第一部 第4章 モイカ(アオリイカ)釣り、アマダイ・イトヨリ釣り

私が釣った、シロアマダイ(と思われる魚)。新聞紙の縦の幅は54cmくらいである
















































第4章 見出し一覧

1.モイカ釣り
家串では朝の曳釣りは退職組だけ。夜のモイカ釣りが盛んだ
餌木を使うか、生き餌を使って釣る
餌木を使った「漕ぎ釣り」と「しゃくり釣り」
エギングに来る若者もいる
セミ・プロのカズさんは3.6キロのモイカを釣った
モイカと「マメノ木」とホンダワラ
流し釣りのエギング
GPSを使った夜釣り
源(前田源一)さんと一緒に電気ウキ仕掛けでモイカを釣る
筏=屋形からの夜釣り
暗闇の中で釣る
真珠筏の球ウキが空に飛んだ!

2.アマダイ・イトヨリ釣り
家串で釣って、初めて本物を見、食べたアマダイ、イトヨリ
子供の時に食べた魚
東京で魚好きになった
さまざまな魚を釣り、手でふれ、食べてみたいと思った
内海・家串では多くの魚を釣ることができる
超高級魚アマダイ、美しい高級魚イトヨリ
シーアンカーを使った、アマダイ、イトヨリの流し釣り
赤アマダイ、白アマダイ、黄アマダイ
家串湾ではアマダイがいなくなった?
スパンカーとシーアンカー
仕掛けと釣り方
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1.モイカ釣り

家串では、100人ほどの男性住民のうち、全く釣りをしない人は10人もいないのではないか。老若ほとんどの男性が釣りをする。とくにメジカ(ソーダガツオ)やヤズ(ブリの若魚、関東ではイナダ)の曳き釣りとモイカ(アオリイカ、家串では単にイカ)釣りをやる人が多い。両方やる人もいる。もっぱらサビキ仕掛けでアジを専門に狙う人もあるが、それは少数で、家串の男性のほとんどがモイカ釣りか、メジカないしヤズの曳き釣りか、その両方をやる人に分類できるだろう。もちろん、中型以上のアジの群れが湾内に入ってきて、よく釣れるとなれば、誰でもが、仕事がおわったあと、あるいは、週一回の休日である日曜日などに、近くの生簀などに掛けて、サビキ仕掛けで、あるいは天秤を使った手釣りで、アジ釣りをする。

アコヤガイを養殖する筏やそのアンカーロープにはホンダワラなどの海藻が着くので、小魚が集まり、その小魚を狙って、あるいは藻に卵を産み付けるために、モイカが集まる。アコヤ貝養殖筏で覆われている内海沿岸の諸地区はいずれもモイカの好釣り場であるが、中でも家串はよく釣れるようである。

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家串では朝の曳釣りは退職組だけ。夜のモイカ釣りが盛んだ

私が2005年に海上から最初に家串を訪れたときには、黒い球ウキやバールと呼ばれる米俵ほどの大きさのウキをつけた筏が湾を埋め尽くしており、どこから奥に入って行ったらいいのか迷ったほどだった。だが、1995(平成7)年に始まり10年近く続いたアコヤガイの大量死とその後の経済不況による真珠の販売不振からアコヤガイの養殖を営む漁民は大きな打撃を受けた。最近、ようやく出口が見えてきたという人もあるが、長引く不況のなかで、転職したり、転出していく人が目立った。

そして、アコヤガイに代わって、あるいはアコヤガイの売上を補うべく、ヒオウギ貝の養殖・販売などをはじめている人もあり、ワカメやヒジキなどの試験的な栽培も行なわれている。だが、アコヤガイの養殖が家串のもっとも重要な産業であることは変わらない。アコヤガイの養殖、そしてそれを補うヒオウギ貝の養殖は家族経営で----普段は夫婦2人で、忙しい時期には何人か人を頼んで-----行なわれ、早朝というよりも、まだ夜の明けない、真っ暗なうちから仕事を始める人が多い。夏なら4時くらいから、冬でも5時くらいから。

