第二部 第6章 ムカデ、ゴキブリ、イノシシ






第6章 見出し一覧



就寝中、ムカデに刺される
ムカデは嫌だ
ムカデは害虫、クモは益虫だ
ムカデの駆除は難しい
何度溺れても生き返る
ムカデとの戦いは続く
ムカデはなぜ人の布団に入りこむのか
キーワードは冷たさと湿り気か

ゴキブリも眠っているとやってくる
ゴキブリの害は大したものではない
マッシュポテトのようなゴキブリ駆除剤
自由・幸福と恐怖・地獄

イノシシが海で捕まった
私の家のそばにも姿を現した
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太平洋戦争を挟む20年ほどの間であろうか、由良半島は尾根まで完全に段畑化されていた。しかし、かつての段畑の縞模様はすっかり山林に覆われてしまっている。おかげで、私は、山林を住処とする様々の野鳥のすばらしい鳴き声を居ながらにして楽しむことができる。寝室の窓が白み始めると間もなく、ウグイスやコジュケイが一羽また一羽、始めは辺りを伺うかのようにゆっくりと低い声で鳴き、次第に早口にまたトーンを高めて行き、私の起床、離床を促す。昼間は、イソヒヨドリやホトトギスなど他の鳥も加わって、鳥たちが賑やかに鳴き、夜、布団に入る頃には、カッコウの澄んだ声が山林に木霊し、ハチクマかトラツグミか、まだ私にははっきりしないが、物寂しい静かな鳴き声が聞えてくる。

他方、夏の由良半島の自然は、私が暑さのせいでなかなか寝付けず、本を読むなどしてやっと眠りについた真夜中、私の部屋の中、私の布団の中に侵入し、昼間、気前よく与えてくれる恵みを取戻すかのように、私に一撃を食らわせ、私を叩き起こす。いまいましいムカデのことである。

就寝中、ムカデに刺される

最初にムカデの襲撃を受けたのは、家串で暮らすようになって3年目の2008年5月のことだった。連休で遊びにきていた息子の大地を送って松山に行くことになっている前の晩のことだった。夢を見ていた。寝ていて汗をかき、少し冷えていたのかもしれない。雪解けのぬかるんだ道か、少し前に読んだ開高健がイトウを釣ったときのことを書いた文に出てくる北海道の湿原なのか、あるいは家串で毎日みるホンダワラがいっぱい生えている海面なのか、そんな湿ったあるいは濡れた場所で、私は体を水平にして浮かせ、表面すれすれのところを飛んでいた。両手を斜め前に突き出して、水上スキーをしているように、手のひらを広げ、表面をすべるか、すれすれに飛ぶかしていた。この姿勢で、足はどうなっているのだろうか。足が気になった。次ぎの瞬間、足にガツンというショック。足の指を襲う激しい痛みで目が覚めた。

ムカデだと、直感的に分かった。起き上がって掛け布団をはぐと、10センチを越える黒いやつがわさわさと走って逃げるのが見えた。部屋は蛍光灯の豆電球だけの灯りで薄暗い。隣に眠っている息子を起こしてしまわないよう、天井の蛍光灯を点けるのはやめた。

叩き潰してやろうと思い、手にするべきものが何かないか周りを見回すが見つからない。部屋の反対側のタンスの上には、布団たたきと孫の手が置いてあった。しかし、眠くて、そのときにはそのことを思いつかなかった。それに、刺された(とこのときは思っている)足が痛み始めた。薬だ、先に、虫刺されの薬をつけようと、隣の居間に行き、付け薬などが置いてあるサイドボードの上を探す。居間に続くキッチンの流しの上の蛍光灯は点いたままなので、だいたいは分かる。キンカンもあったはずだが見つからない。息子が持ってきていた「カユミにバイバイ」という付け薬があった。これは虫刺されにも効くのだろうか。ビンに書いてある「効能・効果」を読もうとするが強い近視と薄暗いのと字が小さいのとで、分からない。キンカン、キンカンのほうが確かだ。しかし、キンカンは見つからない。「えーい、仕方がない。これを塗ろう」。「カユミにバイバイ」を痛む指の付け根に塗り、部屋に戻って今度は明かりをつけ、ムカデを探す。ムカデはまだこの部屋にいるかもしれない。ほおって置いて大地までやられたら大変だ。さっき明かりをつけなかったのは大地を起こしたくなかったからではなかったようだ。自分の足の痛みに気をとられ、明かりをつけてムカデを退治することに考えが及ばなかったのだ。

大地は少し顔を動かしたが、目を覚ます気配はない。敷布団もめくって見るがもうムカデの姿はない。ムカデはさっき部屋の端に向って行った。畳と畳の間、とくに畳と敷居の間にはところどころに虫がもぐれるような隙間があり、そこから下にもぐりこんだのかもしれない。もう、布団の近くにはいないようだ。しかし、また出て来たらどうしよう----。刺されたところがまだ痛い。もう一回薬をつける。そして居間の蛍光灯をつけ、小間物を入れた引出しの中を、キンカンが入ってないか捜す。だが、いまさら他の薬をつけてもしようがないかと、「カユミにバイバイ」の「効能・効果 」を読み直してみる。最初に「虫刺され」と書いてある。よかった。これなら、たぶん、効くだろう----。そうだ、「アース・リキッド」があった。蚊を寄せ付けないためのものだ。ムカデもこのにおいを嫌って部屋から退散するかもしれない。リキッドを寝室にもっていき、コンセントに差し込む。本格的な対策はまた昼間考えよう。

眠っていたのに、刺された瞬間にムカデだと思ったのは、2、3週間ほど前に、似たような事件があったからだ。そのときも眠っていた。ところが、首筋のあたりに、急にザワザワッというか、ゾゾゾッといったらいいか、悪寒のようなものを感じ、私は手で払うか擦るかしながら目を覚ました。「どうしたのだろう」。私は原因がわからず、とにかく起き上がって、部屋の明かりをつけた。枕もとから、細長く赤黒い虫が走って逃げていく。「悪寒」の原因はムカデだった。危なかった。きっと手で触っただろうが、「刺されず」に済んでよかった。このときは私は近くにあった新聞を折りたたんで、ムカデを上から押さえつけ、つぶしてやった。そして、どこからきたのか調べてみた。部屋の端の敷居と畳の間にはムカデくらいなら出入りできそうな隙間がある。寝室の戸は閉めて寝ていたが、戸を閉めた状態で下を覗くと、虫ならばいくらでも入り込める程度の隙間がある。戸の隙間を通り廊下から入ってきたのかもしれない。しかし、何のために入ってきたのだろう----。そんなことを考えていた矢先の出来事だったから、寝ていてショックを感じただけでムカデだと直感したのだった。

子供の頃は田舎に住んでいて時々見かけたし、ムカデは怖いものと教えられていて刺されないように気をつけた。どこの家にも油漬けになったムカデの入ったビンがおいてあった。当時の人は、つかまえたムカデを油の入ったビンの中に放り込んで殺したのである。体が半分熔けかかったのやら、生きているときの体を保ったままのものやらが数匹見え、ビンの中はにごっていた。刺されたら、これをつけると治ると言われた。刺されたことはなく、そのムカデを溶かした油を塗ったこともなかった。

私は15年程前に松山に移ってくるまでは、東京に住んでいた。夏休みに家族で三宅島へ遊びに行った時に、初めてムカデに刺された。泊ったのは前から釣り宿にしていた民宿だった。宿の建物は1983年の噴火の際に燃えてしまい、建て替えられたばかりで、部屋もお風呂場も新しくきれいだった。お風呂に入り、体を洗っているときに、足のすねをムカデに刺された。5、6センチのゲジゲジとみまちがえるくらいの小さなやつだったが、やはり刺されると痛い。私は体を洗うのはやめ、お湯を掛けて大急ぎで風呂場から出ると、大丈夫だろうか、体に毒が回るなどということはないだろうか、どうしたらいいか、宿の人に尋ねた。「大丈夫。キンカンをつければ効く」と言われ、宿においてあったキンカンを塗った。そのときのキンカンの効き具合がどうであったかは覚えていないが、キンカンが効くと言われたことははっきりと覚えている。このときのことを思い出し、今度もキンカンを探したのだ。

「カユミにバイバイ」も薬効にインチキはなく、15分か20分経つと痛みが引いた。明かりを消して寝ようとしたが、興奮して眠れず、しばらくして時計を見るともう5時半になっていたので、そのまま起床することにした。刺された個所は足の、親指から数えて3本目の指(手の指とは異なり、足の指には親指以外名前がついていないことを「人体図鑑」で、後に知った。)の付け根付近で、刺された個所にはその後、しこりのようなものができ、一週間近くしつこいかゆみが残った。

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ムカデは嫌だ

自分の目で見たことがあるが、ハチは尻尾の先に針があって、これで「刺す」のである。サソリ類も尾の先に毒針があって刺すという。しかし、百科事典で調べてみると、ムカデは「針で刺す」のではなく、口に1対の毒爪(どくそう)と呼ばれるものがあり、これで噛み付くのだという。蛇蠍という語があるが、私は、毒蛇はともかくとしても、シマヘビやアオダイショウなど毒のないヘビは全く怖くない。子どもの頃は尻尾を掴んで振り回したこともある。しかし、ムカデはいやだ。昼間なら見つけたら叩き潰すことができる。しかし寝ているときに襲われるのでは対処のしようがない。

