当院刊行書籍・新著刊行

「一炊居閑話」 (発行者:福昌院一炊居文庫  著者:平賀康雄)
 出版のお知らせ

福昌院住職平賀康雄の第五作目の新著を平成二十八年一月十日に発行いたします。
「一炊居閑話」という252ページにわたる随筆集です。
内容的には巻頭の「序文」「発刊に寄せて」及び目次を参照下さい。
近隣の足柄上郡、小田原、秦野の主要書店でも販売(税込1200円)の予定です。
また当方 福昌院 0465(89)2535 へお問い合わせ下されば直接販売もいたします。





目次
〇序文 〇発刊に寄せて 〇薬師様修復成る  〇土地神様の話  〇大絵馬故事出典探索談
○イスラムの優しき人々 〇嫌な仕事を楽しくするコツ  〇多生の縁  〇一入和尚寄八景
〇島国根性  〇素朴な花の美しさ  〇続素朴な花の美しさ  〇世界遺産登録事情
〇部外者への心遣い  〇がんばらない(?)  〇山間の妙薬  〇病気見舞い
〇ありがとう観音 〇花のようなる人ばかり  〇夜回り先生の思い  〇小食が日本を救う
〇原発密度世界一  〇又々お茶の話  〇ルーツ捜し  〇念仏行者の訓歌  〇椿談義
〇夢の意味  〇佳人薄命  〇合歓香  〇土手の榎木残る  〇うつ病の克服法
〇城山居士を思う  〇筋違いな言動  〇不殺生の話  〇ゴミ除け地蔵
〇昔はみんな歩いてた  〇ヒーリングスポット  〇四弘誓願  〇郷土史家北村茂先生
〇大般若会の話  〇得がたい仏縁  〇東イチゲの花を手折るな  〇災難を免れる妙法
〇東司の話  〇時間の加速度化  〇由緒来歴ねつ造譚  〇左右の話
〇領有権争いの愚かさ  〇言霊の話  〇神社合祀令  〇報徳思想復活か?
〇個人情報保護如何?  〇お焚き上げの話  〇木の切り旬  〇祈りの力  
〇見えぬものでもあるんだよ(文明機器公害)  〇木造建築の耐久性  〇お盆の真義
〇地球温暖化  〇ヘビよ出てこい  〇お施餓鬼  〇形の話  〇松枯れの元凶
〇投機的取引の是非  〇運・不運のからくり  〇早起きの効用  〇相武台逸話
〇公共事業公害  〇貯得通帳  〇身の程知らず  〇滞るという事  
〇スマートな世捨て人  〇幸せの行方  〇世紀末の身の処し方  〇閻魔帳  〇お月様
〇砥部焼の水差し  〇習慣的坐禅の勧め  〇三竦み  〇我は木偶なり  〇植樹祭
〇文殊菩薩到来経緯  〇心と魂の話  〇緑茶の効能(その一)  〇ガン告知の是非
〇インスピレーション  〇カルト対策  〇魔境について  〇神仏分離  〇文学の真骨頂
〇学童疎開 〇幸福の手紙 〇茶人文盲 〇教育者、和田重正先生 〇山の崩壊と水神さん
〇いただきます。ごちそうさま。  〇菜食の効能  〇時間を伸縮する  〇龍神(龍王)
〇人を呪わば  〇夢と潜在意識  〇アオバズクの住み家  〇天狗への親しき思い
〇日本人の誇り  〇十七世活山和尚  〇裏切られたら自分の不徳  〇茶恩
〇蓮の花談義  〇権利の主張  〇便所掃除  〇主体性の涵養  〇箱根杉並木逸話