こうして、サラリーマンなら早起きをして出勤前に釣りをすることも不可能ではないが、家串で漁業を営む人たちには朝の釣りは無理だ。だから、ヤズやメジカの朝の曳き釣りはリタイア組の独壇場だ。私が家串に来ると同時に友達になってもらった源さん、前田源一氏は、中学校を卒業後、大阪で就職した。定年で退職し、2002年にUターンして、親戚から譲り受けた船外機船で釣りを始めた。そして、安さん(ヤッサン)こと伊井安氏。源さんの7つ年上で、長年、地元の農協に勤め、退職した。釣りは退職後に始めた。とはいえ、(2010年現在)もう、15年以上 やっている計算になる。もちろん、彼も船を持っており、自分の船で釣る。2人ともサンデー・アングラーズではなく、「エブリデー・アングラーズ」だから、もう大ベテランである。他に、シーズンだけ、あるいは釣れているときだけやる人は多くいるが、たぶん、この2人が双璧だろう。もちろん二人は朝の釣りだけでなく、夜のモイカ釣りもやるが。

夕まずめ時から夜にかけてのモイカ釣りは、現役で仕事をしている人にもできる。多くのモイカ釣りの名人がいる。真珠の仕事は午後6時くらいに終える。夏ならまだ明るいし、冬は暗くなっているが、湾の中は自分の家の庭のようによく知っている家串の人々にとって、出漁になんの差し支えもない。真っ暗な中、明かりなしでゆっくりと船を走らせて、漕ぎ釣り(=曳釣り)をする人もいるし、湾内の真珠筏のロープに船をかけて、餌木を躍らせて釣る人もいる。

型のよいモイカを数釣りできる晩秋から翌春にかけて、モイカ釣りが盛んな家串では、誰がイカ釣りがうまいか、昨日は誰がたくさん釣ったか、農協の売店で、あるいは道端で、男ばかりでなく、奥さん連中でも2、3人が会えば、話題になる。

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餌木を使うか、生き餌を使って釣る

家串周辺でのイカ釣りのやりかたは、餌木を使うか生き餌を使うかで大きく二つに分けられる。餌木は、エビの形をしたルアーで、端に細かい多数の針がリング状に2段に植えられている。これは足元の海に投入した後、竿で撥ね上げたり、沈めたりする。あるいは波止や筏から、少しはなれたところに投げ、竿先を動かし、餌木を「泳がせ」ながら、曳いてくる。船で曳くこともできる。餌木の泳がせ方で釣果が決まる。もちろん、イカが回ってきたときにだが。

餌釣りでは、細い釣り針を10本ほど軸のところで束ね、開いたチューリップの花のような形をした「イカ針」(市販されている)を使い、ゼンゴ(小アジ)、小ダイ、あるいはイシモチ(ネンブツダイ)など活きた魚を、そのイカ針の近くに付いている別の針に掛けて泳がせておく。ウキを使わず、オモリを付けて、足元に垂らして釣ることもできるし、ウキを使い、仕掛けを少し投げて釣ることもできる。

いずれも、餌を探してやってきたモイカが、泳いでいる小魚を食おうと抱きつき、そばに付いているイカ針に掛かるという寸法である。前者では竿が曲がる。後者ではウキが沈む。夜寝る前に、この仕掛をつけた竿を自分の家の前の筏から出しておき、翌朝、起きて、イカが掛かっているかどうかをみるという、都会の人にとって、決して真似のできない、極めてうらやましい、横着な釣り方もできる。ただし、大物が掛かった場合には仕掛けが切られてしまうことがあるし、竿の固定がいい加減だと竿ごと持っていかれることもある。