ムカデには二種類あって、孵化後の幼虫のときには少ない胴節数で、脱皮ごとに体節の増える「増節変態」を行うジムカデ目と、孵化したときに成体と同じ胴節数をもち、脱皮ごとに漸進的な成熟に向かう「微変態(整形変態)」を行う大ムカデ目とがあるという。各体節の両側には1対ずつの「歩肢」があり、ムカデは(足のないヘビと同じように)体をくねらせながら、この足(肢)というよりひげのようなものを動かして、這うようにしながら歩くのだ。

ムカデは漢字で百足あるいは百脚と書く。ジムカデは31〜177の体節をもつというから、その多くは実際に足の数は100本以上あり、最大354本の足をもつということになる。これらは白髪三千丈の顰に倣えば「千足(脚)」あるいは「万足(脚)」という漢字をあててもよかったと思われる。日本で単にムカデと呼ばれているトビズムカデなどはオオムカデ目に属する。オオムカデの「歩肢」は21対というから、「百足」と書くくらいが妥当なところかもしれない。


写真はトビズムカデ(「熊本シロアリ駆除」ブログより借用)


ムカデと同じ「多足類」として括られるゲジ(ゲジゲジは俗称)には、日本全国にいる体長2〜3cmのゲジと、南方系で体長が4cm以上のオオゲジの2種類がいる。ゲジゲジは子どもの頃から何度もみたことがある。15節以上ある体節から各1対の歩肢が出ていて、ムカデと同様頭部に毒のある口器を持つという。わたしは家串で、死んだばかり(夜8時過ぎに階段で見つけたが、夕方6時前にはなかった)のゲジゲジを見つけ、足の数を実際に数えてみると、前方に突き出した長いひげ状のもの1対を除き、足は確かに15対であった。

私が見つけたのは体長が10センチ近くもある大きなモノで、背中は褐色である。ゲジは背は黄色で、オオゲジの背は黒ずんでいるとされているが、オオゲジのイラストがない。ゲジのイラストでは胴の前と後の太さが同じだが、私が見たのは、頭に近い方の胴が細く、途中から尻に向って太くなっていて、ゲジとは体型が明らかに異なる。オオゲジであることは間違いないと思われる。それ以前にもこのオオゲジが部屋の中をゆっくりと歩くのを何回か見た。部屋の隅の押入れの中で、角の柱を伝って下りるのでなく、上からぽたりと落ちてから歩くのを見たりもした。気味悪いが、わたしの体に寄って来たり、特に悪いことをすることもないようなので、殺虫剤を掛けたり、ハエたたきで叩いたりせず、放っておいた。だが、ムカデ同様、毒腺のある口器を有するというので、こちらからは近づかないように用心する必要はある。


大ゲジの写真。『夏井いつきの100年俳句日記』「昆虫図鑑」2013/10/10より借用(これは、しばらく前まで夏井さんの実家のあった家串のゲジの写真ではなく、「いつき組」組員の昆虫和尚白道さんという人から届けられたもので、白道さんのお寺の掘り炬燵に入りこんだものの写真だという。2016.11.25.追加)


ゲジは全身薄茶色で地味な色だが、ムカデは体節は赤黒く、歩肢は黄色で、明るいところで見ると、派手なあるいはいかにも毒々しい色彩をしている。一番後ろの体節の歩肢は他の体節のものよりも長く、横にではなく、後方に向ってついている。ムカデは尻尾で刺すのではなく、口で噛むのだということを知った後でも、たとえば、大きいトゲ抜きでムカデの頭部を掴んだときに、体をくねらせて絡み付いたムカデが尻尾の先の歩肢を振り回し、わたしの指に触れそうになると、慌てて、トゲ抜きを掴んだ手を緩めてしまう。

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ムカデは害虫、クモは益虫だ

ムカデは肉食性で昆虫、クモ、ミミズなどおもに地表や土中にすむ小型の無脊椎動物を食べるという。平凡社百科事典の執筆者は、屋内の昆虫を捕食する「益虫」であると書いている。害虫を捕食するというが、歩行速度は歩肢の数には比例せず、ムカデの歩く速さは大したことはない。敏捷なゴキブリや、部屋の中を飛び回る蚊やハエを捕まえることができるとは信じられない。それに害虫と言っても、蚊やハエ、ゴキブリの害はたかが知れている。カやハエは対策が容易である。ゴキブリの駆除は簡単ではないが、ゴキブリがわたしに与える実害は、寝ているときにたまにゴキブリが体に登ってきて、眠りを妨げることくらいである。これについてはまたあとで触れるが、ムカデに夜中に噛まれる経験がなかったなら、たとえゴキブリに体の上を歩かれたとしても、私はそのまま寝ているかもしれない。ゴキブリそのものの害は小さいと思う。ミミズは昔から川釣りの餌としてよく使われてきた。また、わたしはダーウィンのミミズについての論文を読んだことがあるが、ミミズは、土地を掘り起こし、土壌内への空気や水の浸透を盛んにするので農作物を作るのに重要な働きをしている。ミミズはまさしく益虫である。そのミミズを食うムカデは、むしろ、害虫である。

また、屋内の害虫を食う益虫というなら、私は、まず、クモを思い浮かべる。百科事典の執筆者はクモの姿が奇怪だというが、私はクモは好きだ、少なくとも嫌いではない。クモは人に噛みつくことはほとんどなく、捕まえようとしてかまれても、大した毒はないという。トビグモ(日本名はハエトリグモ)は小さくでかわいい。畳の上などをぴょんぴょん跳ぶのはよく目にする。ハエを上手に取るという。アシダカグモは家串では10センチもある大型のものが珍しくなく、初めて見たときは少し驚いたがゴキブリを取ってくれるというので、決して追い払ったりいじめたりはせず、家の中を自由に徘徊、あるいは闊歩してもらっている。


写真はアシダカグモ。 ブログhttp://musisanpo.musikoi.main.jp/による。愛知県に住んでおられる「夏子」さんが自宅の風呂場で撮った写真だという。並べられた物差しで大きさが5〜6センチとわかる。ブログ内のすべての写真が、素人が見ても、非常にくっきりとした画像ですばらしい。大部分はブログのタイトルの通り、虫の写真だが、近所で見かけたという鳥(どれも非常に見事に撮れている)、また旅行先の写真などもある。アシダカグモの写真一枚だけお借りしたが オオゲジの写真もすばらしく、上の写真が夏井いつきさんからのものでなければ、夏子さんの写真をお借りしたいところだ。



平凡社『世界大百科事典』を見ると、ムカデは本文が3ページ、文中のオオムカデとジムカデに半ページずつ、そしてイラストが1枚である。クモはこれに較べてはるかに多くのページが割かれている。本文は6ページ、そして16の科のクモについて、さらに半ページずつ説明があり、そのうちのいくつかにはイラストがある。研究者も多いらしく、詳しく生態が調べられており、読んで大変楽しい。クモはその種類により獲物の捕らえ方、生殖の仕方、巣の形状などが異なり、糸を吐く器官と糸の種類、用途に応じた使い分け、求愛の仕方、上昇気流や風を利用した「空中飛行」など、なかには奇想天外なものを含む、多様で興味深い生態をもつ。また、クモが多数の虫を食べるので、応用クモ学という分野さえあり、害虫駆除にクモを役だたせる研究が行われ、すでに実用の段階まできているという。

ムカデは、ミミズやクモなどの益虫を食う、益虫の敵であり、ムカデを益虫と呼ぶのは解せない。そして何よりも、人が寝ているときに、つまりこちらから攻撃を仕掛けたわけでもないのに、噛み付いて痛みを与えたり、腫れ、しつこいカユミを引き起こすとすれば、悪質な害虫と呼んで然るべきであろう。蚊ならば、刺されても知らずに眠っていて、後で、目が覚めたときに、刺されたことに気がつくという程度だろう。ゴキブリも、夜中に体に登ってくると、わたしは目を覚ますが、それもムカデにやられたためのPTSDのせいであり、元はといえばムカデが原因であり、ゴキブリ自体が悪いとはいえない。たぶん、息子の大地などはゴキブリに体の上を這いまわられても平気で寝ているだろう。

DVDROM平凡社大百科事典によると、《古事記》には、オオクニヌシ(大国主命)がスサノオ(須佐之男命)の娘、スセリヒメに出会い、二人が恋仲になると、スサノオはオオクニヌシの勇気をためすために、蛇の部屋に入れたり、蜂とムカデの部屋に入れたりする。 また、《今昔物語集》は加賀国蜈蚣(ムカデ)島で、航海者が蜈蚣に悩まされる大蛇を助け、その後、この島に住んで子孫繁昌したという伝説を伝えている。日本では、古来、ムカデは、ヘビも人もかなわない、恐ろしい生き物とみなされてきた。だからこそであろうが、他方で、ムカデは毘沙門天の使わしめという信仰があって、これを尊敬する寺(鞍馬寺)や地方があるともいう。わたしは、偏狭で排外主義的な愛国心には反対であり、また世間の常識や伝統なるものには囚われないが、ことムカデに対する恐怖あるいは畏怖の心情に関しては、日本の伝統を大いに尊重する。

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ムカデの駆除は難しい

家串で初めてムカデに「噛まれた」その年の8月、松山に戻った時に買ってきたムカデ駆除剤を撒こうと、寝室の畳を起こしてみた。すると部屋の隅の「畳寄せ」のところに、小さいながらムカデが昼寝の邪魔をされたかのように体をくねらせた。迂闊にも、もしいたらどうするかを考えずに畳を動かしたのだが、あわてて近くにあったウチワをつかみ、柄の部分で押さえつけて体をつぶし、殺してやった。それから板を動かし、床下の通風孔の近くや、壁と床の境目などに駆除剤を撒いた。私は、これで当分、ムカデは私が寝ているところにはこないだろう、と考えた。また、念のため、外に出て、家の通風孔のすべて、8箇所ほどに薬を撒いた。