序文
                                平賀 康雄
 昭和五十四年末の龍王寺住職就任以来、寺報または寺だよりといった類いの定期刊行物の
発刊をしたいという漠然とした思いがあった。限られた法事や葬儀の場だけでは仏教の教え
や自分自身の考え方をより広範囲の人達に伝達しえない。布教の具体的な一手段として又寺
と檀家をつなぐ交流誌という意味においても遠からずの寺報の刊行を意図していた。人前で
話しをするのは元来苦手であるし、文書を書くのも得意なわけでもないが、僧侶として何ら
かの声を発することは為すべき使命であると感じていた。
ありがたくも時が熟して昭和五十七年のお盆を前にして「龍王寺だより」発刊にこぎつけ、
以後三十年以上にわたって継続し、今日に至っている(途中、昭和六十年の福昌院住職就任
以降は「福昌院、龍王寺寺だより」と改名)。この寺だよりは全六ページよりなり、概ね巻
頭禅語、巻頭言、寺檀動静、〇〇の話、仏教語等解説シリーズ、竹林随想の六種構成からな
っている。この中の巻頭言、竹林随想あたりを主体として選び出し、一部手を加えてまとめ、
「一炊居閑話」と新たに命題したものが本書である。
さて「一炊居」とはかの「黄粱一炊の夢」の故事を出典とする私の新造語である。やや長くなる
が本書「一炊居閑話」命題の経緯について言及しておきたい。この経緯は福昌院、龍王寺寺だ
より第六十六号(平成二十七年正月号)の巻頭禅語「一炊居」に詳しく書き付けたが、それは次
の如くである。
『「人生は長いように思えても、過ぎてみればほんの一瞬である」旨を先人は様々の言い方で
残している。「黄粱(こうりよう)一炊(いつすい)の夢(邯鄲(かんたん)の夢)」なども、その一
典型の言葉である。私も五十才を過ぎてからはしみじみそのような実感を持つようになり、
寺の庫裏にあえて「一炊居」と名前を付けた。一炊居とは私の勝手な造語であるが、「ほんの一
時を煮炊きをして過ごすだけの仮の住まいの我が家」との意味である。爾来、そのような思い
と共に、毎日、毎日を大事に、感謝して、味わって過ごすように心がけている。
さて、十年程前、愛知万博が開催された際、私は特に関心も無かったものの、友人から入館
券もあるので是非にと誘われて出かけることになった。たまたま中国のパビリオンに入った
時、そこには中国の高名な書家が来館しており、入場者の希望に応じ、どんな書でも(無料で)
書いてくれるというサービスを行っていた。私はとっさにその場で買い求めた大ぶりの白地
の扇子に 「一炊居」と隷書体で揮毫してもらい、それを庫裡の一室に飾った。
与えられ、定められている我々の命である。いつまでも長生きできる訳では無い。また色々
財産や名声などあってもあの世に持って行けるわけでもない。それなのに自分の持ち物と、
寿命にかぎっては永遠であるかのような錯覚を持っている人達が多いような気もする。最近
は益々そのような思いしきりとなり、今度は私の敬愛する彫刻家小清水頂山師にお願いし、
(以前から出番を待ち望んでいたような、私の手持ちの)欅板に「一炊居」と篆書体で刻んでい
ただき、扁額として庫裡の玄関に掲げさせていただいた。』以上。
尚、本文文章の掲載順は新しい執筆年代から古い年代へ遡る形で掲載してある。のっけから
古い時期の文章が出てくると、どうしても文章が色あせていたり、時代感覚の違和感から陳
腐の感が否めず、読書意欲が失せるのを恐れての事である。古い時代の話でも、ことによっ
たら中には捨てがたい話もあるかもと掲載する次第である。読者にはその辺をご諒解いただ
き、目次題名を参照しつつ、関心のある部分だけでもお目を通していただければと思う。


発刊に寄せて
                              東泉院 岸達志
 著者平賀さんは仏門に、社会に幅広くご活躍の方でありますが、本書「一炊居閑話」はその
自序にも使われている言葉「光陰は矢よりも速やかなり」との思いを色濃くこめて書かれてい
るように思います。
この本をみると、仏の教えはもとより、人生観、社会観、自然観、歴史観、人物観等々が平
明な語り口で綴られて、閑寂な福昌院の書院で親しくお話を伺っているような気分になって
きます。
平賀さんが明敏、良識加えて篤実な人となりで衆望を集めていることは皆さん周知のことで
しょう。しかし本書をみてもう一つ感じ入ることは実行力のことです。寺院運営から境内整
備、寺院行事の進め方、私などはただただ感心するばかりです。それも押しつけがましくな
く、すべてのことを自然に成り立たせてゆく本物の実行力のあることです。
自然と言えば素朴な花の美しさや、私など当たり前に聞き過ごす鳥の声への感受性などは、
平賀さんの茶道、華道、音楽の方面への造詣の深さからでしょう。私はそうした心の豊かさ
を秘めた謙虚なお人柄が、実行の原動力になっていると思います。
本文中の先々代一入和尚、城山居士、北村茂先生(令兄は民俗学者北村公佐氏)等は私も敬慕
親炙しましたので懐かしく読ませていただきました。「多生の縁」では私の事を引き合いに出
されていますが、過褒に過ぎ、汗顔慚愧あるのみです。
壮年ながら平賀さんは自らの半生を一炊の夢≠ニ断じておられます。一日の時間を有効に
生かすことが嫌なことを楽しくするコツだとされ、与えられた役目を少しでも果たして行こ
うと書いています。私はこれを加齢の我が身に引き当て「出来ることを出来る時に出来るだけ
やる」と策励されたと省みております。その他、目次をみると、「夜回り先生の思い」とか「災
難を免れる妙法」、「個人情報保護如何」、「人を呪わば」等興味津々の題が目に入ります。
どこを読んでも珍しく参考になる話や、考えさせられ探求したくなる話ばかりです。しかも
一章が簡明で分かり易く短い、こういう本はなかなかありません。
さて本来なら洞門の例にならい、平賀老師と申し上げるところですが、それでは福昌院書院
でお話を伺っている気分にはなれません。そこで親しく平賀さんと呼びかけることにし、文
章も会話体にさせて頂きました。失礼をお許し願います。
陽春の好日、山上に拝参して、じかに平賀さんから閑話を伺い清談を交わしたい等との思い
もあります。
寒さ加わる折、御自愛、御身大切にお過ごし下さって、次には(お若い時時から続けておられ
る)登山の話や外国旅行談などお聞かせ頂きたく思っております。
所感を述べて、広く皆さんに本書を味読して頂きたくお薦めする次第であります。
平成二十七年十二月一日記


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