『 9.22学部長室火災をめぐる第一次調査報告 』1978年10月26日 文学部学友会常任委員会

資料Aー5『 9.22学部長室火災をめぐる第一次調査報告 』1978年10月26日 文学部学友会常任委員会


9.22文学部長室火災を契機として様々な弾圧が文学部学友会(自治会)活動に対してかけられてきた。立て看板撤去、破壊、そして文学部学生ホール5時ロックアウト、文学部祭に対する不当介入、等々が今道執行部のヘゲモニー下に本部「暴力」職員の実力を背景に行われてきたのである。
文学部学友会は、こうした9.22火災を口実とした文学部教授会今道執行部(そして総長室、警察権力)による弾圧に対し、二度にわたる声明と決議文(9.27声明、10.18決議)によって、その弾圧の本質の暴露と今道執行部徹底糾弾の意志表明を行ってきた。
一方、数々の謎をはらむ9.22火災の真相糾明を、学友会活動を防衛すべく反弾圧闘争をおし進めながら行ってきたのである。9.27学友会委員会決議に基づき設置された文学部学友会調査特別委員会は全体的視野に立ちつつ、9.22当日の状況と9.22前後の情勢を調査し、事態の糾明に日夜努力してきた。そして、9.27、10.18二度にわたる学友会委員会で明らかにされた調査特別委員会の報告資料をもとに、学友会常任委員会は、学内における大量学生処分と、警察権力による闘争弾圧をはね返し、学友会活動を保障する立場から、9.22の事態をめぐる第一次報告書を以下のとおり行う。

目次
第一章 9月22日以前の東大をめぐる情勢と今道執行部による一連の弾圧策動
第二章 9.22火災に関する調査報告
第三章 9.22以降の弾圧の全面開花・大量処分攻撃

第一章 9月22日以前の東大をめぐる情勢と今道執行部による一連の弾圧策動

(1)1月~3月、赤レンガ病棟自主管理闘争への新大管法弾圧キャンペーンと文学部長室座り込み闘争  ――3月2日文学部闘争への機動隊導入弾圧

10.26確認(文学部募金非協力声明)空洞化に抗議して、文学部有志による学部長室座り込み闘争が始められたのは本年1月27日のことである。おりしもこの前日、サンケイ新聞が赤レンガ病棟自主管理闘争に対する大々的な弾圧キャンペーンを開始すると同時に、自民党政務調査会長ならびに総務会が赤レンガ問題を取りあげ弾圧の姿勢をあらわにした直後のことであった。2月1日には国会で自民党が赤レンガ問題で質問を行い、続いて新自由クラブ(2月4日)、民社党(2月22日)、共産党(2月23日)が各々赤レンガ自主管理闘争への弾圧を要求する立場からの質問を行い、それに関連して文学部長室座り込み闘争に関する質疑が行われた。この間東大に関して、自民党文教部会および文教制度審議会はプロジェクトチームを作り、介入姿勢を露骨にしてきた(2月7日新聞報道)。

こうした赤レンガに対する集中的な弾圧攻撃は、第一に医局講座制解体闘争に対する弾圧であり、第二に新大管法制定策動、大学再編攻撃の一環であり、第三に刑法改正―保安処分粉砕闘争にむけられた弾圧であり、そして第四に現行医療体制の告発解体の闘いに向けられた弾圧である。

こうして赤レンガの政治焦点化は「東大問題」という形のサンケイ新聞、「赤旗」等のキャンペーンにより、文学部長室座り込みに対しても波及してきた。東大入試前夜の3月2日、文学部教授会は、機動隊導入を要請し、座り込んでいた学生を警察権力の力で排除したのである。入試を口実とした警察力導入を決断した向坊総長は3月6日砂田文相と会談している。しかし文学部有志は3月10日以降、再度文学部長室座り込み闘争に突入し、これ以降、9.22に至るまで座り込み闘争は継続された。

(2)4月~6月、全国的な弾圧強化と東大の闘いに対する政府・文部省・国会レベルの直接介入弾圧。原理研―勝共連合の闘争妨害、権力へのタレコミ。――文学部闘争の歴史的高揚による反撃