薬の成分は「ピレスロイド系殺虫剤シフルトリンを配合した製剤」で、適用害虫としてムカデ、ゲジゲジ、シロアリ、クロアリ、ダンゴムシなどが書かれている。ゴキブリは含まれていなかった。

このシフルトリンは効いたのか、どうなのか。寝室の畳の下と床下の通風口などには撒いたが、隣の居間や、その隣の(半分だけ棚で仕切られた)キッチンは板張りの床で、薬を撒くところがない。まさか、人体に無害であろうはずがない粉末の農薬を床の上に撒くほど私は無知でもおろかでもない。こちらには撒いていないのだから、玄関から入り廊下やキッチン、居間を通って寝室に入ってくることは可能だ。

しばらくはムカデは出なかった。しかし、薬を撒いたその晩と、さらにその1週間後、夜中にゴキブリが体に登ってきて、目が覚めた。体重もだいぶ軽いだろうし、足の数は6本と少なく、体の上を歩かれたときの感じはムカデとは少し違う。とはいえやはり眠っているときに皮膚の上を歩かれると、ひどく気持ちが悪い。直前まで眠っていて思考力が低下しているため、はっきりムカデではないと判断することもできず、気持ちの悪さだけでなく怖さも付きまとう。どのように払いのけたかは覚えてないが、ゴキブリとわかってほっとした。ゴキブリはシフルトリンの「適用害虫」には入っていない。ムカデに効いているかどうかはわからないが、確かに、ゴキブリには効き目がないようだ。

夏は暑いので、ホームセンターで買ってきたキットを組み立てて作った網戸をはめた。しかし、網戸にはカギを掛けることができない。私は金目の品物は持っていないし、現金も家には置かないので、夏の間はカギのかからない網戸を閉めるだけで、外出する。ところが閉めて出た網戸が、帰ってくると10センチほど開いている。確かに閉めたのにおかしいと思っていたら、以前この家に飼われていたネコが、私の留守に網戸を開けて勝手に出入りしていたのである。

また、私が2階でしばらくパソコンに向かっていて、一階に人影が見当たらなかったためであろう。階段を下りていくと、キッチンからネコが出てきて玄関から外へ逃げ出すこともあった。網に爪を掛けて開けるようだ。ネコは家主が替わったことを知っており、勝手にこの家の中に入ることはいけないことだということも知っている。というのは、家に入り込んでいたネコは、私を見ると、慌てて外へ逃げ出すからである。家の中を野良猫に歩き回られるのはいやなので、夜寝るときも含め一日中、網戸が開かないように、1mほどの丸竹のつっかい棒をしておくことにした。私自身の出入りは、網戸の反対側にあるガラス戸2枚を開け閉めして行なう。話がわき道に逸れたようだが、要するに、網戸が開かないように、竹の心張り棒をするようにしていた。

ところが、シフルトリンを撒いてから1ヵ月後、9月の始め、この棒が外れて転がったので、つっかいをやり直そうと持ち上げると、竹の切り口の一方の穴に土が詰っている。玄関も、玄関の外もコンクリートであり土が入るのはおかしいと思いながら、下にしてとんとんとやると、乾いた土くれと一緒に、ムカデが飛び出した。ムカデが、つっかい棒として1ヶ月間使われていた竹の棒の一方の穴の中に土を運んできて、マイホームを作り、住み着いていたのだ。竹の棒で上から押さえつけ、靴で踏みつけ殺した。ムカデは、家の床下や通風口に駆除剤を撒かれ、家の中に入るのはあきらめたのかもしれないが、玄関先までは、接近可能とやって来ていたのだ。

それまで、玄関の外で4〜5回ムカデを見つけ、たたきつぶしたことがある。また、数mしか離れていない堀田さんの畑の隅に積んであった、枯れた作物のつるや葉を動かしたら、ムカデが何匹も逃げ出した。玄関の脇のゴミ箱を動かしたらその下に、太さが1センチもあるメタボの大きなムカデがのそのそと歩き出した。叩き潰そうと玄関に入って棒を取ってから、そこへ行くともう姿がない。一段高くなった隣の畑との境のコンクリート擁壁にある、水捌け用の穴に潜ってしまったらしい。また、2階で寝転んで窓の外をみていたら、隣の家のコンクリート屋根のひさしの下を15センチはある、巨大なムカデがゆっくりと動いていくのが見えた。このようにムカデは家の外のあらゆるところにいるのだが、ムカデが土を運んで、竹の棒のなかに住処を作るとは知らなかった。

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何度溺れても生き返る

その10日ほどあとのことだ。流しには使った食器が洗わないまま水に浸けて置いてあった。そのうちの1つにムカデが入って死んでいた。ややふやけた体を伸ばして、白っぽい腹を上にして、水の入った深皿の底に沈んでいた。流しのゴミ受けの目皿から這い出てくるのを見たことがあるが、溺死したムカデを見るのは初めてだ。どうして水の中で死んでいるのだろう。水を飲みに来たのだろうか。そしてうっかり足を滑らして、水に落ち、泳げずに死んだのだろうか。しかし、足の1本や2本滑らしてもまだほかに99本か98本(実際には40本ほど)あるのだから、その足で食器の縁につかまることもできるだろう。そしてムカデがカナヅチだとは信じられない。水に落ちても虫は水の上に浮いて体をくねらせて泳ぐことができるのではないか。ムカデの体長は6〜7センチ。そして皿の直径は15センチ程度。泳げなくても、体を少しくねらせれば反対側に届いただろう。このときはちょっと首を傾げただけだった。

2011年の夏、朝食のあと、歯磨きをしながら、ガスレンジの脇に置いてあった、ぼろきれを捨てようと持ち上げた。昨夜レンジの表面の油汚れを拭いてそのまま置きっぱなしにしておいたぼろきれで、持ち上げるとその中から10センチほどのムカデがぽとりと、流しにおいてあった皿の上に落ちた。きのうスパゲッティを食べた皿で少し深いが、縁の近くでは緩やかに傾斜している。私はすぐに水を張った。ムカデは体をくねらせ「100本」の足を動かして泳いだ。水は皿の縁までは届いていない。蛇口をひねって水を入れたときに、一杯にならないように調節したのである。水が一杯になっていれば、縁に掴まったムカデはすぐに外に出てしまうだろうと考えたから。案の定、縁に近い斜面に取り付いたムカデは頭の近くの数対の足を動かして、その斜面を登ろうとするが、皿の表面が滑るために十分につかまることができず、また水の上に浮いている体の部分が長く重いためであろう、体を引き上げ、斜面を登ることができない。こうしてムカデは体をくねらせ、斜面になった皿の表面を数本の足で掻きながら、泳ぎつづけた。私は歯を磨きながら観察した。2〜3分するとムカデはぐったりとして、泳ぐのを止めた。

溺れて死んだのかと思い、流しにあった箸で突いてみた。するとムカデは再び泳ぎだした。泳ぐときには先端の触覚(の片方)を上に上げ、少し頭を持ち上げて泳ぐ。また止った。白い皿の底を背景にして口の周辺がよく見えた。先端の長い触覚、白っぽい歩肢のほかに、赤い爪のようなものが一対ある。こいつが毒爪なのであろう。目はないことも発見した。動いているときにこの毒爪の間に箸の先を差し込んでみたが噛み付きはしない。しかし、2本の箸で体を持ち上げると体をひねって頭を上に向け歩肢で箸にしがみつきつつ、この毒爪で噛み付いた。体を掴まれると攻撃されていると感じ、反撃を食らわすのであろうか。数回、泳ぎと休みを繰り返し、15分くらいでぐったりとした。それまでは、休むときには歩肢を動かすのを止め、頭と触覚も水に浸けていた。今度は体の前半部が水面下に沈み、先ほどの休憩とは違う。死んだのだろうと、箸でつついてみると、再び、元気になり、泳ぐ。こんな状態が30分続いた。私は百足の「観察」(それとも虐めか)ばかりを行っていたのではない。歯を磨いた後は、今日が最終日になるというアナログ放送のテレビをちらちらみながら、玄関の外の洗濯機を回したりもしていた。1時間後も、行って見ると動いていないが、箸で掴むと動き、抵抗し、そしてしばらく泳いだ。その後私は2階で、野鳥に関する随筆を書いていた。----

11時半過ぎ、アナログ放送終了の歴史的瞬間を見ておこうと、二階から下におりた。4時間たっていた。ムカデは腹を上に向けて水の入った皿の底に沈んでいた。箸でつついてみても、今度は動かなかった。やっと死んだと、流しの中に散らばっていたミカンの皮などとともに、あとで外に捨てようと、小鍋の中に移した。そして食器を洗い、昼食を食べた。そして再びパソコンに向かい、---夜になり、7時ごろ、夕食を食べ、8時前に、小鍋のゴミを、流しの目皿にたまっていたゴミとまとめてボウルに移した。このとき、ムカデが一瞬動いた。どの程度「生きているのか」を確めるために箸でつっつくと、驚いたことに、朝、泳いでいたときとほとんど全く変わらずに元気に体をくねらせ、40数本の足を動かした。

