このホームページを開くわけ


このHPは、私が広く社会に対して訴えたいと考えている意見、あるいは私がほかの人に誇り、自慢するために知らせたいと思っている事柄、あるいは、多くの人を喜ばせたり驚かせたりするために知らせたい何かを書いたものではなく、私を直接個人的に知っており、仕事のことや家族のことや生活に関して話しをしたり、一緒に食事をしたりしたことなどのあるせいぜい100人ほどの少なくとも私が親しいと感じている、これまでお世話になった友人・知人・親戚などの人々に向けて書いたものです。

10年前に還暦を迎えた折に、私が退職して愛媛県都松山から県南部の漁村に移り、釣りをして暮らすことに決めた旨の挨拶状をこれらの皆さんに出しました。その後は年賀状を書くことも怠りがちでした。このHPの中身はその後の10年間の生活の中で書いた「エッセー」の一部です。これを掲載することで、私がほぼ「つつがなく」過ごしてきたことを知っていただき、あわよくば10年間の無沙汰と失礼を許していただきたいと思っているのです。

「エッセー」は、私が行なった様々な釣りについて書いた第一部「わたしの釣り」、愛媛県の漁村での暮らしと宇和海・由良半島の自然について書いた第二部、および、幸福、エピクーロスの哲学、スポーツ、遊び、釣りについて。An Essay concerning happinessEpicureanismsportplaying & fishing.」と題する第三部からなる、三部作になっています。

第三部は論文調で「釣りで人は一生の幸福を手に入れることができる」という中国の古諺を論証するという形式をとり、やや理屈っぽい内容になっていますが、「エッセー」の全体は、実は自分史(それも最近10年間の)のようなものです。自分史は自己満足のために書くもので、ほかの人に読んでもらうために書くものではありません。また、昭和30年ごろまで、とくに戦前の日本には釣り好きの作家や知識人で釣りを趣味とする人がかなりいたと思われるのですが、現代日本においては、釣り好きの人のほとんどは面倒な議論を好まず、逆に議論の好きな人で釣りに興味を持つ人はほとんどいないと思われます。そのうえ、この第三部だけでワードで600ページもあるという長ったらしいものです。この「エッセー」が読まれることを全く期待していないと言ってはうそになりますが、読まれることはほとんどないと思っています。

私ははじめ自費出版にしようかとも思ったのですが、読まれることをほとんど期待できないものを紙に印刷した厚い本にして送っても相手を困らせるだけではないかということが気になりました。

そこで、ある友人のアドバイスに従い、もし読んでみようと思えばスマホにダウンロードして寝転んででも読めるように、場所をまったく取らない私的な「電子書籍」として、退職後、釣りをしていただけでなく、とにかく何かものを書いたということだけでも友人・知人・親戚などの皆さんにお知らせするということにしました。それがこのホームページ開設の理由です。お知らせは別途Eメールかはがきなどで行います。

古希を迎えて半年たった2016年2月、この「ホームページを開くわけ」を書きました。須藤自由児


トップページに戻る