4月~6月には、政府自民党による三里塚がらみの弾圧強化の動きと、学内へのその波及、また警察と密接に連携した勝共-原理研による闘争敵対等の状況下にありつつも、文学部学生大会が10年ぶりに圧倒的に成立し、2波4日のストライキが打ちぬかれ、また反百年・募金阻止の方針を掲げた新学友会委員会が圧倒的に確立された。かくして、この期間は文学部闘争を圧殺せんとして4月に登場した今道執行部の目論見が、次々に破綻し、粉砕される過程である。

1) 社会的治安弾圧強化・新大管法―4.20文部次官通達攻撃
3月26日〔成田空港管制塔占拠等〕三里塚闘争に敗北した政府自民党は「成田治安立法」をはじめとし、闘争の主体であった青年労働者・学生、特に国公労働者に対する弾圧を徹底強化した。4月20文部次官通達は ⅰ)学内施設を本来の用途以外には使わせるな ⅱ)社会秩序破壊を呼びかける立て看板はただちに撤去せよ ⅲ)学生の修学実態の把握・教職員の服務規律の厳正な保持 ⅳ)警察の捜査活動に積極的に協力せよ、と全国大学に命じている。これは大学における一切の学生運動を圧殺しようとする新大学管理法制定に向けた布石であり、現在全国でこの通達の実質化攻撃がなされている。

また国公労働者に対し5.15通達がだされ、休暇の理由を明示することを強要するなど闘争参加を阻止せんとする露骨な攻撃がかけられた。
こうした全国的な弾圧攻勢と「過激派狩り」キャンペーンの中で、東大に対しても政府の直接介入が画策された。

2) 政府自民党の東大への介入弾圧
4月18日、衆院決算委員津島某(自民)は、「調査」と称して座り込み闘争が闘われていた文学部長室の近辺をうろつき、写真を撮るなどスパイまがいの行為を行った。5月2日にはやはり座り込みが闘われていた文学部長室に、文部省会計課長が会計検査の名目で不当介入し、今道文学部長はこれを積極的に推進した。5月15日には超党派国会調査団が「紛争状態」にある三部局、すなわち赤レンガ・文学部・演習林の闘争に介入してきている。この「調査」に先立ち、東大構内のステッカーが当局の指示によりはがされ、また本部「暴力」職員によって、立て看板の一部が破壊撤去されるなど、4.20通達の実質化攻撃がなされている。しかし、「国会調査団」は、不当介入に対する学生、労働者の抗議により、三部局に直接足を踏み入れることなく帰途についている。

3)「東大百年祭」の推進者・勝共-原理研による反百年闘争への敵対、妨害、権力へのタレコミ
本年4月7日勝共-原理研の組織する市民団体が、人事院に対して東大赤レンガ自主管理闘争に対する弾圧を要請している。彼らはこの春以来駒場において、「正道術」、「射撃同好会」などのサークルをつくり、武道と銃で武装し公然と登場している。これは昨年、数百の学友に追及されたことを総括し、東大一元支配のために武装登場も辞さずという体制を確立したものと考えられる。
彼らはこの5月、原理研糾弾に立ち上がった学生を「正道術」で負傷させ、さらに3名の学友を目黒署に「窃盗」ででっち上げ告訴している。これは目黒署公安との密接な連携の下で行なわれている点からみても、闘う学生を権力に売り渡す、彼等の学内スパイとしての本性を暴露したものにほかならない。闘争を一切許さないという原理研一元支配=筑波型大学を各大学で実現せんとする彼らは、東大においては闘う学友の告訴という形でその活動を開始した。

文学部ではすでに昨年6月、学内原理研諸君は山本文学部長に密書を送り、百年祭糾弾闘争を闘う文学部有志に対する中傷を行い、弾圧を強く要請したことも現在判明している。
また東大新聞は、勝共-原理研組織「世界平和教授アカデミー」に今道学部長が名前を連ね、会合に出席していることを暴露した。以下の④に詳述するが、今道学部長の文学部闘争の圧殺策動は、勝共-原理研との連携の下にあることは明らかである。「百年祭」を学内の先頭を切って推進している原理研顧問―大石泰彦募金委員長、そして唯一「百年祭」を賛美してやまない勝共-原理研、それと連帯する今道執行部、この「百年祭」強行推進―反百年闘争圧殺体制の構図を見ておかねばならない。現在の処分、告訴等の弾圧攻撃は、この流れの中でしか位置づかないのである。