何たる生命力か。昼前にいったん水の底に底に沈んで動かなくなっていた。そしてそれから6時間、他のゴミといっしょになっていたが、その間は動けなかったのである。動くことができたならば、ミカンの皮などの上を伝って歩き、逃げ出すことができたはずだ。いったん仮死状態になって、6時間経ってからちょっとした刺激を受けると元気を回復し、動き回る。箸で押さえつけると抵抗する。私ははさみで真中からちょん切り、さらに頭のすぐ近くでちょん切って引導を渡してやった。

流しでは、溺死したもののほかに、年に数回ムカデを見た。わたしはお風呂の残り湯を棄てずに取っておく。蓋をしておき、翌朝の洗濯にそのぬるま湯を使う。夏は昼間外でかいた汗を流すのに使う。夏、お風呂の残り湯にムカデが沈んでいることが何回かあった。

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ムカデとの戦いは続く

薬を散布したあと、ムカデはあちこちで見たが、しばらく寝室には現われなかった。薬が効いているのだろうと思っていた。しかし、2ヵ月後の10月始め、朝おきてすぐ、寝室の隣のリビングの床の上を大きなムカデが歩いているのを見た。ムカデは私に気が付き足を速めて逃げ出した。私はすかさず、スリッパのまま上から踏んづけてやった。グチャッと内臓が飛び出したが、しばらくのた打ち回って暴れた。この頃には百科事典を読んで、「刺すのではなく、噛み付くのだ」ということを知っていたので、はさみでそのムカデの頭を切り取ってから、ぼろ布で床を拭き、体と頭を包んで捨てた。もちろんつぶれた内臓がべったりとついたスリッパも雑巾で拭いてきれいにした。寝室のほうに来なかったが、薬を撒かなかったリビングには出てきた。寝室と居間との間には敷居があるが、ムカデにとって、その敷居が高く越えられなかったということはないだろう。なぜ寝室にはこなかったのか。寝室の畳の下に撒いたシフルトリンの効果があったと考えていいのだろうか。私は、この年、なぜムカデが眠っている人間に近づくのかは考えなかった。

薬の効果はあったとしても1年と持たなかったらしく、次ぎの年6月になると、ムカデがこんどは寝室にやってきた。眠っていたが、頭のてっぺんが何かモゾモゾする感じで目が覚めた。虫だと思い灯りをつけ、枕を動かすと6〜7センチの小型ムカデが体をくねらせ、逃げようとした。前年は大騒ぎをして折りたたんだ新聞紙で叩いたり、上から押し付けて潰したりした。この年には慣れたのだろう。落ち着いて近くにあった紙で掬うようにしながら隣のリビングに押しやり、テーブルの上のハサミで挟んで持ち上げ、すぐにちょん切るのではなく、流しに運んでからちょん切ってやった。

同じ年の9月には、朝、目が覚めてしばらくふとんの中にいるうち、右足の指がチクチクするのを感じた。2〜3日前にも同じようにチクチクして少し痛いような感じがあった。ふとんの中にいてまだ眠いときだった。起きてしばらくするとなんともなくなり、そのまま忘れていた。だが、その日も同じような軽い痛みを感じてまたかと思った。痛みを感じるのは第三または第四指の付け根のあたりである。通風とは違う。

30代の頃、毎晩寝酒を飲んでいて、その頃、たぶん通風ではないかと思う痛みを第二指か第三指の付け根に感じたことがある。通風は重く、だるいような痛さだ。最近はアルコールはほとんど飲まない。飲んでも、量が全く違う。通風ではありえない。やはり気のせいかと思っていると、そのチクチクという痛みが強くなってきた。「ん?」何かいるのか、そう思って足元の毛布を裏返して見る。しかし、何も見つからない。やはり気のせいか、そう思ったとき、「いたっ!」。持ち上げていた毛布の端っこから2センチか3センチの小さなムカデがぽとんと落ちた。「こいつか!」確かにこのチクチク感はムカデにかまれたときの痛さだ。しかし、小さいせいか大した痛さではない。チョロチョロッと畳の上を逃げようとする。「逃がすものか!」しかし、叩いて殺すために手に持つものがない。手で触るのは、やはり怖い。そこで足を持ち上げ、かかとで叩いて潰してやった。もちろん、小さな奴だからできたのだが。

部屋を掃除した際に、箪笥も動かし、後の壁の間のほこりなども掃除機で取った。外側が籐でできたタンスを動かしたときに、畳とタンスの間に、長さが10センチほどのムカデの姿が見えた。眠っていたのか、体をくねらせたが動きは鈍かった。しかし,掃除機で吸いこんでしまおうとしたが間に合わず、動かしたタンスの下にもぐってしまった。他の木製のタンスは下側の枠と畳との間には隙間がない。しかし、この籐のタンスの枠の下側は4隅で畳に接しているが中間では少し上にカーブを描いていて、畳との間に隙間がある。少し大きなムカデのようなものでもタンスの下に出入りしやすくなっているのだ。そこで、この隙間へ四方から殺虫剤を噴霧してやった。間もなくムカデが体をくねらせて逃げ出してきたので、掃除機で吸いこんでやった。蚊やハエを撃退する薬で、ムカデが死ぬかどうか怪しい。掃除機に吸いこまれても生きていれば、外に這い出す可能性もある。吸いこむのでなく捕まえて殺すほうがよかったかとも思ったが、後の祭であった。ムカデ駆除剤を畳の下と床下には撒いたが、畳の上には撒かなかった。しかし、ムカデが棲み、出入りするのに格好なこの籐のタンスの下の空間を放置しておくことはできないと思い、畳にシフルトリンを撒いて、タンスを置くことにした。

ムカデが屋内に入ってくるのは、食べ物の残りをあさるためでも、また、もちろん人に噛み付くためでもない(注)。ムカデは肉食性で、昆虫、クモ、ミミズなど、おもに地表、土中にすむ小型の無脊椎動物を食べるという。したがって、もともと、屋内、コンクリートの土台の上や畳と床の間などにいるのでなく、外の畑などに棲んでいた(る)はずだ。この家が空家になっていた間は、家の中にカやハエやゴキブリはいなかったし、したがって、それを食うクモなどもいなかった。人が住み、食べ物の滓や人の血液を求めるこれらの虫が集まってきて、さらにそれを食うクモなどが集まると、ムカデも、それらを食おうと、家に入り込んでくるのだろう。屋内に侵入する理由はわかる。しかし、なぜ、ムカデは眠っている人間に噛み付くのだろうか。

(注)ただし、ウィキペディアによると「オオムカデ類は人に対して能動的に攻撃をかけるものがある」という。「能動的に攻撃をかける」とはどういう意味か。犬は人を見分け、場合により、「人に能動的に攻撃をかける」ことがある。しかし、ムカデが、人がそばにいること、あるいは近寄って来たことを知って、ムカデの方から人に向かって行き、攻撃をしかけるだろうか。

ムカデは部屋の中で私が歩いているときに出会うと、2〜3m離れていても逃げる。たぶん、何か大きな動物(たぶんイノシシなど)が敵であることは知っているだろう。しかし、「攻撃をかけるために」離れている相手に向かって行くことはないのではないか。私が眠っていて動かないときには温度や湿度は感知するだろうが、敵である動物だと「思わない」のではなかろうか。

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ムカデは口器として2対の小あご、1対の大あごを持つ。ミミズやたいていの虫はこれで噛み付けば十分なはずだ。毒爪は、たとえば、イノシシなどのように、土を掘り返し、虫を食う大きな動物に対しての武器になる。それと同様、人間が偶然、畑などでムカデと接触したときに、ムカデは反撃のために噛み付く。寝ていて体に触れたムカデを人が手で払うことは、ムカデにとっては攻撃になり、噛み付いて反撃する。それも理解できる。しかし、なぜ、ムカデは寝ている人間に近寄るのか。

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ムカデはなぜ人の布団に入りこむのか

どこかで、ムカデは湿り気を好むと書いてあったのを読んだ。そして私は、ムカデが寝床に入ってくるのは、わたしが眠っているときにかく汗を求めてのことではないかと考えるようになった。ムカデは、私の汗、あるいは寝具の湿り気を求めて私の布団に入り込み、暫くの間、私と添い寝をしようとするのだ。私がおとなしく寝ていれば問題は生じず、彼女は、朝、夜が明けるとともに静かに帰って行くだろう。ムカデが出なかったと私が思っているその夜にも来ていたのかもしれない。だが、たぶん、私の腕や足がちょっと動いた拍子に彼女を圧死させそうになった、あるいは私が彼女の予想に反した乱暴な行動に出た。彼女は驚き、自己の命を守ろうとして、あるいは乱暴から身を守ろうと反撃した。これが事の真相かもしれない。このように考えた。

そこで、起床したら、廊下の戸を開けて、シーツや毛布のほこりを払うだけでなく、シーツは部屋の中に張った洗濯物を干すためのロープにかけ、毛布や敷布団は横にしてあるテーブルに掛ける。こうして、汗で湿った寝具を乾かし、畳も乾燥させるようにした。こうすれば、布団の中にムカデが入ってくる可能性が小さくなると考えたのである。だが、毎日というわけにはいかない。

釣りに出かけるのは、できるだけ早朝の方がよい。友人の源さんは、夜明けとともに釣りに出かけ、戻ってから朝食を取るという。しかし、私は、朝が弱い。目がさめるのは、早くて、5時過ぎ。そして、すぐに起き上がる元気はない。布団の中で、しばらく、取りとめもないことを考えたり、筋肉が痛むことが多い手足をさすったりもんだりする。それから、食事の用意。早起きをして、朝食を食べずに、釣りにでかけるのは、1年で数回というところだろうか。たいていは、新聞を読みながら食べるので、1時間以上かかる。食べているうちに血糖値が上がってくるのか、はっきりと目が覚め「さあ、今日も釣りに行くぞ」と元気が出てくる。食事を終えたら急いで釣りに出かける。----というわけで、釣りにでかけるときには、朝は、時間がない。寝具を払って、風に当てるのは、釣りに出かけない日、平均して、週の半分程度である。

