鄭成功廟 / 鄭成功児誕石 / 鄭成功居宅跡 
鄭成功廟(ていせいこうびょう)
鄭成功(ていせいこう)(1624年〜1662年) は平戸市で父・鄭芝龍(中国福建省生まれの貿易商、海賊、官員)と 母・田川松(日本人)の間に生まれた、中国明〜清代の軍人、政治家です。
幼名は福松、元の名(諱)は森、字は明儼。後に鄭成功と名乗ります。 清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった人物です。

幼い頃は平戸で過ごしますが、7歳のときに単身で父の故郷福建に渡り、15歳で南京大学で学びます。 1644年に明が滅ぶと、旧明の皇族たちは各地で亡命政権を作りました。

 ▲ 鄭成功廟

 ▲ 鄭成功廟
同年の鄭成功20歳の頃、亡命政権の一つである南明の2代皇帝隆武帝と謁見し、国姓である朱を賜りましたが、 畏れ多いと言い、朱姓は使わずに鄭成功と名乗ります。
1646年に父・芝龍は南明政権から離れ清朝に降伏しますが、鄭成功は明の復興運動を行い清に抵抗します。 その後軍を率いて明の再興をはかりますが戦いに敗れ、清への反攻の拠点を確保する為に台湾へ向かい、 1661年に台湾を占拠していたオランダ人を追放し、制圧しました。
台湾の漢民族政権による統治は、この鄭成功の政権が史上初めてのことです。
台湾を拠点として「反清復明」を目指した鄭成功ですが、1662年に病死しました。
台湾の台南に「明延平郡王祠」という廟があり、鄭成功と母・松の神位が祀られています。 1962年(昭和37)、台南の「明延平郡王祠」から鄭成功の分霊をうけ、ここ平戸市丸山に廟を建立し「鄭成功廟」として祀られました。



 ▲ 鄭成功廟からの眺め

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鄭成功児誕石
平戸千里ヶ浜温泉ホテル蘭風 から少し離れた平戸千里ヶ浜の海岸沿いの、 国道383号線沿いの海岸に、鄭成功が産まれたとされる場所、「児誕石(じたんせき)」があります。
鄭成功は1624年(寛永元年)7月14日、母マツが千里ヶ浜に貝拾いに行った時に産気づき、 浜の木陰の岩にもたれて出産したと云われています。 この浜の石が児誕石と呼ばれています。

説明パネルの前の路肩が広く取ってありますので、車が2〜3台は停められそうです。

 ▲ 満潮の時は海の中



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鄭成功記念館
東アジアの英雄「鄭成功」の偉業を顕彰し、後世に伝えるために造られました。
鄭成功が7歳まで育った生家を再現した建物には、 鄭成功の人物像を伺い知ることができる展示や、当時の生活文化を知ることができる展示などがあります。
生家の横には、幼少期の鄭成功と母マツの像「鄭成功母子像」があり、 幼少期の鄭成功が手植えしたとされる「ナギの木」があります。
他に「金刀比羅神社」と、 駐車場横には、トイレ・休憩所と展示スペースを兼ねた建物があります。


 ▲ 鄭成功母子像と、鄭成功記念館
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鄭成功廟 DATA
住所平戸市川内町975-1
電話番号
利用時間
駐車場無料駐車場あり
公式HP
備考
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last visited : 2011/08/03