資料B5 『上告趣意書』81年6月30日

「上告趣意書」 〔高裁の不当判決に対して、弁護側は、1981(昭和56)年6月30日に最高裁第一小法廷に上告を行った。以下は上告趣意書である。上告趣意書の内容は 第一 殴打行為について 第二 傷害の不存在 第三 上告趣意 からなる。〕

             「上告趣意書」
被告名、弁護士名は『控訴趣意書』と同じ

第一、殴打行為について
一、本件殴打行為の存否の認定において問題なのは、
(イ)11月7日以降の今道の症状が被告人の殴打行為によって発生したものとするためには、その殴打行為としてどの程度のものが要求されるか。
(ロ)本件目撃証人の目撃状況に照らし、右要求されるような殴打行為の存在を認めるのが合理的か、これを否定するのが合理的か。
(ハ)今道証言に右(ロ)の結論を左右するほどの信用性を認めうるか。
ということである。

二、(イ)について
控訴審における佐々木証言によれば、11月7日以降の今道の症状は心臓疾患に起因する塞栓症と仮定すれば最も無理なく説明できるが、ごく特殊な場合として外力による筋膜損傷の可能性も否定しきれないとされる。従って、今道の症状が被告人の殴打行為により発生したものであるとするため、その殴打行為はどのような様態、程度のものでもよいというものではなく筋膜損傷を惹起せしめるような様態、程度のものに限定されるのである。そして言うまでもなく筋膜損傷はごくわずかの力によって発生するものではなく、相当程度の外力が加わって初めて発生するものであるから、被告人の殴打行為もそれ相当の打撃力を生じさせる程度のものであることが必要とされる。本件の場合、被告人の殴打行為が存在したとすれば、それは偶然に手がふれたとか、手拳を押し付けるとか、要するにわずかの打撃力しか発生させないような程度のものではなく、相当に大きな動作を伴った激しいものであったはずである。そうであれば、かかる殴打行為は、こうした者〔目撃証人5人〕に目撃されたり、知覚されたりする確率は極めて高いと言わなければならない。

三、(ロ)について
1 しかるに本件目撃証人5名が5名とも殴打の可能性はおろか、その気配や衝撃すら気づいていないのである。 2 この点につき原判決は、第一に、中村証人、柏原証人は、殴打行為を見うる位置にいなかったというのであるから、この両名が殴打行為と見なかったとしても当然のことであるとする。
しかし、中村証言は次のようなものである。
Aの地点から〇1にいる今道文学部長は見えるわけですね。
見えます。
戸の陰になって見えないとかそういうわけではないですね。
見えます。
何かいかにもなぐるような大きな動作を学生がしていた記憶はございますか。
ございません。
(中略)
〔「貴様殴ったな」という〕その声を今道学部長があげる前後は証人は今道学部長の方を見ていたんですか。
見ていたというか、そちらのもみ合いを見ていたということだと思います。
その時に三好君が何かその殴るような動作をしたことは記憶にありますか。
全然ございません。
(中略)
ただ非常に注意していたかどうかは別として三好やったなといった瞬間、今道文学部長の方を見ていたことは確かなんでしょう。
だと思いますね。
右証言によれば、中村証人が今道を見うる位置におり、したがって殴打行為が存在すれば当然これを見ることができる位置にいたことは明らかである。もっとも、同証人は一方で、現場は混乱していたので殴打行為を冷静にみられるような状態ではなかった旨の証言もしているが、ここからは、混乱のため殴打行為があったとしても、これを見落とした可能性があるという推論は可能としても、原判決のように、同証人が殴打行為を見得る位置にいなかったと認定することは到底できないはずである。
結局、同証人は、一瞬の見落としまでは完全に否定できないにしても、殴打行為、それも前記の程度の殴打行為があればこれを見ることのできた可能性が極めて高い状況の中にいたにもかかわらず、これをまったく見ていないし、気付いてもいないのである。
次に柏原証人は次のように証言している。
暴力をふるったと言ったようですけれども、何か学生が実際に暴力を振るったような動作をしておりましたか。
私はよくわかりませんけれども。
よくわからないというのは見ていないということですか。
はい、そうです。暴力を振るわれたことが私は分かりませんでした。
(中略)
それはもしそういう大きな動作をすればあなたは当然見えたはずですね。
はい。
もっとも同証言によれば、同証人は、今道の右斜め後方にいたのであるが、このため殴打行為の際の被告人の手拳が今道に命中する瞬間の光景までは見ることのできない可能性があるにしても右証言から原判決のように同証人が殴打行為を見得る位置にいなかったと認定することなど到底できないはずである。逆に右証言からも明らかなように同証人は、本件において必要とされるような打撃力を伴った殴打行為があれば、当然にこれに気付くことのできる位置にいたのである。