しかし、汗は寝るたびにかくものだ。毎日、シーツや毛布をはがして、乾かすようにしたとしても、数時間寝れば湿るであろう。たぶん、敷きっぱなしにし、全く干さないよりは、時々でも干したほうがよいだろうが、今行なっているこうしたムカデ対策が十分だというわけにはいかないことも確かである。

2011年、家串に来て6年目に、ムカデについて、新たなことに気がついた。7月上旬、例年に較べかなり早く梅雨が明けた。わたしの家は、南側のコンクリート建ての家の陰になり、真夏でも、昼間の気温はめったに28℃を越えず、また、夜になると、北側の山肌を伝って冷気が下りてくるため、朝は23〜4度と非常に涼しい。夜、冷房を掛けて寝るのは、暑がりの息子が来ているときなどほんの数日にすぎない。

それでも、夏は就寝時、頭や顔が熱いと感じ、たいてい氷枕かアイスノンをし、時には冷した濡れタオルを額に乗せて寝ていた。なにもしないでバスタオルを1枚お腹に乗せて寝るより、こうやって頭をうんと冷し、そしてタオルケットを体全体に掛けて眠るほうが気持ちよく眠れると思っていたからである。

夜中、髪を引っ張られるような感じで目が覚めた。長さが4〜5センチ、体の太さ1.5ミリほどの小さなムカデだった。このときは噛まれないですんだ。その数日後には、やはり就寝中にこんどは上腕を噛まれた。どちらも、寝る前に読んでいた単行本の固い表紙の縁で押さえつけて潰した。腕に噛み付いたやつは胴の太さ3ミリ、長さが7〜8センチとそれほど大きくなかったせいか、痛みは大したことはなかった。しかし、「カユミにバイバイ」を塗ったが、腕がかなり腫れ、痒みはずっと続いた。肘の上を噛まれたのに、数時間後には、腫れた場所が移って、肘の下10センチあたりが腫れた。腫れも今までに最大で、歯磨きをして腕を動かすとぶるんぶるんと揺れるほどだった。(もしかしたら、2箇所噛まれ、上のほうだけに薬をぬったのかもしれない。)

次の日には、釣りにでかけたときに持っていったセロファンの袋に入ったクッキー、濡れタオル、冷水のPBを入れたビニール袋をキッチンのテーブルの上に置いたまま寝た。朝になって袋から中のものを出そうとしたときに、長さが10センチ以上ある大きなムカデが飛び出してきて驚かされた。キッチンのテーブルの上にはアリもゴキブリも上がっては来ないらしいのに、ムカデは湿り気と冷たさを感知して、テーブルの足をよじ登って、上がったのだろう。これはとげ抜きで挟んで捕まえ、包丁で3つに切ってやった。

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キーワードは冷たさと湿り気か

就寝時の冷した濡れタオル、氷枕やアイスノン(バスタオルを巻いて使うのでこのタオルも湿る)、冷水を入れたPBと濡れたタオル。夏におけるキーワードは冷たさと湿り気ということになるだろう。

連日のようにムカデの攻撃を受け、わたしは、アイスノン、冷した濡れタオルを使うことを止めた。また、特に暑くて寝苦しいと感じた日には、アイスノン、濡れタオルを使うだけでなく、涼しさをいっそう増すべく、灯りをすべて消して、真っ暗にして寝ていた。もしかしたら、真っ暗にして寝るのはよくないのかもしれないとも思い、明かりをつけっぱなしにして数日は寝た。しかし、昼寝をしていてやられたことも2〜3回あった。部屋の明るさが関係あるかどうかははっきりしない。今はあえて明るくすることはせず、豆電球をつけて寝ている。

就寝時に、頭を冷すと気持ちがよいアイスノンと冷した濡れタオルの使用をやめるのは残念であった。しかし、それを止めたからといって快眠を完全に犠牲にしたわけではないということがすぐにわかった。

偶然数日後に見たNHK「試してガッテン」(まだアナログ放送をやっていた)によると、確かに顔や頭を冷すと気持ちがいいと感じる。しかし、額や顔、頭はセンサーで、そこを冷すことは体温を下げようとするなら逆効果である。センサーで「体が冷えている」と感知した自律神経の働きで血液循環が抑えられ、熱が体外に放出されにくくなるという。

実際、頭は冷されて気持ちがいいが、その他の部分、腹や、足が熱いと感じ、結局、なかなか眠れないと感じることもときどきあった。また、眠った後、ひどく汗をかいて目を覚ますことがしばしばあった。それは、眠りについたあと頭を冷したために体の中に熱がこもって体温が上昇し、その結果普通以上に汗をかいたためかもしれない。そう考えて、また、ムカデの攻撃から免れるために、夜布団に入って頭、顔を冷すことをやめた。それが効を奏したのかどううかは明らかではなかった。夏の間、1階の寝室ではムカデにはやられなかった。だが、2階で昼寝をしているときにムカデに噛まれた。

2011年は例年になく多くのムカデが現れたようだ。北條さんの話しでは、2階の部屋でベッドに寝ていて、7月下旬までにすでに2回も噛まれた。いままで、1階ではよくあったが、2階にまではこなかった。10年以上こんなことはない。今年は異常だ。

粉末の薬剤を畳の上に撒くのはいやだった。8月、薬局でスプレー式の薬剤を買った。そして附属の細い管をつけて、畳と畳の、畳と壁の、畳と敷居の間の隙間に噴射した。おそらくこれは効いたと思う。それ以後、1階の寝室にも、2階にもムカデは現れていない。

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<追加>このエッセーをHPに掲載して半年後、ビジュアル化を図る「改装工事」を行った。つまり画像を挿入することにした。そこでWeb検索でみつかった「熊本シロアリ駆除」ブログに掲載されていた写真を借用することにした。
ほかにもいくつかの会社や民間研究所がブログなどを掲載していて、ムカデの生態や防除、駆除対策に関する有益な情報を載せている。とくに、私は、ムカデに噛まれたときに、43℃から46℃のシャワーのお湯で石鹸なども使いながら5分以上噛まれたところを洗うなどの方法は、今度試してみようと思う。私のエッセーを読んであまり役に立つ情報を得られなかったと感じた方がおられれば、それらを閲覧するようお勧めしたい。2016.11.25.

ゴキブリも眠っているとやってくる

ゴキブリの写真。ゴキブリを一度も見たことがないという人は、まず、いないと思われるが一応掲げる。
HP「アース 害虫駆除 なんでも事典」より借用。


08年8月、ムカデ駆除剤を床下、畳の下などに撒いた、その当日の夜中、寝ていると、大腿部に虫が這い上がってくるのを感じた。ムカデが出たのかと、恐る恐るゆっくりと起き上がって確かめると、ゴキブリだった。ゴキブリは昼間なら、手でふん捕まえて殺してやるのだが、眠くて、いったん感じた怖さを克服できず、廊下に新聞紙を取りに行っている間に、逃げられてしまった。ムカデはともかく、ゴキブリは「ムカデ駆除剤」には平気らしい。それにしても、台所の流しには食べ物の屑が多少はあるのだからそっちに行けばいいものを、どうして眠っている人間の体の上に這い上がってくるのか。ゴキブリは人間の汗が好きなのだろうか。

数日後、再び、寝ていて、大腿の辺りにサワサワという感じがして、目が覚めた。ムカデではない。ムカデのあの100本の足が与えるザワザワ感とは違って、やや軽い感じ。もちろん、決して気持ちのいいものではないのだが。手を伸ばして頭の上のスタンドのスイッチを入れて、上半身をそっと起こして正体を確かめる。「クソッ、やっぱり、ゴキブリだ」。

2度目だったので、落ち着いて体を前に曲げ、ねらいを定め、ソレッと手を伸ばして掴まえようとしたが、残念、逃げられた。だが、どうして体に這い上がってくるのか。台所に食べ物の屑はあるのにと、この前と同じことを考える。そして、開高健の『オーパ』の中の言葉を思い出した。「生の豊穣」。

家串には魚も沢山いる。2、3日前、夕方、ちょっと船を走らせて曳いただけで、メジカが5、6匹簡単に釣れた。野鳥が毎日にぎやかな、あるいはきれいな、また時に哀愁を帯びた、鳴き声を聞かせてくれる。もちろん、盛夏の今、耳を聾せんばかりに、セミも一日じゅう鳴いている。畑にメジカの頭と腸を捨てた翌日、他の生ゴミを捨てようとその場所に近づいたら、松山では見たことのなかった銀バエも含めすごい数のハエが集まっていて、ゴミを投げるとワーッと雲のように湧き上がった。夜ともなると、ムカデはしばらく出ていないが、きっとゴキブリが我が物顔で出没しているに違いない。「生命」があふれているのだ。  

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ゴキブリの害は大したものではない

眠りを妨げられるのは癪だが、ゴキブリの害は大したものではない。百科事典によれば、ゴキブリの体内には病原性のウィルス、バクテリア、原虫などが存在するが、ゴキブリが直接の原因となって病気が流行したという証明はないという。またゴキブリによりアレルギー性皮膚炎などが起こることもあるというが、ときどき、夜中に体をなめられているらしい私の場合、カに刺された場合よりも、ひどい炎症が起こったということは一度もない。病原菌を持っていたり、病気を媒介する可能性があるという点では、カもハエもゴキブリも似たようなものではないだろうか。わたしもゴキブリは好きではないが、ゴキブリを特にひどい害虫だとは思っていない。

