大寶寺は、701(大宝元)年に来朝した中国僧道融が、上陸地として最初であった大宝の浜において、
当時地区の住民により奉られていた笹海(さざめ)の観音院をうつしたのが由来とされ、その後、
持統天皇(645年〜703年)により勅願寺とされたという。
その後、第16次遣唐使(804〜805年)と共に入唐していた空海が、帰朝の際に大宝に上陸し、
大寶寺に滞在していた間に真言宗に改宗したといわれ、「西の高野山」と称されるようになった。
毎年10月17日には、弘法大師の縁日とし、本堂前庭において、当代法印による真言密教の護摩法要が
豪壮に挙行され、島内外から多数の人々がお参りする。
この寺には最澄が自ら彫られ、奉納された十一面観音など貴重な物が数多く収蔵されており、
中でも県有形文化財に指定されている「梵鐘」が有名である。
また大寶寺・奥の院の小高い丘の上に「へそ神様」と呼ばれる石塔があり、その下方にある穴に、
子どもが生まれるとその健やかな成長を願い、へその緒を紙に包み島内外から収めに来ていた。
なお、大寶寺の一角には神社があり、この言代主神社の秋祭りの本祭には、
国選択無形民俗文化財(1979年(昭和54年))に指定されている『砂打ち(ずなうち)』がある。
この祭りは、浜の真砂を集落中に打ち撒き、悪霊・悪疫を払うとされている独特の祭りである。
[現地案内より転記]
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