4) 今道執行部による一連の闘争圧殺策動、文学部闘争の歴史的高揚
上述した全国的大弾圧の動向と、東大への直接的な政府自民党の介入という事態にも関わらず、反百年運動が多くの学科の討論の中で発展していった。昨年10月、募金に反対する文学部生400署名の力で勝ち取られた「文学部募金非協力」の学部長確認―これを空洞化し、空洞化に抗議する闘いを機動隊で弾圧し、その上に企業募金の強行がなされたことにすべての学友が怒ったからである。

そして5月18日、25日連続的な学生大会の成立、二項目要求の決議(10.26確認空洞化自己批判要求、文学部募金非協力体制確立)、2波4日間のストライキの完全貫徹という10年ぶりの画期的高揚が勝ち取られた。学生大会で承認された文・学友会団交を実行する会(以後団交実と略す)はスト権確立を背景に、今道執行部が持ち出した様々な不当条件を完全に粉砕し、6月23,29日と2度の団交を獲得した。

第一回団交で、文教授会は5.18学大直後、辻村評議員を5月1日付で募金委員に任命したことを明らかにした。昨年6月前募金委員が闘争の力で辞任させられて以来、文学部募金委員は空席になっていたにもかかわらずである。今道学部長は団交冒頭「二項目要求は応諾できない。団交を行うのでなく、説明に来たのだ。」と言い放ち、団交逃亡―闘争圧殺の姿勢が明らかになった。またサンケイ新聞のイデオローグ辻村募金委員は「募金常識」論に完全に居直り、一切の討論に応じなかった。

今道執行部の姿勢は7月7日団交直前の浜川第二委員の不当発言となって表れ、団交は破棄された。この日、今道学部長は「定期健康診断」を理由に退席し「必ず帰る」との約束を破棄し戻ってこなかった。

7日から8日にかけて事態が長引いた責任は、団交を円滑促進するのが任務であるはずの第二委員の不当発言にあったことは教授会代表団も以下のごとく確認している。

「 7月7日に予定されていた第三回学部交渉(団交)の開始直前において、立会人の浜川祥枝第二委員の適切でない発言があり、その内容をめぐって議論が紛糾し、その結果、交渉(団交)の開始が大幅に遅れている。立会人の石井進第二委員長はこの事態を打開するため、学友会団交を実行する会と確認書を作成すべく努力を重ねていたが、石井委員長の都合によりこの作業は中断の状態にたちいたった。今後この作業が継続されることが望まれる。
学部交渉のため出席していた教授会メンバーとして、以上のことを確認する。
  昭和53年7月8日
                 辻村 明、青井和夫、土田直鎮、戸川芳郎  」

ちなみに石井第二委員長作成中の文面は以下の通りであった。

「 本日予定されていた7月7日の文学部教授会と学友会との第三回学部交渉(団交)の開始直前に立会人浜川第二委員の不適切な発言をめぐって議論が紛糾し、その結果、交渉の開始は大幅に遅れた。この事態に鑑み、この場の立会人として、適切でないと考え、浜川第二委員にこの場から退場することを要請した。かつ今後、浜川第二委員に対して、この事態を深く受け止め、今後進退について自分なりに対処するものと期待している。第二委員長としては、今後、学友会とのパイプ役として、その責任を果たしてゆきたい。」

しかるに、今道学部長はこの確認すら反故にし、長びいた事態の責任をすべて学生側に転化して7月10日予定の団交を一方的に破棄した。学生側は、学外「法華クラブ」で会合中の執行部を追及し、団交破棄を弾劾した。12日の教授会に対しても学生側は会場に赴き全教官に対し強く団交を要求した。

この追及に打ち続き、学友会委員会が全学に呼び掛けた学外デモが14日に貫徹された。全学百余名の募金阻止の意思は、経団連ビル内の座り込みを闘いとり、「記念事業後援会」募金責任者花村経団連副会長に、文学友会、農自治会の抗議書が突き付けられた。