3 第二に原判決はM2証人、S2証人の証言は殴打行為を否定するほどに積極的なものではないことを理由に、これらの証言を無視している。
しかし、M2証言によれば、同証人は今道とは7、80センチの接近した位置から一貫して今道の顔を見ていたのであり、それにもかかわらず、殴打行為やその気配すら気付いていないのである。また今道の様子にもなんらの以上を認めなかったのである。同証人は「貴様殴ったな」という今道の言葉を聞くや間髪を入れず「デッチ上げを言うな」と言っているが、これは同証人の当時の主観においても被告が殴ったなどとは全く思いもよらぬこと、したがって今道の右の言葉を極めて奇異なものと感じたことの証左である。
また佐藤証言によれば、同証人は、第一審判決認定のような被告人が右手拳で今道の左脇腹を殴打するという様態の行為があれば、これをきわめてよく見通すことのできる位置にいたにもかかわらず、被告人にも今道にも何の異常も発見できなかったのである。
殴打行為の不存在は目撃できない。従って殴っていない、あるいは殴打行為はなかったという形の証言を求めることは事の性質上無理というものである。そうした証言の性質上の制約の中では、右、M2、S2の証言以上に積極的な形で殴打行為の不存在を表現することは不可能なのである。確かに右証言によっても、同証人らがたまたま殴打行為を見落とした可能性は否定しきれないであろうが、その可能性は非常に低く極く特殊な場合を想定しない限り考えられないとするのが右証言の素直な評価というべきである。

4 第三に原判決は、松原証人が殴打行為を目撃しなかったからといって、ことは瞬間的な殴打であるから、殴打行為の存在を否定することはできない旨判示する。しかし、中村証人、柏原証人が殴打行為をみることのできる位置にいなかった旨の原判決の認定が誤りであることは、前記のとおりであるから、本件目撃証人は5名とも目撃可能な位置にいて被告人と今道の方を見ていたのである。そして問題は、それにもかかわらず、5人が5人とも見落とす可能性がどの程度あるかということである。確かに瞬間的なことであるから目撃証人が1名であれば見落とすこともあろう。しかし、前記のように本件の場合、殴打行為があったとすれば、それは相当程度に激しいものであったはずである。にもかかわらず、5人の目撃証人全員がこれを見落とすことなど、稀有な例外としてしか考えられないのである。

5 以上要するに本件目撃状況の検討からは殴打行為がなかったとするのがはるかに自然であり合理的である。

四、(ハ)について
今道は元来、大学における学生の自主的運動に対し特異な見解と言動で知られた人物であり、当時は被告人ら学生と激しく対立していた紛争の一方当事者であり、同人が強力に推進しようとしていた文学部長室出火に関する学生処分案が学内各層からの反対により手詰まりの状況にあったものである。従って当時の状況下において同人が傷害刑事事件をフレームアップすることは十分に考えうることである。また同人がそこまで意図的ではなかったとしても、大学内の紛争や会社、労働組合間の紛争等で、大勢に取り囲まれ追及を受ける等の場合、実際には何ら殴っていないにもかかわらず、あるいは単に手が触れた程度であるにもかかわらず、殴られたとして大袈裟に騒ぎ立て、相手がひるんだすきに逃亡することは間間見られるところであり、本件の場合もこうした可能性を否定することはできない。
しかも本件についての今道証言が微妙な点で二転三転し全体として信用できないことは第一審弁論要旨第三章に記載のとおりであるから、ここに援用する。
結局、今道証言は、当時の同人の立場からしても、内容それ自体からしても、本件目撃状況から導かれる結論を覆すに足るほどの信用性を認めることは到底できない。

五、結論

以上のとおり本件殴打行為の存否についての事実認定は、まず目撃証人の各証言を基礎に行われなければならないにもかかわらず、今道証言の信用性を無批判に肯定し、目撃証人の各証言にその評価を誤った結果、重要性を認めず、その結果として、今道証言を唯一の基礎として殴打行為の存在を肯定した原判決は、事実認定の方法と結論に重大な誤りがあるというべきである。