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餌木を使った「漕ぎ釣り」と「しゃくり釣り」

地元では、餌木を使う釣り方に3通り(ないし2通り)ある。一つはゆっくりと船を走らせながら、ビシ糸(10cmほどの間隔で小さなオモリを打ってある糸)の先につけた餌木を曳いて釣る、曳き釣り。今はみな船外機で船を走らせている。しかし、年配者たちが子どもの頃、船は手漕ぎであった。彼らの親はみな、片手で櫓を漕ぎながら、ビシ糸をつけた細い竿を操り、餌木を「泳がせ」た。かつては実際に「漕いで」舟を走らせて釣ったのである。こうして、エンジンで走る船に乗っているのに、今も、船を走らせて餌木を曳くこの釣り方を「漕ぎ釣り」という。

二つ目は、真珠筏に掛けるなどして止めた船から、餌木を(場合によっては軽く投げて)底近くまで落してから「しゃくる」、つまり竿をあおって仕掛けを瞬間的に引くやりかた。しゃくったときに餌木は海中で跳ね上がり、次いでゆらゆらと沈む。このときにイカが抱きつく。私は、家串に来て間もない頃、隣の平碆の加幡鹿太郎さんの船に乗せてもらって一度この方法でモイカを釣ったことがある。餌木を思い切り遠くまで投げ、底近くに落してから、しゃくっては竿先を下げながらリールを巻き、またしゃくる、エギングである。遠投するのはしゃくる回数を増やし、イカが抱きつくチャンスを多くするためである。これはハマチなどを狙うジギング同様若者向きの釣り方である。

三番目、あるいは2.5番目は、緩い潮に任せて船を流しながら、餌木を落としてしゃくる釣り。これは筏に掛けた船から仕掛けを落としてしゃくる場合と大差ないので、餌木を使う方法はおおまか二つと言ってもよい。

家串や平碆など地元の人は、夜釣りでモイカを狙うことが多く、自分の(仕事場の)筏の上から、あるいは「漕ぎ釣り」で、あるいはまた、少し離れたよく釣れる場所に行き、アンカーを打つか真珠養殖筏に掛けるかして船を止め、餌木をしゃくるかあるいは生き餌を泳がせて釣る。餌木を使う場合、明るい時には「本物の餌」でないことを見破られるためであろう、昼間よりも、夕方から夜にかけての方がよく釣れるようだ。また完全に暗くなってしまっても、釣れないらしく、たとえば1月〜3月ごろであれば夕方5時くらいから始めて8時前には切り上げるようである。

生き餌を使う場合は、一日中、また一晩中、釣れる。そして、実際、冬、暖を取りながら一晩中釣っている人もいる。地元の加藤さんの話しでは、宇和島に住んでいる友達が遊びに来て、モイカの夜釣りをやった。10時ごろ1匹釣れ、12時過ぎてから6、7匹釣れたという。寒いため毛布を体に巻いて、うとうとしながら釣った。竿には鈴をつけておくという。

しかし、家串の人の場合は、夜8時か9時、遅くても10時くらいまでにはやめる人が多い。これは明らかに、翌日を考えるからであろう。地元の人は毎日最もよく釣れる時間帯にだけ数時間の釣りをする。2時間ほどやって釣れないときはさっさと止める。よく釣れる時には、夜おそくまで、あるいはたまには一晩中でも、釣り続けることもあるらしいが。

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エギングに来る若者もいる

モイカは昼間でも狙える。一般的な釣り方は、餌木を投げてアクションを付けながら引くエギングで、釣り雑誌などによれば、ここ数年、若者の間で爆発的な人気がでているという。家串でも、日曜や祭日の昼間、よそから車でやってきた釣り人が、防波堤や岸壁から餌木を投げているのが見られる。モイカは5〜6月ごろ生まれて冬に向かって大きくなり、翌年卵を産んで死ぬという。したがって、夏から秋にかけて釣れるのは小型で、冬から春に釣れるものが大きい。

エギングで昼間釣れるのは夏から秋にかけてで、冬になると、外からやってくる人も岸から小アジなど生き餌をつけて投げているようだ。魚の場合にも、サビキ針、つまり疑似餌で釣れるものは小型が多く、大型を釣るには本物の餌を使う必要があるのと同様、モイカも、昼間、明るい時に餌木を追うのは、たぶん、本物の餌と疑似餌を見分けることのできない子どものイカで、成長したイカは本物の餌とそうでないものを見分けるために、生き餌でないと釣れないようだ。ただし食べてうまいのは数百グラムまでのものだとも言われ、大型ではなく、食べてうまい小型のモイカを数釣りするほうを好む釣り人も多いという。