かくして、募金強行阻止に向けた闘いの意思は強固に形成されていった。この力に押され、今道執行部はついに7月28日の団交を約束した。反撃の力が団交逃亡を粉砕したかに思われた。しかし学生側は再び今道弾圧執行部の卑劣な約束破棄に直面した。
その布石は7月27日に打たれた。今道学部長は文学部学生ホールに突如現れ、7月7日の事態に関し「学生の陳謝を求める」などと言い、一方的に書き上げた「陳謝文」をなげつけて立ち去った。これに学生側の署名・捺印のなき場合は7月28日団交は中止するという、驚くべきものであった。

翌28日今道学部長は本部「暴力」職員を導入し、事情説明を求める学生に対し暴行をくわえさせ、逃亡していった。ついに今道執行部は一切の話し合いを拒否し、何が何でも夏休み逃亡―募金強行加担ー秋期大弾圧の路線を最終的に確定したのである。

(3)7月~9月団交逃亡、大弾圧策動と学生側の反撃体制の構築・今道執行部の完全なゆきづまり
8月初旬、文学友会・団交実は、5月学生大会以降の詳細な経過報告と闘争総括を全文学部生に郵送し、秋期文闘争をさらに発展させ、今道執行部の逃亡をゆるさず、強固な方針で二項目要求をかちとる準備を着々と進めた。
他方勝共-原理研組織「世界平和教授アカデミー」主催による「世界平和国際会議」全国講演集会が、7月下旬一週間にわたって開催された。これに対し東大をはじめとし全国の闘う学友による阻止・糾弾闘争が展開され、最終日の経団連会館での講演集会は中止された。このころより朝日ジャーナル、週刊ポスト等による勝共ー原理研糾弾・暴露が全国的に展開されている。
7月団交逃亡を成し遂げた今道執行部は、突出した闘争への弾圧を狙い始めた。彼らは戸川(中国哲学助教授)とともに、8月23日午前、文学部長室に侵入し、「傷つかないうちに出て行け」と恫喝をくわえている。これがのちに述べる「今道弾圧宣言郵送文書」では「9月1日以降不法占拠」の論拠とされている。
これに対し8月31日弾圧粉砕全学集会が夏休み中にもかかわらず80名の結集で打ちぬかれ、今道執行部がもくろむ休暇末弾圧策動は完全に粉砕された。
9月にはいると、団交実は10月学生大会―長期ストライキ方針を提起した討論用パンフレットを作成〔資料Ⅳ→団交実パンフ〕、9月18日には二項目要求貫徹、今秋期闘争勝利総決起集会をよびかけた。これには文学部60名、全学100名が結集し、文教授会、今道執行部への反撃体制が強固に確立された。
また9月13日学友会委員会も同じ闘争方針を確立するとともに、学内公然登場を狙う勝共-原理研に対し「一切の活動を許さない」という断乎たる決議をあげた。
これを受けて9月中旬学友会委員会は、文教授会との事務的折衝の場たる第二委員会交渉で、文学部祭等の援助協力を要求したが、今道執行部は一切これを拒否し、学友会委員会に対しても全面対決を布石している。

他方、9月18日東大新聞は日本精神神経学会決議を報道している。これは「精神科教室会議」(日共ー右派ブロック)の本多講師が、赤レンガ弾圧要請のため、職務上の特権を利用しサンケイ新聞に患者のプライバシーを売り渡しことを認めたものであり、そのため、サンケイ―政府自民党と勝共-原理研による反赤レンガキャンペーンが打撃を受けている。

18日集会に続く19日銀杏並木集会では今道学部長に対し大衆的な追及が展開され、執行部の居直りと話し合い逃亡の姿勢が再度全学の前に明らかにされた。
かくして今道執行部と文教授会に対する一切の幻想を払しょくした文学部生は、10月学生大会―長期ストライキへの決意をさらに固め、20日以降、連続的に学科討論を打ちぬくことを確認し合った。

