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法華堂(三月堂)の本尊・不空羂索観音菩薩立像の両脇に日光菩薩と月光菩薩は安置されている。
50枚限定 6色 W23.2 × H35.0 (p)
すでに半世紀以上前の私が中学生の修学旅行時に、薄暗い堂内でこの像を初めて拝見し
静かに合掌した姿に何とも言えない感動をおぼえ、以来仏像に興味を持つ切っ掛けとなった仏像である。今回を含めこれまで三回この仏像を版画作品として取り扱ってきた。
通常であれば、日光・月光菩薩は薬師如来像の脇侍としてその左右に置かれるはずであるが、東大寺では不空羂索観音立像の脇侍として安置されている。
ちなみに、こちらの日光・月光菩薩像は、元々日光・月光菩薩像として造られたものではなく、梵天・帝釈天像だったのではないかともいわれている。
この2尊は姿形が似ており、見分けが付きにくいが、右側が「日光菩薩」、左側が「月光菩薩」である。東大寺の日光菩薩はお顔は穏やかな笑みをたたえ、月光菩薩は切れ長の眼が凛とした印象をあたえている。日光菩薩はお顔の表面に若干剥離したかのような黒い跡があり、見た目この像にとってマイナスとなっているように思われる。
日光菩薩は、太陽のように強い光を発して、苦しみの闇を取り除き、月光菩薩は、月の明かりのような優しい心で煩悩を消してしまうと言った霊験があるとされている。
両像はかつては、朱色や緑、青等の極彩色であったが、今はほとんど残っておらず、白く見えているのは仕上げに使った土の部分である。しかしそれがこの像の清楚さを感じさせる。
また、日光菩薩は左腕に掛けた袈裟や、前面に深く刻まれた衣のひだに、どこか力強さを感じさせる。月光菩薩は薄手の衣をまとい衣のひだが浅く、袖のひだは左右対称で、腰に結び前に垂れている帯が端正さを感じさせる。そのためか、静かにじっと合掌している月光菩薩の方がどこか心ひかれる。
また、月光菩薩の方は、衣のひだが浅く、表面の変化が少ないために、立体感が出しにくくやや版画で表現するのに扱いにくさもある。そのためすでに彫った所に色が付き、せっかく摺ったところを後の色で汚したものが多くなり、作品としての出来を悪くしがちであった。しかしそうした減点はあったが、今回は比較的色のバランスも良く、上手く出来たように感じている。ただ、今回も背景の色の刷りむらが目立っている。ここに掲載した画像は写真の撮り方がまずく、黒い部分が光の反射により白くなっているのがやや気になる。