7月19日(金)46日目 カディス(スペイン)
朝7時頃、スペインのカディス港に接岸し、8時には下船しました。
タンジェからカディス間の航路
カディス港
カディスは大航海時代において、重要な港として機能しました。特に、コロンブスの新大陸発見後、カディスはスペインの海外貿易の拠点となり、アメリカ大陸との交易で栄えています。大航海時代は、ヨーロッパ諸国による植民地化の時代でもあり、カディスは、スペインの植民地支配を支える役割も担っていました。南アメリカのほとんどの国(ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ)では、スペイン語が公用語です。その理由は、スペインによる植民地化が進んだため。カディスから船をどんどん出して、南アメリカの国々の金や銀などを搾取し、大儲けをしてたんですねー。で、もっと驚くのは、先住民がやられてスペインの支配下(植民地)になっていたら、次に、イギリスがやってきて、先住民の頭越しに戦争を始め、両方からの爆弾の雨が先住民の頭の上に降ってきたそうです。もう目茶苦茶な話。金儲けのためには、やりたか放題だった時代があったんです。因みに、イギリスの大英博物館は規模と多様性から「世界一」と自慢していますが、なんのこっちゃない、大航海時代以降、世界中から宝物をドロボーしてきたのです。なので、入場無料は当たり前。本来なら返却しないといけない。なので、コレクション品は大切に扱わなくちゃね。話しは変わって、カディスは、かつての面影はなく、今は静かで平和で美しい街です。
カディスで巡った観光地
カディスでは、市内をぐるぐる巡るHop on Hop offバスが走っています。クルーズターミナル内にHop on Hop offバス会社のカウンターがあって、そこでチケットを販売していたため、簡単に購入できました。クルーズターミナル前からバスに乗りました。
Hop on Hop offバス
Hop on Hop offバスのルートを確認するため、まず一周しました。二周目に、カディス大聖堂のバス停で下車しました。
カディス大聖堂のバロック様式の塔&金色のタイルでできたドーム
バロック様式の塔&金色のタイルでできたドーム
バロック様式の塔
金色のタイルでできたドーム
カディス大聖堂とカテドラル広場。人混みがすごかった。この近くのレストランで食事をしようと思って店内に入ったのですが、いつまで待ってもメニューを聞きに来ません。ウエイターは3人で、手が回らない様子。なのでトイレを使わせてもらって、お店を出ました。
カディス大聖堂
カテドラル広場
コスプレ(中世の騎士?)で旧市街を歩いていたオジサマ。ポーズをとってくれました。他にもいました。どうも、中世の恰好をした女性が、団体観光客の案内をしているようでした。
コスプレのオジサマ
コスプレで観光客を案内している女性
カテドラル広場から歩いて5分くらいの所に遺跡ローマ劇場がありました。このローマ劇場は、紀元前1世紀頃に建設されたイベリア半島最大級の古代遺跡です。最盛期には約1万人の観客を収容でき、スペイン屈指の規模を誇っていたそうです。この形のローマ劇場は、トルコを始め地中海沿岸の都市でたくさん見かけます。
遺跡ローマ劇場
遺跡ローマ劇場
ローマ劇場を見終えてから、再びバスに乗りました。ヘノベス公園に向かう途中に「プエルタ・デ・ティエラ」がありました。これは、16世紀に建てられ、海からの攻撃から街を守る主要な門として機能していたそうです。
プエルタ・デ・ティエラ
プエルタ・デ・ティエラ
ヘノベス公園です。面白い形に剪定されていたのが、印象的でした。市街地の喧騒からはなれてリラックスすることができます。この庭園では、100種をこえる木々が丁寧に管理されているそうです。
ヘノベス公園(剪定がユニーク‼)
ヘノベス公園
続いて、カディス中央市場に行きました。この市場は、19世紀に建てられた新古典主義様式の美しい建物で、ドーリア式の列柱が並ぶ円形の外観が特徴です。青果、野菜、海産物、精肉店といった分野で最上級の商品を届けられるよう、時勢にともなって改築されてきたとのこと。肉よりも魚の方がたくさん売られていて、ここにもフードコートがあり、カディスの特産品を食べることができるそうですが、座る椅子がないくらい大盛況でした。結局、カディス中央市場でも食事にありつけませんでした。
カディス中央市場入口
市場内の様子
市場内の様子
市場内の様子
市場内の様子
市場内の様子
カディス中央市場を観てから、バスに乗って海沿いの通りをドライブしました。
海沿いの通りの景色
海沿いの通りの景色
市民の海水浴場(プラヤ・デ・ラ・ビクトリア)が見えてきました。海岸線はかなり長くて、土曜日と言うこともあってか、どこも海水浴客でいっぱいでした。
プラヤ・デ・ラ・ビクトリア ビーチ
プラヤ・デ・ラ・ビクトリア ビーチ
ビクトリアビーチを見てから、船に戻りました。
