大泊町町長の部屋
町長から
都市としての大泊町は、例えば今ようやくにして普通教育を終えたる児童に比すべきものであります。
更に中学校に入り、専門学校を卒えるには、なお蛍雪幾春秋を要するとはいえ、
その環境はすこぶる恵まれ、その智的肉体的素質もまた極めて非凡であります。
であるからには今後、これを善用しつつ刻苦勉励する限り
その優良なる素質は年とともにますます発揚せられ、ついには栄えある月桂冠を戴くこと必定でありましょう。
大泊町の前途如何ということは、極めて複雑かつ重大なる問題にして、
軽々と断ずることは出来ませぬが、現在我が町は、内地北海道連絡の関門に位置し、
本島鉄道幹線の起点として、樺太随一の商業地であり海陸物資集散の中心地であります。
由来、四面環海の樺太に於ける産業の振興、開拓の進捗は港湾と鉄道が相伴って改善普及発達するにあらざれば期待が難しいものであります。
幸いにも、大泊は煙波一碧画くが如きの亜庭湾中部にあり、天然の良湾を形作り、これに加え、岸壁には2〜3000トン級の巨船数隻を横付けせしめ、
鉄道幹線は川上・留多加両線と結び、さらには東西両海岸線や野久線の連携と、恵まれたる運輸交通網を活用して、本島の呑吐港たる使命を果たさんとするものであります。
もとより歴史には偶然なる事象の介入、逆流後退があるものです。
未来が包蔵する驚異、変化あるいは失望はただ神のみぞ知るところであります。
しかし、これらの自然的ならびに経済的条件を鑑みても、誰か近き将来において実現せんとする我が大泊の大発展を誰か疑い得ましょうや。
本サイトの情報は、すでに発行せるものを改訂し、最近に於ける大泊町の事情を広く紹介して
僅かながらも拓殖の発展、観光の振興に寄与せんがために編纂したものであります。
(「大泊町勢要覧」昭和3年7月より書き下し転載)
歴代町長 | 大正11年(1922年)樺太町村制が公布され大泊郡大泊町と称することとなりました。当時の町長は樺太庁長官による任命でした。昭和4年(1929年)現行の樺太町村制が施行され、一級町村である大泊では町会において町長を選出することとなりました。 |
大泊町歴代町長
氏名 | 自 | 至 | 備考 |
大野 順末 | 大正11年3月31日 | 大正13年1月18日 | 名誉職 |
高橋 昌 | 大正13年1月18日 | 大正14年6月7日 | |
大野 順末 | 大正14年6月18日 | 昭和2年9月30日 | 名誉職 |
丸山郁之助 | 昭和2年9月30日 | 昭和4年6月30日 | |
丸山郁之助 | 昭和4年6月30日 | 昭和4年9月24日 | 臨時代理者 |
大野 順末 | 昭和4年9月24日 | 昭和5年1月6日 | 名誉職 |
入江 矩夫 | 昭和5年1月23日 | 昭和7年6月20日 | |
松尾 鉱治 | 昭和7年7月6日 | 昭和10年10月14日 | |
吉川 平八 | 昭和11年1月9日 | 名誉職 | |