50年以上前になるが、私が子どもの頃、夏は窓を開け蚊帳をつって寝ていた。夜中に蚊帳に止ったウマオイが突然「スーイッチョ、スーイッチョ」と大きな声で鳴き始めて、起こされたことがあるし、夕食後、お風呂に入ってじっと温まっていると、風呂場の隅に積んである薪の束のあたりから「コロコロコロ」と閻魔コオロギの鳴き声がしたりした。カやハエはすでにこの頃にも、駆除に力が入れられていたし、駆除のために様々なものが使われていた。だが、そのころのように多くの生き物、多くの虫がそこいら中にいたときには、ゴキブリはありふれた虫の一種として、特別に嫌われたり憎まれたりしてはいなかったのだ。日本ばかりではない。英語のコオロギ・cockroachはスペイン語のゴキブリ・kucarachaから来たという。イギリス人がかつてゴキブリをコオロギの仲間とみなしたことの証拠であろう。そしてスペインには「ラ・クカラチャ」という題名の歌がある。どこにでもいてカサコソと忙しく駆け回るゴキブリは楽しい歌の材料になったのだ。

しかし、ハエやカが家の中からはほとんど駆除されるのと並行して、山林や田畑に大量の農薬つまり殺虫剤が使われた。そして、昔と較べて、住宅地の周辺が「きれいに」なってしまい、草むらや藪、ゴミ捨て場、水溜りがなくなって、コオロギやキリギリス、カタツムリやミミズ、ナメクジなど住宅地の周辺にたくさんいた生き物や虫がほどんど見られなくなった。生物相全体が貧弱になった。現代の日本においては、大都市はおろか、地方都市でも、郊外の住宅の中に鳴く虫が入ってくることはほとんどないのではなかろうか。

テレビのゴキブリ取りのコマーシャルで見るようにゴキブリがひどく嫌われ、ゴキブリを見ると大騒ぎするのは、ゴキブリが特別に汚く,醜悪な存在であるからではない。多くの都会人は、そもそも虫を見ることも手で掴んだこともなく、虫一般が疎ましい。都会の人々にとっては、家の中にいるはずのない虫が家の中を歩き回ること自体が不快で、驚き慌てることの原因となる。そして、家にたまたま紛れ込んだ虫がコオロギのような「鳴く虫」なら、物陰で鳴くことで予めその侵入の事実を家の人に報せる。ところがゴキブリは忍者のように潜んでいて、予告なしに突然、チョロチョロッとその黒い姿を現わし、人々に不意打ちを食らわせる。こうしたいくつかのいわば「非本質的な」条件が、ゴキブリが嫌われ、目の敵にされる原因だと私は思う。(毒爪で噛み付くことさえしなければ私はムカデだって決してきらったりしない。噛み付かれるのは本質的な問題だ。)

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マッシュポテトのようなゴキブリ駆除剤

家串にきた翌年かその次ぎの年かは忘れたが、4月下旬の日曜日、自治会の道路愛護の日のことであった。この日は、一世帯から一人ずつ出て、組ごとに割り当てられた地区内の決まった場所の草取りを行う。

草取りを終えて家に戻ると、玄関の上がり框に、ビニール袋に入ったマッシュポテトのようなものが置かれていた。匂いをかいで見ると、おいしそうなとてもいい匂いがし、誰かがおかずにと差し入れてくれたのかと思った。しかし、食べ物の差し入れなら、皿に盛って、ラップか何かをかけてくれるのではなかろうか。ビニール袋というのは少し変だ。近所の家を数軒を回って尋ねてみた結果、「もしかしたら、(自治会の)婦人部が作ったゴキブリ団子じゃなかろうか。婦人部は集会所に集まっている」という答えに出会った。そして、集会所に行き、それがゴキブリ団子であることを確め、慌てて食べなくてよかったと思った。翌年の道路愛護の日にも再び同じ物が配られていたが、今度はそれに「ゴキブリ団子です」というメモ書きが添えられていた。

もらった「キブリ団子」のもとは小分けして、アルミホイルを適当に切ったものに載せるか、軽く包んで、台所を中心にして家のあちこちの隅に置いておく。私がおいしそうだと思ったのと同様、ゴキブリはこの特製のマッシュポテトが好きらしく、小分けした一山にむしゃぶりつくように頭を突っ込んで食っているのを目撃した。その後彼/彼女どうなったのだろうか。

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自由・幸福と恐怖・地獄

調理器具などをいれてある台所の引き出しのなかに、しょっちゅう、大きさや色が黒ゴマに似た小物体が見つかる。ゴマと違うのは、ゴマは両端がほぼ対称で丸いのに、この物体は、一方の端が細く尖っているところだ。先が尖っているのは、肛門からひり出されたからで、ゴキブリの糞だということである。そういうわけで、引出しの中を時々掃除する。また中の器具はもちろん洗ってから引き出しに入れるのだが、使うときには水道の水で流してから使う。

2週間ほど松山に滞在して家串に戻った。2階の、パソコンの載っている机の上に、この黒い小物体が点在している。周りを見ると、この机の上だけでなく、机の周囲ないし椅子の周りの畳の上に、多数落ちている。10個以上はある。不思議なことに、この小物体はこちらの部屋だけに、あるいはこのパソコンの周囲だけに散らばっている。隣の部屋は普段全く使っていない。こちらとは敷居で仕切られているが、ふすまは開け放してある。その隣の部屋には一つも見当たらない。

台所の引き出しに糞をするのは分かる。百科事典によれば、夜間に活動して、摂食し多量の水分をとるというから、彼らが、夜、食べ物の滓をあさって台所で動き回り、昼間、私が留守にしている間、団地風に仕切られた引出しに入りこみ、適度な隙間のある調理器具の間で、休憩し、脱糞するのはさもありなんと思われる。

4月に自治会からもらう、ゴキブリ団子は秋までにはカビが生えるか干からびてしまうのでほとんど棄てる。だから約半年の間、2階には食べ物も水もない。その2階に上がってくるのはなぜか。そして、ドアも仕切りもない、机の上や広々とした畳の真中で、用を足すのは落ち着かないのではないかと思われるが、どうしてこんなところで糞をするのか。

人間がここで暮らしているときには、夜間を除いて、家の中を徘徊するのは危険だ。見つかれば、ハエたたきか畳んだ新聞で叩かれて一巻の終わりとなるかもしれない。ここの人間は年を取っていて、夜中でもトイレに行くために起きてくることがあり、突然明かりがついたりする。夜だからといって安心はできない。家の中に人間がいるときには常に注意を怠ることができない。

これに対して、人間が留守のときは、自由に家の中を歩き回って食べ物や水を探し回ることができる。そして、日ごろ狭い空間に身を潜めて暮らす憂さを晴らそうために、広々とした畳の上、周囲を睥睨できる机の上で、ここは俺の居場所だと、糞をひって威張るのだ。パソコンの置かれている机の上とその近く畳の上にだけ糞があり、使われていない隣の部屋に全くないのは、まさに、普段この場所を「我が物顔」で使っている人間に、自分の存在を見せ付けてやるためだ。

それだけではない。人間が普段使っている場所にはその手や足から分泌された汗や油がついている。あるいはフケや鼻くそなど古くなった皮膚、人体の一部が落ちているかもしれない。彼/彼女は、そのわずかな栄養物を探し当て、舐め取り、消化、吸収して、残りを糞として排出していると、たぶん、考えるべきなのだろう。人間の体表からの分泌物や剥落した皮膚の量は、撒き散らされているゴキブリの糞に較べてずっと少量だと私は思う。おそらく糞の大部分は(時期によるが)食べた特製マッシュポテトのうち消化・吸収されずに排出された残り滓からなるのであろう。主食のマッシュポテトをたらふく食い、さらに、人間の体から取れた無添加、自然食の汗や脂あるいはフケのご馳走をたべ、日ごろの腹いせとばかりに、机の上や畳の上に糞をひる。だが人間はなんと狡猾で悪辣なのか。マッシュポテトに毒物が加えられているのだ。満足感、幸福感に浸ることができたのは束の間に過ぎず、地獄への運命が待っているのだ。

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イノシシが海で捕まった

(この章冒頭のイノシシの画像とともに、写真はhttp://www7.big.or.jp/~woofwrks/から転載させていただいた。このサイトで、26か所の動物園、サファリパーク、牧場などの87種の動物、および自然(野生)のシカ、カモシカ、イノシシの素晴らしい写真をみることができる。
このサイトの管理者は、画像・動画の利用について「 転載 自由、 再配布 自由、 加工 自由、 報告 不要」と書いておられる。私は、活動成果がもつ知的な価値を、それにアクセスするすべての人が自由に享受することを認め、それを自己の「私的財産」として囲い込んだりしない、このサイトの管理者の立派な姿勢を心から尊敬する。)



09年3月。ある日の午後、船の燃料補給をするために、係留場所に向かって県道を歩いていると、公園の隣の4軒続きの作業場の所に、(消防団長の)織田さん、(兵頭)カズさん、(細川)タカシらが集まって、何か話をしている。「泳いでいたんだって---」という言葉が聞こえたが、そのまま通り過ぎた。燃料を入れ終わり、船をつないで戻ってくると、まだカズさん、織田さんが話している。何かあったんですかと聞くと、(本家の)兵頭さんが真珠筏で作業をしてたら、イノシシが泳いできたんでつかまえたんだ。ロープに掛けて締まるようにして、それから浅野さんを呼んで、二人で引っ張ってきたんだって。今、そこに吊るしてある、と言う。私も一目見ようと作業場の前に行く。

