一色の宮



ちょっと古いどころではなく、とっても古いものです。
時は室町時代中期の永享の乱(1438〜39年)。
鎌倉公方足柄持氏は幕府軍に敗北をします。
持氏の家臣であった一色伊代守六郎の近親者は追っ手から逃れ今泉の館にたどり着きます。
その後再び落ち延びていくのですが、ここは彼の館があった場所と伝えられています。
今は六間坂を上っていった畑の中に、サカキの木々に守られた正保2年(1645年)造立の庚申塔があるのみです。




戦国時代の軍記物『鎌倉大草紙』には伊代守が落ち延びた場所は「相州今泉」とありますが、ここの事かは実ははっきりしません。
『新編相模国風土記稿』の今泉村の項には、
「今泉という村は鎌倉郡・高座郡にもあるが、ある本に伊代守の塁は梅澤より2里とあるからこの今泉村だろう」
という内容がありますが「其塁跡伝説共に失へり」とも書いてあります。
(むしろ高座郡の今泉の方には言い伝えも残っているようです)
もっともこの書物も天保12年(1841年)成立なので、乱からは400年もの時間が経っています。
とはいえ、ここにある庚申塔は年代が明らかなものとしては秦野でも最古のもので、これだけでも立派に貴重なものです。
いまだに、こんな風景の中に残っていることも素晴らしいことだと思います。




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☆参考文献
『秦野ふるさとめぐり改訂版』秦野市教育研究所
『新編相模国風土記稿』(復刻版)千秋社