市街地の様子
カディス港のクルーズ船
7月20日(土)47日目 リスボン(ポルトガル)
ポルトガルの首都リスボンに到着。朝8時に船は着きましたが、濃霧がひどくてよく見えないことと雨が降っていたことと雷注意報が出ていたこととで天気が良くなる11時頃をめどに出かけることにしました。
カディスからリスボン間の航路
キャビンのバルコニーから眺めたリスボンの旧市街です。サンタ・エングラシア教会が見えます。小高い丘のようになっています。クネクネした細い坂道を通るエリアです。生活しにくそう。
バルコニーから眺めたリスボンの旧市街
バルコニーから眺めたリスボンの旧市街
11時少し前に市内に繰り出しました。クルーズターミナルの真ん前にHop on Hop offバスが停まっていたので、迷わず乗車。
リスボンで巡った観光地
Hop on Hop offバス
30€/人
Hop on Hop offバスは、青ラインでクルーズターミナル前から、ヴァスコ・ダ・ガマ タワーに向かいました。15世紀のポルトガル語人探検家にちなんで名付けられたヴァスコ・ダ・ガマ
タワーは、1998年にリスボンの万国博覧会の一環として建設されました。現在は、首都を代表するランドマークの1つです。タワーには展望台とルーフトップバーがあり、それぞれ全景を眺めることができます。
青ラインのコース
正面から見たヴァスコ・ダ・ガマ タワー
ヴァスコ・ダ・ガマ タワー
ヴァスコ・ダ・ガマ タワーから引き返し、Centro Vasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンター)の前を通りました。
ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンター
ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンター
ドン・ジョアン II通りのOriente(オリエンテ駅)の前に来ました。1998年のリスボン万博に合わせて計画されたターミナル駅。設計を手掛けたのは、構造デザインの美しさで知られるスペイン人建築家のサンティアゴ・カラトラバ。高層部のプラットホームは、透明感のある空間です。林立する巨大な木々を思わせる鉄骨柱が、約78m×260mにもおよぶガラスの大屋根を支え、自然光が降り注ぐ開放的なエリアを生み出しています。
オリエンテ駅
オリエンテ駅
テレパホーマンス ポルトガルという携帯電話の会社のビルのようです。表面の凹凸が面白い。
テレパホーマンス ポルトガルビル
Alameda dos Oceanos 2A(アラメダ・ドス・オセアノス)です。変わったデザインの建物ですが、住居用のマンションらしいです。
Alameda dos Oceanos 2A(アラメダ・ドス・オセアノス)
Alameda dos Oceanos 2A(アラメダ・ドス・オセアノス)
オリエンテ駅周辺には、1998年のリスボン万博に合わせて計画されたユニークで、面白いデザインの建物がいくつも立っていました。写真が撮れたのはわずか4棟のみ。揺れるので撮りにくかったです。残念でした~~~。エドゥアルド VII デ・イングラテーハ公園にあるHop on Hop offバスターミナルに来ました。ここで旧市街に行くために緑ラインの小型バスに乗り換えました。
小型バスのルート
先ず、マルケスデポンバル広場に行きました。ポルトガルの宰相であったポンバル侯爵を記念した広場です。広場の中心には、ポンバル侯爵の像が立っていました。
マルケスデポンバル広場
ポンバル侯爵の像
次に、レスタウラドーレス広場(Praça dos Restauradores)に行きました。ここには、高さ30メートルの「復興記念碑」(Restorers' Monument)と呼ばれるオベリスクがあります。1640年12月1日にスペインの支配からの解放を記念して建てられたそうです。スペインの支配ですが、ポルトガルとスペインは、大航海時代を通じて交易圏の拡大を競ってきたものの、16世紀の後半に入ってポルトガルの衰退が始まりだすと、スペインがその併合を狙うようになりました。ポルトガル王セバステァンが戦死したのを契機に、王朝が断絶した1580年にスペインのフェリペ2世が王位継承権を主張してポルトガルを併合、その後、1640年12月1日にポルトガルはスペインの支配から解放されています。
レスタウラドーレス広場の復興記念碑
小型バスは旧市街に入り、狭い坂道を昇ったり下ったりしました。市内を路面電車が走っていました。福岡でも約50年前まで走っていました。懐かしいで~す。
路面電車
路面電車
坂道ばかりの狭い道路。この道を車やバスや路面電車が通るのです。昔はこんな道でも良かったのでしょうが、今じゃ、厳しいです。交通事故が発生するのが目に見えています。歴史的な面で価値のあるエリアだから、区画整理などできないのでしょうね。
