福江城 (石田城) と武家屋敷通り 
福江城 (石田城) と武家屋敷通り
福江城は、幕末の1863年に、福江藩最後の藩主・第30代藩主五島盛徳が完成させた、五島藩主の居城です。 現在は五島市の中心街に位置していますが、築城当時は三方を海に囲まれた海城であり、わが国ただ一つの海城と言われ、黒船の来航に備えて造られたといわれています。
嘉永二年(1849年)8月から15年の歳月と延べ5万人の人夫、二万両の工費を使って文久三年(1863年)に完成しました。
現在は、本丸跡に五島高校、三の丸に資料館、文化会館、図書館が建ち、五島市の文化ゾーンになっています。


 ▲ 五島私立図書館

 ▲ 五島観光歴史資料館

 ▲ お濠には蓮が咲く
写真左: 細石流教会の「椿十字型の木製レリーフ」
細石流教会は、五島市久賀島にあった教会で、設計・施工は鉄川与助、大正10年11月に竣工しました。 昭和30年頃からの人口激減により、昭和44年に廃止になりました。 このレリーフは、細石流教会の天井や壁に飾れていいたものです。

写真右:旧五輪教会ステンドグラス
二枚のガラスの間に色つきのシールをはりつけたステンドグラスで、日本ではこの形式は山形県の鶴岡教会と旧五輪教会だけに残っています。
明治初期、アイルランド地方でつくられたものであろうと推察されます。

武家屋敷通り
五島市の福江地区は、五島藩の城下町として発展してきました。
寛永11年(1634年)、第2代藩主五島盛利は、五島における中央集権体制を目指し、完治に散在していた家臣を 福江城下に強制的に住まわせました。
これは「福江直り」とも呼ばれ、この時造られた武家屋敷通りが、今でも福江地区内の各所に石垣として残されています。

 ▲ 五島観光歴史資料館展示物

 ▲ 五島観光歴史資料館展示物

 ▲ 武家屋敷通り

 ▲ 城山神社


 ▲ 武家屋敷通り
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福江城 (石田城) と武家屋敷通り DATA
住所長崎県五島市池田1-1
電話番号
見学料無料
公式HP
備考
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last visited : 2014/08/19