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セミ・プロのカズさんは3.6キロのモイカを釣った

3月ごろからはホンダワラの多いところで、昼間でも、大型のモイカを狙うことができる。ホンダワラは海岸近くに生えるが、成長すると横に広がり海面を覆う。イカが釣れるのは藻が密生している場所の沖側なので、餌木であれ、生き餌をつけたイカ針であれ、陸から投げて釣るのでは取り込みが難しく、藻の近くに船をかけて沖側から釣る。夜も釣れるが、時間のある人は生き餌で、昼間、ねらう。この時期のモイカは大きい。1キロあればもう相当な大きさだが、私のようなずぶの素人でも、2キロ近い大物を釣ることができる。

カズ(兵頭加寿雄)さんはモイカ釣りが得意で、夏から秋にかけては夕まずめに船をゆっくり走らせ、細い専用の竿を使って餌木を流す曳釣り。秋から冬にかけては自分の家の前の筏からゼンゴ(小アジ)などの生餌をつけた仕掛けを投げての夜釣り、春には、昼間、藻の多いところに船を掛けて生き餌を泳がせての釣りと、1年の4分の3はモイカ釣りをやり、市場にも出荷する「セミプロ」だ。腕はプロ級だが、「セミプロ」と言うのは、彼がモイカ釣りを専門とする漁で生計を立てているのではないからである。かれはアコヤガイ養殖やタイの養殖などの仕事も手伝って稼ぐ。さまざまな仕事の合間に、イカ釣りを楽しむ。ゼンゴや子ダイを餌にしてハマチを釣るのも得意で、かれは仲間から「ハマチ殺しのカズ」と呼ばれている。

彼は毎年、春には3キロオーバーのモイカを何匹も釣る。私が見せてもらった3.6キロの大物は胴だけで50cmくらいもある、お化けのように大きなものだった。冷凍してあって足がからだにくっついていたので、全長はわからなかったが、おそらく子供の背丈ほどかそれ以上あったのではないだろうか。このとき、たまたま、中日スポーツの記者が休みを取って、アジ釣りにきていたのだが、カズさんの釣ったモイカの大きさに驚き、写真を撮って持って帰り、新聞に掲載したということだ。

1月過ぎから春にかけて、餌にするのに最適なゼンゴが必ずしも簡単につれない。子ダイや木っ端グレを餌にしても釣れるから、直前に筏の周りでサビキ仕掛けでこれら小物を釣って餌にする手もあるが、カズさんはゼンゴが釣れる時にたくさん釣って、大きな生簀の中に入れて生かしておく。国道沿いには「ゼンゴあります」と書いた看板がところどころに出ていて、宇和島方面から来る釣り客は、こうしたところで生き餌を調達しながら来るのだろうが、家串の人は、ゼンゴを買いに他所に出かけるなどということはしないから、ゼンゴが釣れなければ我慢するしかない。こうしてカズさんは他の人をしりえに見ながら、釣りが可能な天候のときには連日竿を出してイカを狙うことができる。たぶん、彼は、一冬に500匹以上は釣るのではないか。平均800グラムとすれば、キロ2000円はするから、100万円近くなる。この前、私の目の前で、ある釣り客が、イカを狙って釣りをしたが全く釣れなかったと言い、カズさんがその日釣ったモイカ数匹、3キロ分を1万円で買って帰った。この人は家に帰って、自分で釣ったと言うのだ、とも話していた。

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モイカと「マメノ木」とホンダワラ

モイカの標準名はアオリイカであり、南予でモイカと呼ぶのは、このイカが藻(海藻)=ホンダワラの多いところに産卵のために寄ってくるからであろう。しかし、イカは産卵のために、とくにホンダワラを好むというわけではない。葉っぱ、あるいはそのようなものがあればいいらしい。家串周辺ではイカをカゴで取るために漁師は籠の中に「マメの木」の枝を入れておく。マメの木とはヤマモモのことで、ヤマモモは家串の周辺でよく見られる。葉は濃い緑色でよい香りがし、果実酒などに用いる赤い実をつける。

