しく照らしていた。

 



                  蒲原鉄道 高松




通常、電化路線であっても動力用の電源と駅構内等付帯設備の電源は別系統の場合が多いのだが、蒲原鉄道は動力電源が
600Vと低電圧だったこともあってか、双方が共通の電源だったようだ。冬の明け方など架線に氷が着くので、電車が走るとパンタとの間でスパークが散り、瞬間的に電圧が降下するのか駅構内の照明もチラチラした。明けやらぬ空の下、瞬きだした裸電球を見ながら電車の接近を待ったのも思い出だ。



     蒲原鉄道 モハ12


 

蒲原鉄道 七谷
 

天北線 曲淵

                                       

国鉄の場合は急速に蛍光灯化が進んでいたが、なぜか駅のひさしの上には裸電球が灯ることが多かった。天北線松音知の駅舎は築堤の上にあってよく目立ち、いい雰囲気なのだが、無人化されて久しく駅舎は荒れ気味で、風太郎が訪ねた時はひさしの電球が割れていた。これはもったいない、と風太郎は近くのなんでも屋で電球を買い求め、点けてみたらいい感じに灯った。JR北海道に電球1個寄付してモノにしたのが下の写真である。 

小さな電球だが、暗い田舎のこと夜目にもよく目立ち、「駅」の存在を精一杯主張しているようにも見える。かつてこの国の津々浦々が2本のレールでのみ外の世界と繋がっていた時代があった。その土地に来る人も去る人も必ず駅を通り、生活の糧が積み出され、都会の香りもここから届けられた。白熱電球の暖かな灯りには、そんな遠い時代の記憶をも織り込まれているようだ。 


以って瞑すべし、白熱電球。

                              
 
  
 
         
 
 
   
 
   
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