この4月登場した今道執行部(実質的には今道は2月より全面登場している)は、様々な弾圧策動をくりかえしつつも、その都度学生側の反撃を受け、9月中旬には完全に追い詰められるに至っている。向坊総長の「緊張ある対話」路線も完全に放棄した今道執行部はいよいよむき出しの闘争圧殺と大反動攻撃に転ずべき必要に迫られていたのだ。

第二章  9.22火災に関する調査報告

(1)事態糾明の立場
9.22火災直後より今日にいたるまで、火災当時居合わせたとされる学生と、文学友会に対し、様々な弾圧がかけられている。9.22当日、文当局と警察は、学友会の現場検証立ち合い要求を実力で拒み、また文ホール、学友会委員会室が即座に立ち入り禁止にされた。また鎮火直後、パトカー2台で現場の書類が持ち去られ、しばらくして完全に学生を排除した現場検証が数時間にわたって行われた。
出火場所の報道が二転、三転した後、その日の夕方、本富士署は「原因不明」としながらも「失火」をにおわせるキャンペーンを開始した。またその日の午後には、砂田文相、瀬戸山法相、山田環境庁長官が一斉に反応し、管理強化、弾圧発言を行った。
またサンケイ、「赤旗」等による「失火」でっち上げキャンペーンも当日より開始された。
その後の警視庁公安による家宅捜索や出火とは関係ない物品の押収等の不当捜査が行われている。(詳細は第三章を見よ)

このような政府の弾圧号令、無根拠なキャンペーン、不当捜査、学生、家族に対する恫喝の延長に我々は次のことを透視しておかねばならない。“事実”の諸断片をいかようにも操作し、「犯罪構成要件」としていかようにも組み立て得るのは警察権力の方であることを。
かかる状況下では、学友会は弾圧にさらされた学友会の自治会員としての権利を守ることを前提としなければならない。「法的処置にゆだねざるを得ない」として自らは学生恫喝と処分のみに奔走する当局の動向や、公安を先頭に不当捜査を行っている警察・司法権力の動向を見るとき、憲法第38条に規定している諸点〔補注*〕にも留意し、十分警戒配慮しつつ事実の糾明にあたるべきだと考える。

補注 憲法第38条
何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
② 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
③ 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

9.22火災前後の事態についての経過は以下のとおりである。

(2)出火場所及び原因
原因、場所については確定的な報告はなされていない。出火場所については、9.22当日午後の段階では第二会議室(三四郎池側から見て左側)とテレビ・ラジオ等では報道されていたが、午後7:30の本富士署の当日の最終発表では、学部長執務室(真ん中)と変えられた。この変更の理由は明らかにされていない。
出火原因は、当日7:30の本富士警察署の発表では「不明」とされている。「今道文書」によると、床面の焦げ跡は「長時間に渡る緩慢な燃焼を示しているとのことである」とされているが、この情報は全く根拠のないものである。マスコミ等では「たばこの火の不始末」、「学生の失火?」等々の「失火」キャンペーンが張り巡らされているが、現状は警察発表すら「不明」であり、今道文書第三弾(第三章(2)を見よ)でも、第二弾の「原因糾明を待って、学生の責任を徹底的に追及する」との論調から、「火災の直接的原因は何であれ」と変化しているように、原因は不明である。
(3)出火前後の諸事実
 

時刻 事項 情報源 
早朝(5時以前)   東大病院北病棟で火災ベルが鳴る 東大警備員 
5:10~20頃 警備員、構内巡回―異常なし(法文2号館も) 〃 
6:06頃 火災ベル「発報」 〃 
〃 「農学部が火事だ」と男の声で警備本部(安田講堂内)に電話で通報 9.22「日経」夕刊 
〃 若い男の声で「農学部が火事」と本部へ通報 警備員  
〃 (坐り込み)学生、用務員に通報を依頼すると共に消化開始 テレビ・新聞 
〃 用務員、本部に通報 用務員 
〃 本部警備員A氏、「農学部の学部長室が火事」と通報 A氏 
6:12過ぎ頃 各消防署より出動 消防士  
 言問通り陸橋(工学部と農学部を結ぶ陸橋)付近でベルのような音を聞く 通りがかりの学生  通りがかりの学生
6:15頃 消防車10台前後、農学部に入る 通りがかりの学生・新聞配達の人 
 A氏、「文学部長室」と訂正の119番 A氏 
6:18 消防車、農学部から移動 通りがかりの学生目撃・付近の店員 
6:20頃 消防車、正門より入る 〃 
6:25頃  消防士、学生と室内放水交替 消防士 
6:30頃 消防車、外より放水開始  見物の学生目撃 
7:00~7:30 付近にいた学生を本富士署が強制連行  〃 
7:35頃 鎮  火 新聞報道 
7:40頃 パトカー2台、書類を持ち出す 駆け付けた学生証言  
   