近くの漁師の話を聞いてみると、マメの木がいいというのは、葉っぱの臭いには関係なく、それが海の中で枯れにくく長持ちするからで、他の木でも構わないのだという。(実際、日本海側のどこかの漁村でツゲの木の枝をカゴに入れてイカ漁をするというのをTVで見た。)

家串湾や国道56号沿いの須の川灘で冬から春にかけてよくこのイカが釣れるのは、ホンダワラが繁茂する場所が多いからだと思われる。ホンダワラは小石の浜であれ、岩場であれ、筏のロープであれ、あらゆるところに生え、とくに3月頃からは猛烈に繁殖して、真珠養殖のネットを吊るしたり外したりする際の仕事の邪魔になり、あるいは筏に船を発着させたり、付近を通行したりする妨げになる。他方、最近では、各地でこの藻=ホンダワラを使った「藻塩」が製造、販売されるようになって、家串の真珠貝養殖組合には、ホンダワラの注文があり、3月から4月にかけて、組合員によって、刈り取られ、天日で乾燥され、出荷される。「第二部 第4章の「(5)ハンダワラと藻塩」も参照。

私は家串に住むようになってはじめてモイカ釣りをした。友人の前田源一さんの船に乗せてもらい、彼の道具を借りて、餌の付け方をはじめ一切を彼から教わりながらやった。電気ウキとイカ針を使った仕掛けで小ダイを餌に付けて泳がせて釣るのである。夜釣りで冬だったがその日は風がなく、寒くなかった。私が借りていた竿のほうに1キロ近いモイカが来て、私は、ビギナーズラックを大いに楽しませてもらった。

海が次第に暗くなるのに連れて波間の電気ウキの赤い光が明るさを増してくる。そして、ときどき、餌の魚が元気よく泳いでウキが海に引き込まれ薄暗くなる。「おっ、食ったか」と身を乗り出す。イカが食ってないときは、ウキが再び海面上に顔を出し、明るさを取り戻す。こんなふうにウキの明るさの変化に一喜一憂しながら待つのだが、さまざまにおしゃべりを楽しむなど、のんびりした気分に満ちていて、寒くないときは、あるいはホッカイロを使うなどして防寒対策がしっかりしてあれば、二人で行く冬の夜釣りは非常に楽しいものだ。

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流し釣りのエギング

その後、一人で、船を流しながら、餌木をしゃくって釣るシャクリ釣りでモイカを釣った。 家串湾は水深60mくらいからそれ以上のところは砂泥地になっている。塩子島の東側には水深が30mから40mくらいの岩礁帯が広がり、ここには養殖魚の生け簀も、アコヤ貝養殖の筏もなく、船を流しやすい。この場所の北、塩子島と由良半島の間水道は水深が数mでゴロタ石場になっていて、地元の人が「漕ぎ釣り」を好んで行っている。この付近は特に藻、つまり海藻が多い場所ではないが、モイカがよく釣れるところなのである。

タックルは2mほどのルアー用の竿と小型のリール。そして、10号程度の中オモリの先にフロロカーボン5号か6号のハリスに3号〜4号の餌木をつける。『魚探大研究』(2005年、舵社刊)のPart3、小野信昭による解説を参考にした。

日が沈み、薄暗くなるころから釣りをはじめ、完全に暗くなるまでの「マズメ時」1時間半程度の釣りである。魚探で底を確かめ、仕掛けを底近くまで沈めてから、小野によれば10秒から15秒に一回くらいの間隔でしゃくる。小野はイカは底付近にいると言う。しかし、しゃくりを繰り返しつつ、少しずつ糸を巻き、上のタナも探ってみると、イカは途中でも乗った。この釣りをしたのは9月末である。

