震生湖

震生湖主湖
日本で一番新しい自然湖、震生湖です。
名前の通り地震で生まれた湖、関東大震災のときにできました。
地震で周囲の渋沢丘陵が崩落し、市木沢をせき止めて誕生しました。
北西部の主湖と、南東部の副湖とからなっており、ちょうどこの間のところに橋が架かっています。
また、昭和30年頃までは売店の北側にも小さな湖があったそうです。
湖辺は1km、平均の深さ4m、最深部で10m、現在は流入河川も流出河川もありません。
震生湖自体は、地下水脈で周囲とつながっています。
上流をせき止められてしまった市木沢は現在も下流のほうが存在しています。
震生湖副湖


もともと南秦野村と中井村の境にあった土地なので今でも周囲は大変のどかです。
周辺には50種類あまりの野鳥、約100種類の野草が見られます。
湖の中には釣り人が放ったブラックバスなどが生息しています。


句碑
湖畔の売店そばには物理学者寺田寅彦が詠んだ「山さけて成しける池や水すまし」の句碑があります。
「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉で有名な人です(実際は違うようですが)。
このほかにも「穂芒(ほすすき)や地震に裂けたる山の腹」「そば陸穂(おかぼ)丸う山越す秋の風」の2句を残しています。
彼は東大地震研究所の所員として昭和5年(1930年)9月にこの地へやってきました。
ここでの調査は東大地震研の報第十号「秦野に於ける山崩」として昭和6年に受理されています。


ちなみに「震生湖」の名についても寅彦が名付けたいう話がありますが、
彼がここへ調査に来る前の昭和3年発行「神奈川県中郡南秦野村郷土誌」には既に「震生湖」の名前が出ています。
どうやら地元の人たちが考えた名前が定着したようです。
また、昭和初めに作成された地図には「震生池」という名前も出ています。



北側

駐車場もあるし、湖周囲の道からの眺めもよく、こぢんまりしたところなので、散歩にちょうどいいところです。
ちなみに中井側に回ると天気がいいと相模湾や大島まで見渡せます。

すすきの南側。ちらっと大島も







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☆参考文献
『秦野ふるさとめぐり改訂版』秦野市教育研究所
『秦野市史 近代2』秦野市
『図説秦野の歴史』秦野市
『秦野町誌並震災復興誌』秦野町