第二 傷害の不存在

一、佐々木証言(二審)
医師佐々木証人は、本件の今道の胸痛の原因について、二つの可能性を証言した。それは動脈塞栓症と外傷性筋肉炎である。
昭和53年11月8日の診断においては、右二つの可能性のうち、どちらが高いとも言えないということであり、同証人はその原因を確定し得なかったのである。
但し、ミオゲローゼという用語を同証人が使用する場合は、過去においては外傷性筋肉炎の場合ではなく、リューマチ等の非外傷性の疾患の場合であったということから言えば、同人が当時この疾患を非外傷性のものと推測していたものと考えるのが自然である。
また、昭和53年11月30日の診断の際の今道の痛みは、動脈塞栓症ならばこれに基づく阻血痛の継続と判定することは合理的であり、その確率も高いというが、外傷による痛みの継続(やく23日間)ということは極めてまれであり、ほとんどありえないものであるという。
右のような証人佐々木の証言からすれば、当然に動脈塞栓症の可能性が高くなるのに対して、原判決は全く合理的な説明をなし得ないままに、不可解な論理を展開している。

二 原判決への批判
1 原判決においては、11月30日の挫傷部位の特定が、十分に理由のある正当な医学的判断であるという。しかし肩甲骨運動によって痛みの部位が左前鋸筋であると判明しても、その原因が外傷によるものか、動脈塞栓症によるものかは区別がつかないものである。

右原判決の理由は、本件の原因が外傷であって動脈塞栓ではないというための材料にはなりえないのである。
2 原審は11月30日に佐々木が診断書を作成するに際し、資料となったのが今道の主訴であると言っている。しかし、胸痛の存在の訴えがあるからと言っても、阻血痛の可能性も存するわけであり、診断書の記載は佐々木が後に反省したように、根拠なく経卒に記載されたものに過ぎないのである。

3 また原判決は、今道の気分の悪化や食欲不振などの症状が本件以前にはなかったことを外傷の根拠としている。 しかし、昭和53年夏に佐々木が今道を診断したときには、気分が悪いからという理由で診察を受けているのである(一審佐々木2丁表)。一般的にも心臓の不整脈、期外収縮であるならば、動悸、苦痛、吐き気、めまい等が生じるのである(「心臓病学」226頁)。
本件において特に11月7日まで右症状がなかったなどと今道は証言していない。この点の原判決の指摘は明らかに誤りである。

4 原判決は、本件以前には動脈塞栓症に基づく阻血痛を疑わしめるような訴えはなかったことを理由に挙げている。しかし、不整脈、期外収縮だからといって動脈塞栓症が必ず伴うわけではなく、本件当時において、突然に発生しても何ら不自然ではない。また佐々木は、11月7日以前には昭和53年夏に一度だけしか診断していないのであり、今道の従前の訴えから動脈塞栓症の存否を判断し得ないのである。

5 原判決は、証人佐々木の証言中には、11月30日の診断結果が誤りであったとの証言はないという。 しかし、二審における佐々木の証言によれば、11月30日に診断書の記載内容は、明らかに根拠のない診断をしたことを認めているのである。右診断書は今道の主訴とそれに基づく軽率な推測によったものであることを自白したものである。

6 以上によれば、原判決の論拠は、佐々木が11月30日に診断書を作成したことは当時においては理由あるものであるというに尽きるのである。
11月30日当時においては佐々木が本件を外傷であると推定したならば、その診断内容をもって検察官の立証としては充分であると論断していることとなる。
しかし、11月30日の佐々木の推論が誤り、あるいは経卒であることが、二審の佐々木証言によって明らかになった以上は、本件が外傷か動脈塞栓症のいずれかであるかは判定不可能なはずである。
そうであるならば、検察官に立証責任が存することからすれば、本件の立証は不充分であるといわねばならない。
第三 上告趣意
1 原判決は、経験則、採証法則に著しく反した事実認定を行った。これは憲法31条、同76条3項に違反する。
2 現判決は重大なる事実の誤認をしているのであり、刑訴法411条3号の職権の発動を求めるものである。
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〔 須藤注:憲法第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第七十六条 3,すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
刑訴法第411条  上告裁判所は、第405条各号に規定する事由がない場合であっても、左の事由があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。
判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。刑の量定が甚しく不当であること。 判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。 再審の請求をすることができる場合にあたる事由があること。 判決があった後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があったこと。
刑訴法第405条  高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤があること。
最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
 〕

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