堀川を辿る
スタートはここ。水無川の暗渠出口です。
公園内を歩いて行きたいと思います。
まったく本題とは無関係ですが、昔土俵だったところです。

運動公園から、パサデナ通りを渡って体育館の前庭。
パサデナ通りも廃止になるという話がありますが、それは別の話。
ここは窪んでいますが、体育館ができるまでは図書館沿いの路とそれに沿って流れがありました。

当時は路は窪んでなかったかな
さて、体育館と図書館の間を抜けて、文化会館裏をのぞむとくねっと曲がった市道に出ます。

ここはきっとかつての堀川とそれに沿った路を踏襲したものです。
左手のフェンスの中の並木はもしかしたら当時から残っている物かもしれません。

工場敷地の端まで行かずに、くねっと曲がっていきます。

産業道路を渡ると開渠になります。川っぽくはないけど。
小さい頃、反対岸に侵入した気がしますが、もういけませんですな。
工場の水路のようにも見えるけど、この開渠は工場敷地の外を流れています。
きっと、堀川なんだろうなあ。しかし、この開渠もテクノパーク交差点を前に再び地中に潜ってしまいます


県道に入ってからはまったく川は行方不明。
というよりこの道路自体が川をつぶして作った感じです。


それでも、桜土手取水場があったり、道路脇の田んぼへ水を引く水門があったり。
道路下に水路が残っている気配はちらほらあります。
(ただし、そもそも水量は少ないはず)
そんな県道ですが、
道路沿いにお社があったり、県道をちょっと離れたら路地に小さな石仏があったりのどかな風景も残っています。


さて、新橋交差点です。もしかして将来、この先に道を延ばして、新東名とか246バイパスと接続させるのでしょうか。
この先は昔ながらの風景が残っているんだけど…
さて、それはともかく「新橋」。橋なんかないけど…?
きっとこの交差点が言うところの「新橋」はかつてここにあった橋のことと思われます。
県道が広くなる時点で堀川の暗渠化とともになくなってしまったのでしょう。
そして、なんと交差点の向こう側の棒杭に…

新橋跡!今までちっとも気づかなかった。
この交差点から先は流路が残っています。
写真に写ってる奥に続いていく木々の下がそうです
さて、ここからはもう一気に最後まで。
県道ではなく堀川に付いたり離れたりしながら上流へ向かいます。
途中川の見えるところを通ります。ここはかつて堀大橋があったところ。
昭和14年に架かって、28年に永久橋化。平成2年に道路工事で廃橋になりました。

現在堀川に架かる橋で唯一名前がついている、堀八幡橋。奥は堀之郷正八幡宮です。
ここから川を覗くと…

あ、水が流れています!しかも音を立ててかなりの水量が。
実はこれ、八幡宮裏の水路から流れ込んでくる水なんですが、もともと堀川は放水路が起源ですです。
水の出所については大きな問題ではないでしょう。
橋も立派だし、ここが最も川らしいポイントではないでしょうか。
少し、上に上がっていくと

新東名ここ通るの?
便利にはなるんだろうけど複雑です。
県道の一本西側の道を上っていきます。

奥に見える緑の木々が堀川の流路です
途中ではこんなかわいらしい祠も。

そして、ここが水路のたどれる最後のポイント。

この暗渠の反対側にはもう水は流れてはいませんでした。
(流路はあるので雨が降ったりしたら流れるかも)
ここからは戸川公園方面へ帰りました。こういう切り通しも、周辺の眺めもよい感じです。

それにしてもここに至るまで川としての「堀川」の名前がわかるのは八幡橋のみでした。
二宮の梅沢川は暗渠化しても、国道一号に堂々と表示が出てるのに…
西地区の地名の大きな源流なんだから、堀川、もう少し大事にしてもらってもいいのになあ。
堀川に戻る
BACK TO THE TOP
☆参考文献
『秦野市史項目辞典』秦野市
『秦野の近代交通』秦野市教育研究所