鹿屋市笠野原周辺の戦争遺跡 
笠野原海軍航空基地
笠野原飛行場は、40haの敷地が農家から借り上げられ、 在郷軍人や青年たちの奉仕作業により、大正11(1922)年に 大刀洗陸軍飛行場(福岡県)の離着陸用の民間飛行場として誕生しました。
その後、格納庫・整備工場・兵舎などの施設が増築され、敷地は120haまで拡張されました。 真珠湾攻撃に参加した第二航空戦隊艦爆撃隊も、この飛行場を使用したとされています。
昭和19年1月15日には海軍航空隊基地が設置され、田中隊一個中隊が常駐することとなりました。 昭和20年1月には、第二百三航空隊零式戦闘機72機が配備され、特別攻撃隊として南海の戦場に散っていきました。
昭和20年3月18日以降に米軍による集中爆撃を受けると、格納庫を始めとする基地施設は大きな被害を受けました。
東西・南北に1本ずつ滑走路が伸びていましたが、終戦後に払い下げられ、現在は農地や住宅地が広がっています。

 ▲ 掩体壕の正面部分に崩壊が目立つ

 ▲ 川東掩体壕
川東掩体壕
掩体壕(えんたいごう)とは、戦時中に航空機や物資などを敵の攻撃や爆風から守るために造られた施設です。 土をコの字型に盛ったもの(無蓋掩体壕)からコンクリート製のもの(有蓋掩体壕)まで、 たくさんの掩体壕が基地周辺に建設されました。
掩体壕づくりには、大人から子供まで多くの人々が動員されました。

この川東掩体壕は、笠野原基地で使用されていたもので、 200基ほど建設されたと言われる掩体壕の中で唯一現存するものです。 この中には零式艦上戦闘機(零戦)が入れられていたと言われています。
戦時中の鉄筋不足を補うためか、アーチ状のコンクリートには玉石が混ぜられています。

掩体壕の周囲は整備されており、駐車場もあります。

 ▲ 掩体壕正面から内部を写す

 ▲ 掩体壕尾部の方から写す

 ▲ 周囲は田畑が広がる



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笠野原基地地下道入口跡
この地はかつて旧笠之原飛行場として建設され、太平洋戦争末期には 笠之原海軍航空基地となった場所です。
基地の施設は、昭和20年3月18日の連合軍の集中爆撃のため、ほぼ全壊しました。
このコンクリートの入口は、東西に走っていた滑走路へ通ずる地下道の入口並びに 地下通路指令室として現存しているものです。
当時は民有地を買収して飛行場が造られた関係上、終戦により 地元地区民に農地として無償で払い下げられ、現在に至っています。

 ▲ 笠野原基地地下道入口跡
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笠野原基地跡の川東掩体壕 DATA
住所鹿児島県鹿屋市川東町8206-5
電話番号
見学時間終日開放
駐車場あり
公式HP
備考

笠野原基地地下道入口 DATA
住所鹿児島県鹿屋市笠之原町
電話番号
見学時間
駐車場なし
公式HP
備考
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last visited : 2017/06/17