旧市街の狭い坂道
旧市街の狭い坂道
サンタエングラシア教会です。17 世紀に建てられたバロック様式の教会で、現在では、ポルトガルの著名人たちが眠る霊廟となっています。
サンタエングラシア教会
丘の上にはサン・ジョルジェ城が見えます。狭い道を辿ってHop on Hop offバスターミナルの方に向かいました。
サン・ジョルジェ城
Hop on Hop offバスターミナルまで帰って、赤ラインのバスに乗換えました。そして、タイムアウト市場へ向かいました。タイムアウト市場には、大きなフードコートがあり、そこで食事をいただきました。本当は、「ポルトガル人が長崎へ~。カステラ、カステラ~」の歌があるので、カステラを食べてみたかったのですが売ってなかったです。普通のケーキやタルトばかりで、食べなくても味の予想は付きそうだったため、シーフードにしました。日曜日だからかもしれませんが、すごく混雑していて、席を確保するのが大変でした。魚は、白身の魚(たら?)でした。味は、まぁまぁ。ビールは美味しかったです。
タイムアウト市場のフードコート
タイムアウト市場のフードコート
タイムアウト市場のフードコート
タイムアウト市場のフードコート
タイムアウト市場のフードコート
昼食
食後、船の方に向かってゆっくり歩くことにしました。途中、小さなお土産屋があったので、孫たちに送る絵はがきと切手を購入しました。絵はがきに宛名のラベルを貼り、メッセージを書き加えました。お土産屋でポストの場所を聞くと、5分くらい歩いたところにあると教えてくれました。行ってみるとありましたが、種類ごとに投函するようになっていたので、国際航空便の投函口に投函しました。
ポスト
コメルシオ広場を通りました。手前の像は、ジョゼ1世の騎馬像です。後方のアーチ型の門は、勝利のアーチ(凱旋門)です。いずれも、1775年の壊滅的な地震後のリスボンの復興を象徴しています。勝利のアーチの上に立っているのは、ポルトガルの国民的英雄のヴァスコ・ダ・ガマです。
コメルシオ広場
ヴァスコ・ダ・ガマは、ポルトガルの援助を受けて航海をし、1498年にアフリカ経由でインドに到達しました。 この結果、ポルトガルは主にアジアに進出して、インドのゴアや中国のマカオを拠点に香辛料などの貿易を行って大きな利益を上げました。
ヴァスコ・ダ・ガマの像
ジョゼ1世の騎馬像
海岸沿いを歩き、船に帰りました。手前がMSCで、次がクラウン・プリンセスです。船から戻ってきてからは、疲れていたのでちょっと一休み。
MSCとクウン・プリンセス
リスボンを訪れての感想ですが、スペインの方が、活気があって街全体が綺麗。経済的にもスペインの方が豊かな感じがしました。今夜のショーは、デイビッド・ナイトの催眠術のショーです。疲れたので、観に行きませんでした。
7月21日(日)48日目 終日航海
今日は、久々の終日航海日です。7月14日のバレンシアから、昨日の7月20日のリスボンまで、7日間連続で3ヵ国7都市に寄港し、連日寄港地の最新情報を入手しつつ、寄港地によっては、何時間も歩くことがありました。このため、やや疲れ気味で、今日はキャビンでゆっくり過ごすことにしました。写真もお休みしました。
クラウン・プリンセスの現在地&航路(7月21日世界標準時13:00)
7月22日(月)49日目 ビルバオ(スペイン)
スペインのビルバオに寄港しました。港からビルバオ中心部まで15kmも離れているため、船会社から無料のシャトルバスが提供されることになりました。どうやって中心部まで移動しようかと考えていたのですが、妙案が浮かばず困っていました。なので、無料シャトルバスの提供は、とっても助かります。
リスボンからビルバオ間の航路
シャトルバスが通ったルート
ビルバオで巡った観光地
クラウン・プリンセス提供のシャトルバスでビルバオ中心街の地下バスセンターに来ました。
ビルバオ地下バスセンター
ビルバオ地下バスセンター
Hop on Hop offバスが停車するSan Mamesバス停まで歩きました。バス停には路線バスも止まるのでたくさんの人が待っていました。Hop on Hop offバスに乗車して、旧市街に近いArenal / Arriagaのバス停まで行きました。
San Mamesバス停
ビルバオのHop on Hop offバス
Hop on Hop offバスの2階席でビルバオの景色を楽しみました。川も建物も道路もきれいです。
ビルバオ市街の景色
ビルバオ市街の景色
ビルバオ市街の景色
ビルバオ市街の景色
メトロが走っていました。道路幅も十分あって信号もあります(リスボンには、信号はあまりなかったような。。。)
メトロ
メトロ
Arenal / Arriagaのバス停で下車し、旧市街の通り沿いに歩きました。アーケードの天井の絵が面白かったです。宇宙人かな?