(4)捜査・調査体制等について
 

       
時刻 事項 情報源 
22日1時 現場検証(警視庁、本富士署、消防庁、科学捜査研究所 今道文書 
22日  「第二会議室より出火」 一部夕刊、ラジオ、テレビ
 「学部長執務室より出火  一部新聞 
25日 一週間の休校措置 当局告示 
10月4日 再現場検証  文教官、学生目撃 

(5) 諸事実に関する問題
1.まず、午前5時以前の段階で、東大病院北病棟で火災ベルが鳴っている。また6時ごろ、農学部付近でべるのような音を聞いた学友がいる。しかし、10.9付け東大新聞は、「そのような事実はない」と報じている。医・農・文と、闘争現場である部局で相次いで火災ベルが鳴っていると思われる。この夏、精神科自主管理病棟のある建物のガラスが割られる事件があり、農学部でも、学内広報で報じられている通り、60数枚のガラスが何者かによって割られている。

2.「農学部が火事だ」という若い男の声で、安田講堂内の警備本部に通報があったことがわかったが、この男がだれであるかまったく不明である。このことは「日経」の夕刊が若干報道している以外は、報道されていない。また本部警備員A氏がいったん「農学部長室が火事」と通報しているが、文学部の用務員が「農学部長室が火事」というはずはないし、「文学部長室が火事」というのを安田講堂の警備員が「農学部長室が火事」と聞き違えたとは考えられない。

3.消防車10台前後が農学部に入ったのは、通りがかりの学生と新聞配達人が見ている。この事実については、一切の報道機関が報道していないが、10.9付け東大新聞は「1,2台しか農学部へは入っていないから、時間的ロスはない」と報じている。
4.10.4再現場検証は、一切の報道機関はおろか、当局すら発表していないが、ある学生が目撃しているし、文学部の某教官も認めている。火災の現場検証は、雑誌『火災』(日本火災学会)によれば「現場探索(現場検証)は、一度失敗したならば、二度と繰り返すことはできない」とあり、一回性が強調されている。10.4の再現場検証はこの鉄則から外れている。 更に、当日鎮火直後、現状保持を第一とすべきにも拘らず、パトカー2台もの書類を現場から持ち出し、学友会の現場検証立ち合いを拒否し、二日後、当局によって現場ぼ後片付けが行われたこと等に留意するならば、権力の行った現場検証から導き出される結論は、「科学的根拠」が乏しいばかりか、でっち上げの可能性があると考えざるを得ない。

第三章 9.22以降の弾圧の全面開花・大量処分攻撃

(1)文ホールロックアウト・立て看破壊撤去 ― 自治会活動への圧殺攻撃
9月中旬まで完全に追い込まれていた今道執行部は、あたかも待っていたかの如く、9.22以降露骨な弾圧を開始した。
まず彼らは24日法文1,2号館付近のすべての立て看を破壊し撤去した。25日反弾圧集会に結集した学生・労働者に対し、待機していた文・教授会は今道学部長、また中村事務長を先頭に、国文科森川助教授を参謀とし、突然襲いかかり、殴る、蹴る、時計を引きちぎる、ハンドマイクを叩き壊すなどの暴力行為を行った。26日には今道学部長は「反省もせず文ホールを使っている」として、文学部ホール5時ロックアウトを一方的に宣言、文教授会数十名と本部「暴力」職員百名以上を導入して、力ずくで学生を排除し続けた。以後同様にして連日学生の強制排除と立て撤去を繰り返した。