兵頭さんの作業場前に設置されているホイスト(重量物を釣り上げ移動する機械。アコヤ貝の入ったネットを船から岸壁上に移すために使う)に、後ろ足を縛られたイノシシが吊り下げられていた。私は急いで家に戻り、再び、カメラをもって作業場に行った。途中で会う人毎にイノシシをみましたかと声を掛けて触れ回った。このとき、浅野藤吉郎さんが包丁などを持ってやってきた。「血を抜かなければ食えん。殺してすぐ、海に漬けておいたから少しは抜けてるが、血をよく抜かんとな。皮のところがうまいんとよ〔うまいんだってさ〕。外側を火であぶって、食うんだって」。

藤吉郎さんによると、兵頭さんと二人でロープを掛けることは掛けたが、噛み付いて抵抗し、船の上に持ち上げるどころではなくて、そのまま海上を引っ張ってきた。まだ暴れたので、ゲンノウ〔ハンマー〕を食らわせてやっと殺して、それから引き上げた、という。重さは80から100キロくらいかな、という。

目は閉じられていたが、体はまだ濡れていて、鼻の辺りから水(海水)と血が垂れていた。そばで見るとやはり迫力がある。少し離れたところから見ていた子供たちは、臭いがするわけではないが、口と鼻に手を当て、顔を半分覆って見ている。兵頭さんの姿は見えなかったので、浅野さんに脇に立ってもらって、記念写真を2、3枚取った。見にきていた子供たちにもいっしょに写らないかと誘ったが、いいです、と首を振って、そばには近づこうとしなかった。

公民館の主事の河野さんもカメラを持ってやってきた。彼女は家串にきて4年だというが、イノシシがしとめられたのを見るのは初めてだという。浅野さんにイノシシをさばいたたことはあるんですかと尋ねると、「ウサギやタヌキはあるがなあ、イノシシは初めてだ」という。

首に包丁を入れて何度か動かすと、ざっくりと切れて、血まみれでよくはわからないが、筋肉や食道らしいものが見え、切り口から新たに血が流れ落ちた。ほっておくと固まるからと浅野さんは作業場のコンクリートに水道水を掛けて流す。切り口にも水を掛ける。

タイを〆るとき、目の後の辺りに出刃包丁の先をつきたてるとカッと口を開け痙攣を起こす。その後、エラの奥に包丁を入れて、エラの付け根を切り離すが、赤くドロッとした血が流れる。魚でも気持ち悪い。イノシシは血の量が違う。そして、切り口はどうしても人間の首を連想させる。東京かどこかで人を殺したあと、バラバラに切ってトイレに流したという事件があった。人間を切り刻むということは並の神経の持ち主にできることではないだろう、などと考える。夕日が塩子島の向こうに沈みかかっており、冷たい風がサーと吹いてきて、背中がゾクゾクッとした。

翌日北條さんにあって、イノシシがつかまった話をした。北條さんはこの作業場のある岸壁を埋め立てる前、一度、山のほうから追いかけられてきた子供のイノシシが、まっすぐに駆け下りてきて、そのままザブーンと海に飛び込んだのを見たことがあるという。その子どものイノシシは掴まえられた。御荘の辺りでイノシシを飼っている人がいて、その人が引き取って育てたっていうことだ。大きくして、食用にする。「野生のイノシシはそこら中にいますよ。熊はいないようですがね」。

私、「家串でも、庭の畑の作物をやられた人が何人もいますね。この前、林道の工事をしている柏坂の近くにいったときに、遠くの山で鉄砲の音が聞こえました。松山でも、私の住んでいるところの近くから山が広がっていて、中学のすぐ裏の畑にイノシシが出るという話を聞きました。中学校の近くまでジョギングしたときに、鉄砲の音が聞こえました」。桑原中学の裏手の山は、北条(旧北条市)まで続く広い山地の南の端に当たる。

ところがその後(3月下旬)愛媛新聞で、松山中心部に近い、住宅街や田畑で囲まれた孤立した小さな山である星ノ岡山(高さは75m)にイノシシ数頭が住み着いていることが分かったという。何回か、農家の人が襲われて怪我をした。星ノ岡には幼稚園もあり、何か対策をとらざるを得ないだろう、とも書かれていた。

2010年の春、わたしの家のすぐ上の織田(長二)さんと細川さんの畑は、アコヤガイを入れるネットを利用して、人の背の高さほどまで完全に囲ってある。この囲いは去年作られた。とくに最近イノシシの被害が大きいらしい。

5月の連休中のある日、真っ昼間のことである。私が釣りから帰ってきて玄関の戸を開け家に入ろうとしたとき、県道を挟んで向かいの浅野さんの息子(20歳過ぎくらいか)が、道路を横切って、私の家の前まで上がって来た。そして上の段畑の方を睨み付けながら、「イノシシがおる」と言う。そして手に持った石を20mばかり先の草むらに向かって投げた。石を投げても、草むらになんの変化も起こらず、動くものもなかった。しかし、イノシシは人に突きかかったりかみついたりするという。私は玄関から顔だけ出して、しばらく覗いていたが、何も見えなかった。浅野さんの息子もまもなく帰って行った。

すぐ近くの畑で、サツマイモやじゃがいもがイノシシに食われてしまったといって、悔しがったり、嘆いたりしているおばあさんたちに何度も会っている。しかし、イノシシが出るのは夜だという。私は姿を見たわけではなく、確かめることはできなかったが、昼間から出るのは珍しい。

ところが2、3日後、隣の畑に生ゴミを捨てに行ったとき、堀田さんの畑に棒で引っかいたような跡がたくさんあることに気がついた。三本鍬で耕した時にできたすじではない。ここは最近はおばあさんがたまに草取りに来るが、これといった作物は植えられていない。方向がでたらめで、また、アルファベットのJや、書道の「止めはね」に似た形の溝があちこちについている。よく見ると丸い足跡がはっきりとついている。イノシシが鼻か牙を使って掘り起こしたに違いない。夜の間に出たのだろう。家のすぐ脇の畑に、イノシシが来た証拠を自分の目で見たのは初めてだった。

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私の家のそばにも姿を現した

2010年9月、二階でワープロを打っていると、玄関の前を通る細い道から堀田さんの畑に上がった辺りで人声がした。窓から見ると、畑の入り口、私がいつも生ごみを棄てている辺りに、2人の人が何か箱のようなものを運んできて置いて行った。一人は県道をはさんだ向かいの家の浅野泰さんだった。私にはぴーんと来た。イノシシを捕らえる檻だ。数日前、静岡県で猿が出没して人を襲うので捕獲の檻を仕掛けたというニュースを見たばかりだった。

玄関から出てみると、もう人影はなくなっていたが、畑に行ってみるとやはり檻だった。鉄の枠と鉄格子でできていて、入り口の戸は上に引き上げられている。奥にはジャガイモが数個入ったビニール袋が上からぶら下がっている。これに食いつき、引っ張ると、戸がガシャンと上から落ちてくる仕掛けになっているのだろう。

  その数日後、3時半頃、漁から帰り、昼間釣れた魚を一夜干しにしようと魚をさばいていた。流しの窓の向こうは畑である。畑だが、堀田さんは最近姿を見せず、草ボウボウである。ヨモギ、収穫されないで伸びてしまったアスパラガスなども混じっているが、多いのは茎の根元が直径1センチ近くあり背の高さが1mを越えるセンダングサである。菊に似た黄色い花はガクがマジックテープのようなはたらきをして衣服に押し付けるとくっついて止り、勲章をつけているようにみえ、私が育った田舎では子供たちの間ではクンショウギクと呼ばれていた。枯れるとこの花は先が曲がった鉤のような形のとげのついた多くの小さな種子に変わる。他の植物、雑草は幾ら伸びても気にならないが、センダングサはゴミ棄てなどで畑に行くたびにそのトゲトゲの種子が衣服に付着し、家の中にまで侵入してきてチクチク刺さるので私は嫌いだ。繁殖力の強いとされるセイタカアワダチソウが混ざっているが9割以上はセンダングサである。

畑は私の家の敷地より1mほど高くなっていて、私はセンダングサのジャングルを横から眺めている。突然、1、2本この茎が揺れた。風は吹いていない。密生状態のセンダングサ茎が1、2本だけ揺れたのである。私は、直感的にイノシシだと考えた。揺れる場所が右にゆっくり動いていった。私は、魚をさばくのを中止して、手を洗った。水道の水がザーッと音を立てる。さっきから私は水を出したり、止めたりしながら魚を下ろしている。網戸を一枚隔てているが、揺れた草と私の距離は2~3mである。あいつは人間の気配を感じていないのか。水道の音は人間の気配ではないのか。----それでも、私は、足音を立てないようにして流しを離れ、二階に上がった。一階で立った姿勢で見ると、ちょうど、目の高さくらいに畑がある。しかし、手前には、小さな椿の木の葉、ランの大きな葉などがあり、その向こうにはセンダングサのやぶ。あいつの姿は何も見えない。二階からなら見えるのではないかと考えたのである。

「いた!」。茶色い毛が見えた。柿の木の根元で、一心不乱に何かを食っている。体は私の方に横を向けていて、私はそれを斜め上から見ている。センダングサや、アスパラガスの葉が生い茂っていて部分的にしか見えない。体の大きさ、いや、尻から肩までの長さは60~70cmくらい。首を下に曲げているので、前も後も丸い。首を上げた。目が見えた。顔がとんがっていないようで、一瞬、シカかとも思ったが、やはり、イノシシだ。頭の長さは30pくらいか。小さな耳をぱたぱた動かしている。虫を追い払っているのだろうか。