旧市街のアーケード
宇宙人のような絵(天井)
道路沿いにErriberako merkatuaという生鮮食品マーケットがあったので覗いてみました。
生鮮食品マーケット(Erriberako merkatua)入口
生鮮食品マーケット(Erriberako merkatua)入口
中の様子
八百屋
肉屋
魚屋
生鮮食品マーケットの2階はフードコートのようになっていて、ピンチョスのお店がたくさんありました。スペインが大好きな友達から、「ビルバオに行くならピンチョスを食べてきてね! 美味しいよ~」と言われていたため、ランチをに食べに行きました。なるほど美味しい。友達に言わせると、「ビルバオのピンチョスは、スペインで一番美味しい」そうです。残念ですが、今回はそこまでは分かりませんでした~(食べ比べが出来るほど食べた経験がないもんで)。また、販売されているピンチョスの種類が多過ぎて、どれを選べば良いか見当がつかなかったので、適当に選びました。
フードコート内の様子
いろいろなピンチョス
いろいろなピンチョス
いろいろなピンチョス
たくさんのピンチョスから、4個を選びました。いずれも美味しかったです。魅力を感じるのは、味付けですね。今までに食べたことがないような味付けなのです。日本では簡単に手に入らない調味料が使われているような気がしました。お値段は、4個で10€でした。
4個のピンチョス
旧市街の中を散策しました。建物が、色とりどりに塗られていて鮮やかでした。旧市街のイメージは、「石の色だけで、荘厳さはあるけど華やかさがない」ですよね。ビルバオの旧市街は、鮮やかで華やかさがありました。歩いていて楽しいです。
外壁がカラフルで輝いて見える!
壁の色がカラフル
壁の色がカラフル
青緑にオレンジ、オシャレです‼
サンティアゴ大聖堂(ローマカトリックの大聖堂)に着きました。この大聖堂は、1397年に建設が開始され、15世紀半ばに完成しています。ゴシック様式の建物で、聖ペテロと聖パブロの彫刻など、細かな彫刻が特徴だそうです。
サンティアゴ大聖堂
ヌエバ広場です。この広場の3面には、レストランやバーが並んでいました。お客さんはお店から買ってきたピンチョスなどの料理をテント内で食べて楽しんでいました。
ヌエバ広場
ヌエバ広場
サン・ニコラス・エリザ教会に行きました。バロック様式の教会として有名です。カトリック教会サン・ニコラス・エリザは、1756年に聖別され、船乗りの守護聖人であるバリの聖ニコラスに捧げられました。バロック様式のファサードと八角形の内部は、旧市街中心部の北の入り口にある目を引くランドマークです。この教会には美しい鐘楼と機能する時計塔があります。
サン・ニコラス・エリザ教会
ビルバオ市庁舎です。このような建物内で仕事をするってどうなのでしょうか?快適に仕事ができるでしょうか?働いている職員に感想を聞いてみたいですね。市役所の建物はその装飾、特にその内装が際立っています。1892年に完成した建物は、サン・アグスティン旧修道院の敷地に建っています。建築家ホアキン・ルコバのエレガントな作品で、その時代の芸術家たちも参加して素晴らしい装飾を残しています。家具、ランプ、絵画、窓、彫刻や胸像、壺などが、大理石や木材、そして象牙の模倣品を通じて、芸術家ホセ・ソレールの作品「アラブの間」で際立っています。
ビルバオ市庁舎
ビルバオ市庁舎
グッゲンハイム美術館です。フランク・ロイド・ライト設計のユニークな建物が目を引きます。また、エントランスの前に色とりどりの花で飾られた巨大な子犬パピーが展示されていて、可愛かったです(最初、ネコかと思いました)。グッゲンハイム美術館の建物を正面から撮ったものと裏面から撮ったものを示します。裏面の写真を見ると建物のユニークさがよく分かると思います。
グッゲンハイム美術館正面
グッゲンハイム美術館裏面
グッゲンハイム美術館と道を挟んだ反対側の建物の窓ですが、遠くから見た時に色んなカラーに染まっていて、とても不思議な感じがしました。近付いて見ると、窓が鏡で出来ていました。で、一定の方向に傾けてありました。近景と遠景写真を示します。オシャレっぽくて素敵だと思いました。
近景
遠景
グッゲンハイム美術館を観た後は、シャトルバスに乗って船に帰りました。ビルバオでは、グーグルマップ(SIM有)を片手に、Hop on Hop offバスに乗ったりして約6時間うろついて遊んで来ました。面白かったです。
クラウン・プリンセス
7月23日(火)50日目 ボルドー(フランス)
フランスのボルドーに寄港しました。朝の気温は18℃と少し肌寒かったです。ボルドーに寄港と言うので期待していたら、ボルドーからかなり離れた所で、しかもボルドーへ行くための交通手段は何もないような辺ぴな港「Le