しかし、学友会の粘り強い反弾圧闘争によって10月9日以降、5時ロックアウトを完全に粉砕し、18日以降は立て看撤去も完全に中止させた。現在、文ホールは7時までの使用を克ちとっているが、今道執行部は7時になるや、突如完実質的には7時ロックアウト体制をとっている。さらに、11月文学部祭をやらせない等の恫喝すらおこなっている。また、対策委の主任教官を中心に、学友会委員や団交実メンバーに対し、教育実習に必要な人物調査書交付を拒否したり、学友会や団交実方針に対する見解表明を要求したりしている。そして教授会においては、活動者に関する情報交換がおこなわれているという。こうした恫喝は文学部に限らず、文学部の団交に参加した他学部の学生にまでかけられている。

(2)打ち続く弾圧宣言と刑事弾圧要請
1)今道、三文書の郵送
ところで、実力で学生を弾圧する一方、今道執行部は、三通にわたる文書を文学部生に直接郵送し、団交破壊・逃亡を正当化するとともに、学部長室火災について見解を述べ、学生処分を含む、徹底的な弾圧姿勢を明らかにした。まず、9.22告示では、「出火の原因が明らかにされるのを待って、その責任を徹底的に糾明する所存である」とし、9.23文書でも、同様の見解を述べている。しかし9.29文書に至ると「出火の原因が何であれ-----学生の責任は免れない」とし、火災の原因などに関係なく、弾圧を行うという今道執行部の弾圧執行部としての本性を露わにした。まさに「火災」は弾圧の全くの口実に過ぎなくなっている。

またこの間の文書で今道は「座り込み」を突如「占拠」と言い出し、8.23の通告が最後通告だから、9月1日以降は「不法占拠」であるといった論調を打ち出し、弾圧者としての本性をむき出しにしている。これはどうにかして学生を重罪に陥れようとする意図に他ならない。9.22以降本富士署は「原因は不明である」と言いつつ、「重失火罪」で捜査を進めている。また、9.26閣議では「占拠学生の厳重処分、損害賠償請求を行うよう」東大に指示している。
つまり、「不法占拠」が火災の遠因であるとして、「重失火」デッチ上げを行うことにより学生を逮捕し、損害賠償を行わせ、闘争を一挙につぶそうとするのが、権力、今道執行部の一致した方針に他ならない。「9.1以降不法占拠論」は実に巧妙は刑事弾圧の要請であり、それに向けた布石なのである。

2)「文学部・対策委」、10.3総長談話、10.7今道の東大新聞記者会見
こうした中、9.22当日、文学部は臨時教授会を開き、「火災に伴う事後措置に関する対策委員会」「委員長今道、第一小委員会(緊急対策)梅岡委員長、第二小委員会(中期対策)辻村委員長)と「責任問題対策委」の設置を決定している。「責任問題対策委」は10.7以前に、「学部長と占拠を続けていた一部の学生に責任がある」と答申し、すでに解散している。

また、全学的には10.3に臨時評議会が開かれ、「火災当日の管理責任の所在を明らかにするととともに、学生の処分問題にもついても当然検討」すべく、「文学部火災事故に関する調査特別委員会」が設置され、10月末までに結論が出されることになっている。また10月3日当日の総長談話は「出火責任問題は文学部の結論をまって慎重に判断を下したい。-----不法行為は最終的には市民法に基づく法的措置に訴えざるを得ない」と今道執行部の弾圧路線に加担する姿勢をあらわにした。こうして今道の弾圧路線が評議会を通じて全学化せんとしている。

また10.7東大新聞との記者会見で、今道は「火災当日に泊まり込んだ学生だけでなく、占拠に関わった学生諸君も責任を免れない」、「管理強化は総長の指示ではなく独自の判断」、「私は総長が学内秩序を全く放置しておられたんじゃないかと思う」、「損害賠償は学生に請求するのが当然だ」、「9.27学友会決議において非常識な結論を圧倒的多数で出してきたので非常に心外」、「今回の不祥事の遠因は山本前文学部長との強引な話し合いであり、これは本来処分の対象であったが、これを処分しなかったことが火災を招いた」、「個人として確認書(10項目確認)があってもその後の措置がとられていなくて、ルール不在の社会だと認めて、処分ができない社会だというのだったら、世界中の悪者はみんな東大に入ればいい、と思う」などと、学生処分復活をめざして、全学の先頭で画策しているのである。