ムシャムシャと何かを一生懸命食っている。あんなところに食い物があるのだろうか。少なくとも、今年の春からは何も植えていないのではないか。以前堀田さんがキャベツなどを植えていた場所は、もっと上のほうだ。ブフーと時々鼻息。ブツンブツンと何かを引っ張って切る音。柿木の根っこを牙で掘って、引きちぎり、食っているのだろうか。

ムシャムシャ、ブフー、ブツンブツン。体の向きを変え、向こうを向いた。体の幅は30pくらいか。短い尻尾をこちらに向けて、犬が喜んでいるときに振るように、左右に忙しく動かしている。うまいものにありつけて喜んでいるのだろうか。夕日が横から差し、草むらのなかに明るいところと暗いところができていて、目を凝らすようにして見つめないと彼の体を見分けるのが難しい。私は、彼に気付かれないように、半分、息を詰めて、静かな呼吸を心がけながら、目を凝らして彼の体を少しでも多く見ようと、たぶん、15分は、見つめていた。彼は向きを西にかえて、草むらの中を移動し檻から2mほどのところまで近寄った。

彼は檻があることに気がついたはずだ。何か草薮や木々とは違うもの、石垣や、畑によっては周囲に垣根を作り金網を張り巡らしているところもあるが、それに似た何か、硬い物が、センダングサの藪の外れに置かれていることに気がついたはずだ。もしかしたら、その中の、ビニール袋に入ったジャガイモも見えたかもしれないし、その臭いもしたかもしれない。

危ない!そこに入ったらダメだぞ。そう思ったが、積極的に、彼を助けようとしたわけでもなく、(それなら、声を出すか、何か物音を立てればいいはずだ。)心の中で念じただけだった。彼は檻の1mか2m近くまで寄ったが、草むらの中から出ようとはしなかった。檻が置いてある場所は私がいつもごみを棄てるところで、そこは草が生えていない。さっきまで見ていた窓からは角度が斜めになり、見えにくいので、廊下の左端の窓を開ける。音が少しした。すると、彼の動きがぴたりと止まった。草が全く動かなくなった。1分、2分、5分、動かない。

どうしたのだろうか。彼が全く動く気配を見せないため、私は、1階におり、魚を捌く続きをやった。その間も外の草むらの動きに注意した。遠くでカラスが鳴いている。カラスの声にまじって、グググググーというかすかな音が聞えた、いや、聞えるような気がした。他の鳥の鳴き声か、あるいは虫の鳴き声かもしれない。かすかな音だ。イノシシが眠ってしまったのかもしれないと思った。こうやって夜まで眠り、夜になったら、草むらから出て、あの檻のなかのビニール袋に入って吊るされているジャガイモを食おうとするのだろうか。グググググーという音が、耳を澄ますと、3回ほど、断続的に聞えたように思った。

しかし、それ以上は聞えなかった。もう一度2階に上がって眺めたが、やはり草むらは動かなかった。草むらの中を通らずに、山のほうに帰ることはできないように思われた。しかし、草むらはもう動かなかった。

翌日、彼が物を食べていた、柿ノ木の根元に行ってみた。周囲の草は倒れていて、確かに何か体重のあるものがここに来たことはわかった。しかし、驚いたことに、地面にはこれといった掘り起こされたようなあとが見当たらないのだ。以前、畑に、深さ数センチ、長さが10cmから20cmくらいの引っかいたようなあとがたくさんあることに気がついた。他の人に聞いてみると、イノシシが牙で地面を掘った跡だという。

しかし、柿木の根元にはそれと同じような跡が残っていないのである。あれだけ、ブツンブツンと音を立てて噛み切り、ムシャムシャ音を食べていた。何か掘り起こして食っていたのではないかと思ったが、そのようなはっきりした穴は見えなかった。

ただ、柿ノ木の根元から2mほど離れたところに、ラップや紙くずがたくさん落ちていた。堀田さんの名前の入った弁当のシールのようなものが何枚もあった。その前日堀田さんの姿が見えたので、給食の弁当の食べ残しを他の生ゴミと一緒に棄てたのかもしれない。ムシャムシャたべていたのはそれだったのだろうか。ブツンブツンはビニール袋を足で踏みつけ、口で噛んで引き破った音だったのだろうか。イノシシは芋類を掘り起こして食べるというが、弁当の屑などを食べるのだろうか。わからない。

建てこんだ家々の間の路地を通って農協に買い物に行く。家の前の空き地の草を刈っているのか、肩に草刈機のベルトを掛けた藤井勉さんと、窓から体を半分出した向かいの家の織田哲三さんが話をしている。「---の上でも出たと言うでえ」。「あーそーかな。やっぱりなあ。何匹もおるんやろなあ」。ここでもイノシシの話をしているらしい。

9月の下旬に松山に帰り、しばらく滞在して、10月に家串に戻ってきたが、私の家の上の畑の檻には、イノシシは一度もかからなかったと、檻を仕掛けた向かいの浅野さんから聞いた。

2011年、9月下旬のある朝、ゴミを棄てに上の畑に行くと、畑と私の家の境に植わっているゼニアオイ、オオデマリの木の根元が大きく掘り起こされている。大きな石が地表に転がされている。下に埋まっていたらしい細いロープの束が上に出ている。誰かが道をいじったのかと思ったら、藪になった木の下まで掘り起こされている。木の枝が邪魔をして、人がそこで作業をすることはできないはずだ。イノシシであろう。すでに堀田のおばあちゃんが耕しにこなくなって2~3年になり、畑は、アレチノギク、センダングサが伸び放題だが、作物は何もない。掘り起こしてもたいしてうまいものはないはずだと思った。

しかし、その後、居間の窓から見ると、家と畑の境になっているコンクリートの擁壁のすぐ上の辺りが何箇所もほじくり返されているのが見えた。家の裏に回って調べると、主に壁に沿って10個所以上も、深いものでは40センチほども、掘られている。ランやシャクヤクなどの下が掘られている。塊根が掘り出されているが食ってはいないようだ。おそらく上から表面を流れてきたり、地面に浸透した台風の雨が、コンクリートの壁のところで溜まって、土が柔らかくなっていて、掘り起こしやすかったためかもしれないし、その辺りにミミズや他の虫が集まっていたためかもしれない、などと思った。

そしてよくみると、家の脇にはまだこの前までなかったカボチャくらいの大きさの石や土クレが溜まっていた。イノシシが穴を掘る際に跳ね飛ばしたのだろう。おそらく家の側壁にぶつかって音を立てたはずだ。しかし、私はその頃きっと高いびきをかきながら眠っていたのだろう。イノシシは深夜重労働をして食物をあさる。一晩だけだったのか、二晩続いてやってきたのか。懸命に穴を掘る姿を見ることができれば見たいものだと思う。たぶん、家の中からライトで照らせば逃げてしまうのだろうから、観察は無理なのだろうが。

2011年秋、半年ほど前から老人施設に入所していたという、堀田さんが亡くなった。そして、草ボウボウの畑は、嫁さんが草刈りのアルバイトを頼んで、すっかりきれいになった。そして(これからは)生ゴミを棄てないでくださいといわれた。堀田さんの畑の一段上は北條さんの土地で、そこには甘夏の木が数本植わっている。ときどき、アコヤガイの屑を運んできて肥やしに入れている。私は、生ゴミを北條さんの畑に棄てさせてもらうことになった。甘夏の木から2〜3mはなれたところに、幅40〜50センチ、長さ1mほどの溝を、50cmほどの深さで掘って、そこに生ゴミを棄てる。魚のアラなどもあるので、カラスなどがこないようにと上から土を掛ける。ところが2、3週間後、周囲の掘り返した土地の上に、穴ぼこが幾つも空いている。よく見るとただの穴でなく穴の中にまるい窪みが見える。穴は動物の足の跡で、そのなかに見える丸い窪みは指の跡ではないか。たぶん、上に土がかぶさっていても掘り返して、食べ物を漁って食うのだろう。第一感ではイノシシだと思ったが、穴は小さい。直径は2cm程度である。イノシシの足はこんなに細いだろうか。また、穴の底の窪みは3つあるように見える。イノシシなら、蹄が二つに分かれているのではなかろうか。----今の所、謎である。

2015年秋、この年は松山にいるときには、平均すると週に2、3回、早朝のウォーキングに出かけた。コースは松山の東の端にある丘陵地帯を通る道である。9月ごろ、丘の斜面にある畑とアスファルトで舗装された道路の山側の境目が掘り返されているのに気が付いた。以前は気が付かずにとおりすぎていたかもしれない。だが、上で書いたように、家串でも、私の家と上の畑の境になっているコンクリートの擁壁のすぐ上の辺りが何箇所もほじくり返されているのを見ていたので、イノシシだとピンと来た。足を止め、よく見ると、ところどころに足の跡らしい窪みもある。この辺りにイノシシが出るという話をきいたことはあったが、初めて自分の眼で、イノシシが出た証拠を見た。ここを歩くのはほとんど払暁で、まだ太陽は山から顔を出していない。真昼間なら出ないとは断言できないが、薄暗い時はやはり少し気持ちが悪い。この掘り返してある場所の近くまでにくると、まさかいないだろうなと畑の方を見回し、イノシシがこちらに向かって走って来たらどうすべきか、逃げられるだろうか、などと考えながら、歩いている。

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