Verdon-sur-Mer(ル・ヴェルドン・シュル・メール)」でした。船会社主催の寄港地観光もないド田舎です。どうしてこんな港に停泊するのかなぁと不思議に思っていたら、9時頃に突然サイレンが流れ始め、そして、「エクササイズ、エクササイズ」の船内放送が始まりました。クルー全員参加による緊急避難訓練が始まったのです。どうやら、これが目的だったみたい。私達乗客に対しては、「近くのスーラック村まで無料のシャトルバスを提供するから、皆さん美味しいものでも食べて遊んできてね~」って感じで、バスを出してくれました。
ビルバオからル・ヴェルドン・シュル・メール間の航路
シャトルバスが通ったルート
スーラック村の地図
スーラック村は、メインストリートが150 mあるかどうか程度の小さな村です。お土産屋、洋服屋、本屋、レストラン、コーヒーショップなどのお店が開いていて、ゆっくり散策できました。今回の寄港地観光は、いつもと違って、の~んびりしていました。こうした観光もたまには良いですね。十分に楽しめました。
無料のシャトルバスです。車いすの人や障害のある人に対しても個別にちゃんと対応していたところが良かったです。
クラウン・プリンセス提供の無料シャトルバス
地図が置かれていた机付きの自転車を初めて見ました。イベント時に役に立ちそうですね。舗装された平坦な道を走るのはOKですが、凸凹道だと机の下部が壊れるかも。シャトルバスが来て、お客さんが降りてきたら、若い女性が自転車の机の上の地図を示して観光案内をしてくれました。ここはフランスですが、若い女性は英語で対応していました。
机付きの自転車
観光案内地図
泳いでいる人がいない海水浴場に沿って歩き、スーラック村のメインストリートに向かいました。
海水浴場
海水浴場のシンボル
メインストリートに到着しました。道の両脇には小さなレストランやお店がたくさんありました。
メインストリートの様子
メインストリートの様子
どこから連れてきたのか、大道芸人もいましたよ~。いつものパターンですが、お金を払うと動きます。彼の芸をご覧あれ‼
動画:ル・ヴェルドン・シュル・メールの大道芸人
メインストリートをさらに歩いて、ウインドウショッピングを楽しみました。
メインストリートの様子
コーヒーショップのようなアイスクリーム屋があったので、そこで休憩しました。ダブル・アイスクリームは4.8€で、アメリカーノコーヒーは4€でした。写真のエスプレッソコーヒーは2€でした。
Livres Et Cornets(アイスクリーム屋)
ダブル・アイスクリームとエスプレッソコーヒー
休憩時間内に孫たちへの絵はがきを書きました。郵便局を探してやっと見つけたのですが、休みでした。でも、屋外にポストがあったので、投函はできました。
スーラック村の郵便局
その後、シャトルバスに乗って船に戻りました。当初のクラウン・プリンセスの旅程表には寄港地は『ボルドー』と記載してあったので、美味しいワインが飲めると期待していたのですが、ワインで有名なボルドーまでは、車で片道2時間もかかるそうです。しかも、ル・ヴェルドンの港からは公共交通機関はありません。レンタカー屋もありません。何だか騙されたような気分。諦めるしかありませんでした。ボルドーワインの本場と触れ込んでおいて、ボルドーワインを飲ませなかったなんて、詐欺みたい。
7月24日(水)51日目 終日航海
本日は、アイルランドのコーヴへ向かってひたすら移動する「終日航海日」です。午前中に、明日の寄港地アイルランドの入国審査官の直接面接を受けました。面接が終わってから、明日のコーヴ観光について下調べをし、その後はのんびり過ごしました。写真などはお休み。
7月25日(木)52日目 コーク(アイルランド)
朝8時頃、アイルランドのコーヴに寄港しました。気温は17℃と少し寒かったです。コーヴの港は霧に包まれていました。船から見える街並みはとても綺麗でした。
ル・ヴェルドン・シュル・メールからコーヴ間の航路
霧のかかったコーヴ港
霧のかかったコーヴ港
霧のかかったコーヴ港
コーヴのクルーズターミナルの前面は、アイリッシュレールのコーヴ駅です。クルーズターミナル内でUターンすると電車のコーヴ駅のホームに着きます。コーヴに到着してから直ぐに下船し、電車を使ってコークにあるブラーニー城へ出掛けました。30分くらいでコークケント駅に到着。運賃は往復約800円。とっても便利で快適でした。
コーヴクルーズターミナルと電車のコーヴ駅
コーヴクルーズターミナルと電車のコーヴ駅
電車でコーヴ駅からコークケント駅へ
コークケント駅からタクシーでブラーニー城へ
コーヴ駅のホーム
コーヴ駅の電車
コークケント駅で下車して、タクシーを拾ってブラーニー城へ行きました。
コークケント駅でタクシーに乗車