餌木を使ったはじめての釣りで、1週間で1キロ弱のモイカ合計10匹ほどの釣果だったが、イカ釣りを十分に楽しむことができたし、また、自分で釣ったモイカの刺身を大いに堪能した。しかし、往きは明るいうちなので5分もかからないが、帰りは、のちに詳しく書くがGPS画面を見つめながらの超低速走航で、30分以上かかる。地元の慣れた人は、水路の曲がり角ごとに設置されている点滅灯と、陸の建物などの明かりを見て、ほとんどすいすい走ることができるらしいが、慣れないとそうはいかず、ひどく神経が疲れる。

その後、10月末のある日、カズさんに、塩子でモイカがよく釣れているのに、どうして行かないのかと挑発された。実は、その数日前から、昼間、イシダイを狙った釣りをやっていて体に疲れがたまっていた。しかし、挑発されてその気になり、昼釣りを終えた後、夕方4時半頃から再び出かけた。それまでは3.5号の餌木を使っていたが、もう少し重いほうがよいとカズさんは言い、4号の餌木をくれた。これを使ってやったところ、6時から6時20分の間に4匹釣れた。これまでで最高の釣果である。

カズさんはその日8匹掛けて6匹取ったという。彼は塩子島と半島との間の水道の浅場で、船をゆっくりと走らせながら、ビシ糸を使って餌木を曳いて釣る。ここは私のボートでは底がぶつかってしまうような岩があり、昼、スピードを落して用心しながら通るのがやっとで、彼の真似はとうていできない。私が釣りをしたのは9月にやった水深30〜40mの同じ場所で、前回同様の流し釣りである。餌木に少し重いものを使ったから釣果が上がったのだろうか。それとも、この日モイカが沢山まわってきて、場所、方法、腕に関係なく、釣れたのだろうか。とにかく4匹釣ったのは初めてで、その後もこの記録は超えていない。

だが、その翌日にはひどい腰痛に見舞われ、3日ほど起き上がることもできなくなり、1週間以上、釣りを休んだ。私の体力では、昼と夜の両方出かけて釣りをするのは無理だったようだ。

例年、文化の日に合わせて村の守り神、若宮神社の秋の大祭が行なわれる。神輿や牛鬼が練り歩き、村中が活気に満ちあふれる。(詳しくは、第2部の「家串の年中行事」参照。)家串住民は昼には各家庭で、集まった親戚や知人と一緒に食事をするが、3時には、「お旅所」にあてられた作業棟の駐車場に集まり、神輿や牛鬼の担ぎ手たちともども、飛び入りで行われる荒獅子(獅子舞)を見物しつつ、ふるまわれるご馳走に舌鼓を打つ。(ただし2015年には、食事作りの人出が足りなくなり、食事をふるまうことは中止になった。以前は「御旅所」は「お食べ所だ」と誰か冗談を言っていたことがあったのに、寂しいことである。)

私がお握りをほおばっていると、黒田重樹さんが缶ビールを片手に持って、話しかけてきた。彼の本業はアコヤ貝の養殖である。冬になると夜はいつもモイカ釣りをしている。彼は毎日たくさんモイカを釣ってくる、と彼のお母さんが農協の売店で話していたのを聞いたことがある。彼が言う。「イカを沢山釣ったんだってね」。腰痛になる前の日、4匹釣れたことがどこかで話題になったのだろう。たぶん、「須藤さんは家串に来るまでモイカ釣りをやったことはなかったらしい。だが、いっぺんに4匹釣ったという話だ。まぐれかもしれないが、4つ釣ればまずまずの腕だ」。こんなような話しではなかったか。 「いや、4つ釣っただけです。カズサンからもらった餌木を使ったら釣れたんです。それまでは1つか、せいぜい2つだったのでそれと比べればましですが、しかし、黒田さんは1日で14も15も釣ると言うじゃないですか。一シーズンにどれくらい釣るんですか」。「そうだね。300から500くらいかな。須藤さんは、帰るのが早すぎるよ。もう少し粘らなくちゃー。それに、流すだけでは釣れない。やはり、漕がなけりゃー。須藤さんは、深場を流してしゃくっているらしいが、浅場で漕いだほうが絶対に釣れるよ。」