(3)政府、マスコミを背景とした今道学部長の処分恫喝

9.22の当日の朝の閣議で早くも文学部長の火災が話題となり「東大の秩序」について批判が集中した。また夕刊では、サンケイ、「赤旗」をはじめとして失火キャンペーンを張り巡らし、事実と反する「焼肉パーティー」、「学生には似つかわしくない高級ウィスキー」等々の悪質なデマ宣伝を開始したのである(事実は、食事のため、ラーメンに入れる肉をフライパンで炒めていたのが「焼肉パーティ」の真相であり、高級ウィスキーとは山本前学部長が残していったナポレオンのことである)。
こうして早くも、文闘争、赤レンガ闘争に敵対し続けてきたサンケイ、日共「赤旗」は、デマキャンペーンと悪意に満ちた中傷で、文闘争圧殺の攻撃をかけてきたのである。

9月26日の閣議で、砂田文相は東大当局に次のように指示を発したことを明らかにした。1)?学内外に陳謝する。2)大学の建物管理の正常化を図る。3)管理責任者の処分を行う。4)占拠学生の厳重処分とあわせて損害賠償請求を行う。
また、瀬戸山法相は加藤国家公安委員長に「犯罪に類する行為なので厳重な措置をとられたい」と指示し、加藤は「今捜査中の段階だが、厳重な措置をとりたい」と答えている。政府をあげて弾圧にとりくむことを宣言しているのである。
また、9月29日には自民党総務部会が文部省をつきあげ、会計検査院は「赤レンガ改善要求」を出してきたのだ。そして10月2日~4日には、サンケイ新聞は農学部のガラス破壊は過激派の仕業だとまったく許しがたいデマキャンペーンを張り、このころ、サンケイから「東大精神病棟」が出版されている。こうして弾圧―処分に向けた陣形を整えた今道は、17日「君たち、退学の覚悟はできたか!」と恫喝、捨て台詞を残して銀杏並木を立ち去ったのである。

(4)画策される大量処分攻撃 「告訴―処分は愛にもとづく正義の贈与」とその美学論文に語る今道学部長は、何が何でも学生の大量処分をなし切らんとしている。10月9日朝日新聞には学生処分に関する三つの学内見解が紹介された。1)処分権はない。2)10項目確認はどうにでも解釈できる。3)処分しなければ笑い者になる。今道は3)の部類に属し、学生処分を是が非でも敢行せんとしている。その布石として10月19日には、学生の実名入りの掲示・ビラが学部長名で貼りだされ、配布された。
10月23日付学内広報はこれをそのまま文学部部局ニュースとして掲載した。これらは全学に対する処分攻撃宣言であるとともに、この間「対策委員会」の学科主任教授らによる学生呼び出しや、家族への脅迫等の個人恫喝の一環でもあり、明確な弾圧である。この動きを受けてた部局の闘争においても、最近、実名入りのビラが郵送配布され始めている。

10月24日サンケイ新聞「正論」には今道執行部の一員である辻村明評議員(かつ募金委員)が「『過激派』とは毅然と対決し、変な妥協はあり得ない」とし「火災」を契機に文学部=無法地帯から脱出すること、すなわち闘争全面圧殺、筑波型支配を行うことの決意を表明している。 同24日砂田文相は向坊総長、今道学部長他9名の事務官僚の処分を発表した。しかしこの「前代未聞」の責任者大量処分は、学生への大量処分攻撃をみちびくための体裁を整えたものに過ぎない。この日砂田文相は再び学内管理強化を指示し、これを受けた10月25日サンケイは「課題は学生処分」とキャンペーンをはり、今道執行部による処分復活策動を強力に援護している。

百年祭-移転再編合理化の強行過程の中で、今、学生処分が歴史的に復活されようとしていることを見忘れてはならない。これは新大管法攻撃に学内から呼応するものであり、今道執行部の処分策動は、全学労働者、学生の総力を結集して粉砕してゆかねばならない。

               

 

東大反百年祭闘争を闘う  目次 へ