ブラーニー城入口到着
ブラーニー城のあるブラーニー村では、まず近くのお土産屋で孫たちに送る絵はがきと切手を買い求め、ポストを探しました。数人の村人の方とお話をしたところ、明るくてとっても親切でした。精神的にゆとりがあるなぁって印象を受けました。
ブラーニー村の様子
ブラーニー村の様子
ブラーニー村の様子
ブラーニー村の様子
ブラーニー村の散策は楽しかったです。散策を終えてから、ブラー二ー城の入場チケットを買いに行きました。入場料金は、大人23€ですが、シニア(65+)は18€でした。5€も安くなってヨカッタネ‼
ブラーニー城チケット売場
ブラーニー城チケット売場
入場ゲートの近くにカフェがあったので、そこでひと休みしました。
カフェ
おやつも食べました。
入場してから庭園内を5分程度歩くと、ブラーニー城に到着しました。コークのブラーニー村にある中世の城塞です。現存する城は1446年に建設されたものです。600年前の建物で、中に入ると薄暗くて気持ちが悪い。キスすると口が上手くなるという言い伝えがあるブラーニーストーンがありますが、行列ができていて30分以上待たないといけないとのことでした。口が下手なままでもイイと思ったので、ブラーニーストーンとのご対面を諦めました。
広い庭園
ブラーニー城
ブラーニー城
ブラーニー城
ブラーニー城の前でスコットランド民族楽器のバグパイプを演奏しているオジサンがいました。雰囲が良かったです。
動画:バグパイプを演奏しているオジサン
建物の入口には金網が張ってありました。
横から見たブラーニー城
帰りについては、タクシーが見つからなかったためUberで車を呼んだらタクシーが来たので、そのタクシーに乗ってコークケント駅まで行きました。Uberの方が安いと思っていたのですが、結局は、少し高くつきました。
Uberタクシー
コークケント駅
コークケント駅のホーム
コーヴ駅に戻ってきました。
コーヴ駅に戻ってから、次はコーヴの観光です。この街は、タイタニック号の最終寄港地として有名です。タイタニック号は、イギリス・サウスハンプトン発
アメリカ合衆国・ニューヨーク行き の航海中の4日目(1912年4月14日の夜)に氷山に衝突して沈没しました。1,514人が亡くなっています。今から110年前のお話です。当時のアイルランドはイングランドの支配下にあり、アメリカンドリームを夢見てアメリカやカナダに多くの人々が移民として渡っていた時期でした。コーヴから多くのアイルランド人が乗ったとのことです。大ヒットした映画のように、お金持ちの奥様と自由気ままな若者との間で熱い恋愛があったかどうかは知りませんが、多くのアイルランド人が命を落としたことは事実です。今の時代では、クルーズ船が沈没して、多くの乗客が亡くなるなんてことは「有り得ない」と信じられています。タイタニック・ヘリテージ・センターに行きました。クルーズ客のために地元の方達が当時の雰囲気を出すために、着飾って来てくれました。80歳くらいのご婦人たちでしたが、メイクもばっちりで綺麗でしたよー。
コーヴの奥様たちの華やかで美しくい姿に元気をいただきました。
コーヴの紳士と淑女もステキでした!
タイタニック号乗船チケット売り出しのチラシです。書いてある内容は、(★海の女王のタイタニック号、ホワイト・スター・フリート最新鋭船の処女航海です。★ 世界最大の定期船です。1912年4月10日 出航、サウスハンプトン発 ニューヨーク行きです。★代理店または窓口で直接チケットをお買い求めください)
タイタニック号乗船チケット売り出しのチラシ
1892年1月1日、アイルランドのコーヴ出身の15 歳の少女アニー・ムーアは、弟二人を連れてアメリカへ旅立ち、最初の移民として一躍有名になったそうです。彼女の姿は、アメリカンドリームを追い求めた移民の象徴になっています。
アニー・ムーアの像
アニー・ムーアのパネル
コーヴの中心から離れた所にタイタニック・メモリアル・ガーデンがあります。そこまで歩いて行ってみました。このガーデンには、当時のことがパネルに記されて展示されていて、静かな追悼の場となっていました。
タイタニック・メモリアル・ガーデン
次に、コーヴの中央広場に行きました。アイリッシュパブでは、お酒の提供と合わせて生演奏も行われていました。パブの外では、演奏に合わせて多くの人達が楽そうにお酒を飲んでいました。私達もアイリッシュパブを体験したかったのですが、どのお店も満席で入れませんでした(ガッカリ)
コーヴの街の中央広場
アイリッシュパブ
中央広場から坂を登って行くとセント・コルマン大聖堂がありました。ローマカトリック教会の大聖堂で、1919年に完成したそうです。立派な大聖堂で、高台からコーヴの街を見下ろしていました。