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GPSを使った夜釣り

しかし、夜釣りは、非常に疲れるのである。帰りは真っ暗になってからである。塩子島から家串までは2キロ半程度だが、私の船には前方海上を照らすためのライトは付いていない。そこで、明るいうちに主要な水路を往復して、両側の筏のすぐ近くを走り、GPSに軌跡を入れておき、帰りはこの2本の軌跡の間を走るようにした。私の船についているのは、衛星から受ける位置情報を地上の基準局から得る情報で補正して、より正確な地上位置を知ることができるという、D(differential)GPSというものだ(最近の車のGPSはすべてそうだろう)が、それでも数mの誤差は生じる。

また、ある程度精度が高いとしても、それは静止した位置について言えることで、衛星に送られた船の位置が、再び船に戻ってから画面に表示されるまでに時間がかかるらしく、プロッター上で点滅する自船の位置は、実際よりもずっと前の(たぶん、5秒くらいも前の)位置を示す。これは私のGPSが旧い型であるせいかもしれないが、このことを知ったのは数年経ってからであった。

(グーグルの衛星写真を参照すると)私は、夜、湾内の真珠筏の間を通って帰るときには、実際の20m(≒0.01マイル)が2センチ程度に縮小された画面、つまり1000分の一程度の縮尺画面を見ながら運転する。画面で、軌跡が示す幅2センチの水路は実際には20mの幅があるが、画面上に点滅する船型マークを見ながら運転するので、夜間飛行と同じである。2センチほどの幅の軌跡の間をゆっくりと走る。

直進するだけなら、難しくはない。しかし水路の曲がり角が問題であった。塩子島の釣り場から湾内の筏が並んだ場所を通って帰港するまでに、3か所か4か所、曲がらなければならないところがある。
今、画面上で、船が曲がり角に来たのでハンドルを回してカーブしようとする。ところが船はもう向こう側の筏に接触するか接触しそうになっている。慌てて船を止め、バックし、向きを変えて再び、前進する。「あっ」と思ったときにはすでに筏の中につっこんでいたということも数回あった。飛行機ほどスピードはなく、また山に激突してばらばらになるというような心配はないが、船の前方にあるものを自分の目で見ないで走るのだから、不安であり、しかも、いくら速度を落としてゆっくり走っていても、思うようにいかない。最初は私の運転が拙いせいだとしか思わなかった。

1ノットは時速約1.8kmで分速30m、秒速0.5mである。私の船の速度は、最低に落しても3ノット程度、つまり秒速1.5mくらいあるので、5秒あれば7〜8m進む。したがって、船の現在位置がGPSプロッター上に表示されるまでのタイムラグが5秒あるとすれば、船は実際には、プロッターに表示されている位置よりも7〜8m前を走っている。
左の図を見てもらいたい。ABCDおよびEFGHはGPSプロッター上の軌跡で、筏の間の水路を示しており、その外側には真珠養殖筏が並んでいる。この水路の幅は実際には15mほどだとする。船は水路のほぼ中央を上に向かって走ってきて、右に曲がろうとしているところである。
画面上では船がP点に来た時にハンドルをきれば、船の進路はRへと向かい問題は生じないはずである。ところが、画面で船がPにある時には、実際にはその7〜8m前の点Qに来ている。Qでカーブすればその進路はSにむかうことになり、筏に接触するか突っ込むことになる。

理由がわからないまま、筏に接触するか接触しそうになることがたびたびあり、私は、計器に頼るだけでなく、ハンドルを掴んでいるのとは別の手で携帯型のサーチライトを持ち、これで前方の水路の両側に浮かぶ筏の球浮子やバールを照らしながら、走ることにした。昼間であれば、両脇に障害物があっても幅が10mもあれば特に意識しなくてもハンドル操作は自然に行うことができる。

