堀川


堀川は現在ほとんどその姿をみることができなくなってしまった川です。
堀川、堀西、堀山下など地名や学校名などに名残があるものの、実際の川の姿は見たことがない人が多いのではないでしょうか。
15年ほど前に総合体育館ができるまでは、運動公園から図書館へ向かう林の中の小径に沿って、
その姿を見ることができましたが、現在はそれも暗渠となってしまいました。
最新版の25000分1地形図にも、流れそのものは記載されていません。

さて、その流路は堀山下から始まります。
堀之郷正八幡宮の前には、堀八幡橋が架けられており、流れはほとんど見えないものの川らしい雰囲気です。
新橋の丁字路からはほぼ現在の県道706号線に重なり、暗渠となりますが、テクノパーク入り口交差点を過ぎると道沿いに水路が見えてきます。
ただこれは昔の堀川のルートとは多少異なっており、もしかしたら工場の建設に伴って流路が変更されたのかもしれないし、そもそも堀川ではないのかもしれません。
本来の流れは日立正門から文化会館に向かって今の工場敷地内を流れていました。

この水路は日立製作所の東側を流れて、もとの堀川の位置で再び暗渠となり文化会館側へ渡るようです。
文化会館裏手の道は、堀川の流路を覆ってできたものです。
もとの堀川はそこから体育館と図書館の中間あたりを流れていきました。
さて、堀川の現在の最終地点は候補が2つ。
ひとつは水無瀬橋下の大きな排水溝。
昔は開け放してありましたが今では大きな金属のふたに覆われ、また、緑地が水無瀬橋より上流にも整備された折に、小さな橋が架かりました。
しかし、古い航空写真や地図と比較すると、この位置には疑問が残ります。
1971年の堀西羽根線(不二家から246までの産業道路)開通の際に流路を変更した上で暗渠化した工事があった可能性もありますが、
前述の通り1995年頃までは図書館横までの流れが残っていました。
それを踏まえて、元々の合流地点も変更されていないと考えると、その位置は現在の日産車体社宅の対岸あたりになります。
そう考えると、考えられるのはこれ。



う〜ん、何か寂しい気がしてしまいます。


これか?

ということで、今の堀川をたどれるだけたどってみましょう。

堀川を辿る

BACK TO THE TOP ☆参考文献
『秦野誌並震災復興誌』秦野町
『秦野市史項目辞典』秦野市
『秦野の近代交通』秦野市教育研究所