セント・コルマン大聖堂
セント・コルマン大聖堂
今日は、とっても充実した一日でした。かなり歩いたので、疲れました~。
7月26日(金)53日目 終日航海
今日は、連合王国(イギリス)のグラスゴーへ向かって終日航海です。明日のグラスゴーと明後日のリバプールの観光についていろいろと調べました。そのため写真などはお休みです。
7月27日(土)54日目 グラスゴー(スコットランド)
連合王国(イギリス)のスコットランドのグラスゴーから1時間離れたグリーノックに着岸しました。スコットランドは、スコッチウイスキーで有名です。昔、NHKの朝ドラ「マッサン」で、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏をモデルにしたドラマがありました。あのドラマに感激して、北海道の余市まで工場見学に行ったんですよー。で、機会があれば、本場スコットランドのスコッチウイスキーの工場見学にも行きたいなぁと思っていました。今回やっと念願かなって、グレンゴイン蒸留所のツアーに参加することができました。
コーヴからグラスゴー間の航路
グリーノックに接岸
グリーノッククルーズターミナル
ツアー開始まで少し時間があったので、周辺を散策しました。静かな町でした。
グリーノックの街並み
グリーノックの街並み
ツアーバスに乗り、グレンゴイン蒸留所に行きました。
バスルート
ツアーバス
グレンゴイン蒸留所
具体的な工程等は見せて貰えず説明だけでしたが、最後のテイスティングはバッチリできました。スコッチウイスキーの特徴として、スモーキーな香りがあるそうですが(大麦を発芽させた麦芽《モルト》を乾燥させる際に、ピート《泥炭》を焚きます。この時、麦芽《モルト》がピート《泥炭》の煙でいぶされるためにスモーキーな香りがつく)、そのような香りはわからんやったです。下戸なもんで・・・。テイスティングで酔っぱらってしまい、帰りのバスの中ではほとんど寝てました。工場見学に関しては、余市のニッカウヰスキーの方が、広い敷地内をいろいろ見せてくれたので楽しかったです。
50年ものウイスキー(約447万円)
グレンゴイン蒸留所とウイスキーの説明
テイスティングです。12年ものの次に15年ものをテイスティングしました。使用したグラスは、香りがよくこもり、嗅ぎやすいようにグラスの口がすぼまったチューリップ型のものでした。ストレートでの美味しい飲み方を教えていただきました。グラスをクルクル回して香りを嗅ぎ、ウースキーを少し口に含んで、香りなどの美味さを楽しみます。次に、水で口内をリフレッシュさせ、またウイスキーを口に含む。時間をかけてこれを繰り返して飲むのが正しい飲み方とのことでした。
12年ものと15年もののテイスティング
ハニービーの作り方も教えていただきました。作り方:10年もののウイスキー50ml、レモンジュース20ml、ハニーシロップ10mlをカクテルシェーカーに入れ、氷を入れてシェイクする。氷を入れたグラスに注ぎ、ジンジャーエールで満たし、レモンで飾る。
甘くて美味しかったので、つい飲み過ぎて酔っぱらっちゃったあ~。
ハニービー
見学が終わり、酔っぱらったまま船に帰り着きました。
7月28日(日)55日目 リバプール(イングランド)
リバプールに寄港しました。
グラスゴーからリバプール間の航路
リバプール接岸
ここは、世界的ロック・バンドであるザ・ビートルズが生まれた都市です。ようちゃんは、子供の頃からビートルズを知っていて、この旅行でビートルズのルーツを探ろうと思い、バスツアーに参加しました。
リバプールで巡った観光地
リバプールのクルーズターミナル近くの公園に設置されたビートルズのブロンズ像です。2015年12月に設置されたとのこと。実際より1.5倍くらいの大きさですが、よくよく顔を見ると似ていました。
ビートルズのブロンズ像
ビートルズのブロンズ像
シティ&ビートルズツアーの2階建てバスに乗りました。受付の段階から、ガイドさんはギターを弾きながら雰囲気を盛り上げていました。1時間半のツアーでは、緑豊かな田舎の方まで連れて行ってくれて、名所を巡りました。ビートルズメンバーの暮らしぶりが見えるような内容で、とっても良かったです。ギターと歌が上手なツアーガイドさんは、ビートルズの名曲を次々と歌ってくれました。すると、乗客の皆さんも一斉に歌い出し、大合唱で盛り上がりました~。私たちはと言うと、曲については聞いたことがあるけど、英語の歌詞までは知らないので歌えず、皆さんのパワーに圧倒されるばかりでした。
シティ&ビートルズツアーのポスター
2階建てのツアーバス
ギターを弾きながらビートルズを熱唱するガイドさん。元気いっぱいのオジサマです。
ビートルズを熱唱するガイド
ビートルズを熱唱するガイド
