浦頭引揚記念平和公園 / 浦頭引揚記念資料館 

浦頭引揚記念平和公園 / 浦頭引揚記念資料館
1945(昭和20)年8月の第二次世界大戦配線に伴い、様々な理由で海外へ渡っていた日本人の、日本への引揚げ(帰国)が始まりました。 海外から日本へ引揚げたの方々の延べ人数は約629万人と言われています。

佐世保は外地からの引揚港に指定され、 佐世保引揚援護局があった佐世保市浦頭には1,396,468人(佐世保引揚援護局公表)が上陸されました。

当時の悲惨な引揚げの体験を後世に伝え、 世界の恒久平和を願い、この引揚げの地を歴史的遺産として永遠に残すために、 元検疫所跡地を見下ろす場所に 「浦頭引揚平和記念公園」 が造られました。
また平和記念公園内には引揚者に関わる品々、引揚げに関する資料などを展示した 「浦頭引揚記念資料館」 が建っています。

 ▲ 浦頭引揚記念資料館
引揚者の多くは栄養失調など、敗戦の失意と迫害の為に疲労困憊の状況でした。 また、無言の帰国をされた方、船内で帰らぬ人となった方などなど・・・

引揚者は、上陸と同時に消毒のためDDTの散布を浴び、検疫後、約7キロの山道を歩いて 佐世保引揚救護局(現在のハウステンボス付近)へと向かいました。 そこで引揚げ手続きを終え、衣服や日用品の支給を受けると、南風崎駅からそれぞれの故郷へ帰って行きました。

 ▲ 「かえり船」の歌碑


 ▲ 資料館内。引揚船の模型と、引揚者が使用した日用品など

 ▲ 資料館内。

 ▲ 資料館内。引揚船と引揚第一歩の地。浦頭引揚についてのパネル

 ▲ 資料館内。ビデオを見せて頂く。

 ▲ 引揚げに関するパネルや資料、中央にジオラマ

 ▲ 当時のジオラマ

 ▲ 引揚に関する年表

 ▲ 引揚者が身に着けていた服・帽子・鞄

 ▲ 引揚船の中で生まれた命もあった

 ▲ 引揚婦女子は相談所へ。これが意味する物は・・・

 ▲ 米軍の輸送船「ボゴタ丸」ではフィリピン方面で戦死した御遺体・御遺骨を運んだ

 ▲ 引揚についてのパネルと、引揚者の身の周りの品々

 ▲ DDT用噴霧器など、検疫所で使用された物

 ▲ 引揚者の私物は返還される

 ▲ 平和の像と引揚者の像

 ▲ 浦頭引揚記念平和公園の平和の像
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浦頭引揚記念資料館 DATA
住所佐世保市針尾北町824番地
電話番号0956-58-2561
時間4月〜10月:午前9時から午後6時
11月〜3月:午前9時から午後5時
駐車場あり
公式HP
備考
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last visited : 2019/04/13