リバプール大聖堂(アングリカン大聖堂)の前を通りました。この大聖堂は、高さ101mの塔を持つ国内最大級の英国国教教会寺院です。1904年に建築が始められ、1978年に完成しました。英国国教会の聖堂としてはヨーロッパ最大規模を誇っています。ゴシック様式の高いアーチや9700本以上のパイプを持つパイプオルガン、最重量のベルなど英国一が揃った大聖堂です。
リバプール大聖堂(アングリカン大聖堂)
旧デフコミュニティの礼拝堂の前も通りました。この建物は、1864年にろう者であるジョージ・ヒーリー(George Healey)が設立した協会をルーツとしていて、赤レンガ造りの美しい八角形の平面や尖塔、見事なステンドグラスが特徴となっています。
旧デフコミュニティの礼拝堂
ペニーレーン(通りの名前)に来ました。ジョン・レノンやポール・マッカートニーが少年時代に遊んだ場所だそうで、ビートルズの名曲『Penny Lane(ペニー・レイン)』のモチーフとなっています。
Penny Lane(ペニー・レイン)
Penny Lane(ペニー・レイン)
ストロベリー・フィールズです。ここには、ジョン・レノンが名曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(Strawberry Fields Forever)」を作るきっかけとなった孤児院がありました。ジョンは子ども時代、孤児院に行っては、そこの子どもたちと一緒に遊んでいたそうです。
ストロベリー・フィールズ
ジョン・レノンの家。ジョンは、家庭の事情(両親の離婚)により、母親の姉のミミおばさんに育てられ、この家で幼少期を過ごしています。ジョンはかなりの悪ガキだったようで、ミミおばさんも手を焼いたそうです。
ジョン・レノンの家
フォースリーン・ロードです。この奥の方に、ポール・マッカートニーが名声を博す前の数年間を過ごした家(集合住宅)があります。
フォースリーン・ロード
ビートルズゆかりの地を観てから、バスは市街中心部の方へ移動していきました。
住宅地
市街地中心部の様子
中華街の門です。門の先が中華街になっています。中華料理が食べたかった~(時間がなかったので断念)。
中華街の門
市街地
1時間半のシティ&ビートルズツアーを終え、バスを下車しました。歩いてアルバートドックに来ました。ここは、旧世界遺産の海商都市リバプールの代表的な観光スポットです。周囲には、レストランが立ち並び、賑やかなエリアでした。世界遺産登録については、ウォーターフロントなどの再開発により景観の保護が損なわれることを理由に、2021年に登録抹消されています。
アルバートドック
アルバートドック
「ビートルズは自分にとって英国在住の遠い存在」と思っていましたが、子ども時代を過ごしたという「ゆかりの地」を観たことによって、とても身近な人達に感じることができました。ツアーに参加して良かったです。
7月29日(月)56日目 終日航海
船は、私たちの最終寄港地の連合王国(イギリス)のドーバーに向かっています。今日は明日の下船に備えて、片づけと荷物のパッキングをして、午後9時までにキャビンのドアの外にスーツケースを出さないといけません。時間に間に合うように下船準備を頑張らなくちゃ‼なので、他のことはお休みしました。
7月30日(火)57日目 ドーバー(イングランド)で下船
朝7時前に、ドーバー海峡の「白い崖」が見えてきました。周辺には霧がかかっていたので、霞んで綺麗に見えませんでした。残念!
2025年7月30日午前7時前のドーバー
ドーバーには、2018年7月2日にブリリアンス オブ ザ シーズで寄港したことがあります。その時に撮った写真がありました。その時は、日光に照らし出された真っ白い崖に驚いてしまいました。
2018年7月2日にブリリアンス オブ ザ シーズで撮影した「白い崖」
2018年7月2日にブリリアンス オブ ザ シーズで撮影した「白い崖」
ドーバー海峡の「白い崖」は、約1億年前の白亜紀に海底に堆積したプランクトンの死骸(円石藻)からなる極めて軟らかい石灰岩の一種「チョーク」で形成されています。高さは100mに達し、イギリスの象徴とされるこの白い断崖は、長い年月の波風による侵食で、このような形になっているそうです。
クラウン・プリンセスは、朝8時前にはドーバー港に着岸しました。
リバプールからドーバー間の航路
私達は、7時半にエリートクラスの乗客が集まる部屋に行き、下船を待ちました。で、すんなり8時に下船しました。クラウン・プリンセスは、これから先、カナダ、アメリカ、パナマ運河を通ってニュージーランド、シドニーへと航海を続けます。ドーバーではかなりの人が下船したようですが、ドーバーから乗船する人も多いようでした。