ところが、電灯の光の中に浮かび上がるものを見ながら走るときには、ハンドルの切り方の加減が全くわからない。水路の右端に寄り過ぎたと思い、ほんのちょっと左に切ったと思うと、もう反対側の筏が迫っており、あわてて右に切る。時には大きくカーブを切り、ハンドルを戻し忘れて、船がくるっと回って後ろを向いたこともある。

昔から私は疲れると極度に頭の働きが悪くなる傾向があるのだが、釣りから帰るときにも疲れていて思考力や判断力がひどく低下している。
そこで、こんなふうになると混乱して、どうしたらよいか全くわからなくなってしまい、いったん、船を止め、深呼吸してちょっと間を置き、陸の明かりの並び具合などを見て、自船がどちらをむいているのかを確かめてからでないと、運転できない。
計器に頼る航行もいつ何が前方に現れるか不安で疲れるが、ライトで照らしてもスムーズに進むことはできず、迷走する感じでひどく疲れる。こういうことが何度かあって、いつのまにか、一人では夜釣りに行かなくなってしまった。時々、大型のモイカが釣れる冬季に源さんを誘い同乗してもらって行くか、彼の船に乗せてもらい連れて行ってもらうが、一人で自分の船で夜釣りにでかけることは今では全くない。

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源(前田源一)さんと一緒に電気ウキ仕掛けでモイカを釣る

源さんが得意な釣り方は、電気ウキとイカ針を使い、生きた小魚を餌にして釣る釣り方である。時々は自分の船を係留してある筏から投げて釣ることもあるが、彼がよく釣る釣り場は、56号線の鳥越トンネルの出口から須の川公園に向かってちょっと行った、国道沿いの海岸である。

2006年の4月下旬、源さんの船に乗せてもらって、夜釣りでモイカ釣りに行くことになった。釣り場は彼がよく行くという須ノ川である。餌の小魚は余分がないので自分で調達しておくようにと言われた。わたしが電気ウキでモイカ釣りをするのは2回目で、最初の時は源さんの道具を借りて、源さんが用意してくれた餌でやった。今回は釣具店で電気ウキやイカ針を購入し、自分の仕掛けを用意しておいた。昼間、餌にするゼンゴか小ダイを釣ろうと近くでサビキ釣りをしたが、イシモチ(ネンブツダイ)数匹と小ダイが1匹釣れただけだった。

家串から出て左手のエビス崎を回って、平碆の湾を横切り、須ノ川の海岸に近づくと、バス停・鳥越トンネルの真下の砂浜に人影が見え、またその右側の国道下の岩場に、そしてそこから100mほど南で、国道から3〜4m高くなっている少し大きな岩場の先端にも人影が見える。よくみると、国道下の岩場と国道の側壁との間にはかなりの落差がある。「あれー、どうやってあそこに降りたんですかねえ」と私。「ほら、はしごがあるでしょう」。しかし、道路から岩場にははしごのようなものはかかっていない。「岩の上においてあるでしょう」と言われてよく見ると、岩場に折畳式の脚立が横になっている。「あれを使って降りたんですよ」。「なるほど。するとあの人はあそこに何度も来てるんですね。用意万端整えてきてるんだ」。

皆、モイカ狙いだろうと源さんはいう。源さんは、二つの岩場の中間から20〜30mくらい沖に船を止め、私にアンカーを投げ入れるように言う。風はトンネルの少し右方向、ほぼ北から緩く吹いている。風がもう少し吹いていれば、アンカーをもう1つ入れるが、今日は1つでいいだろうという。一つ目のアンカーは以前使っていた3キロほどの重さのもの(これは海で拾ったものだといっていた)でなく、鉄棒と鉄パイプ、それに工事用の鉄筋を組み合わせ、縛って作ったもので、5〜6キロはありそうだった。前のものは海で失ったという。もう1つの方は、コンクリートブロックで、船の後部においてある。今日はこれは使わない。

源さんは自宅前の筏から釣ったという子サバと子ダイを持って来ていた。かれは2本の竿にサバをつけ、まだ明るかったが電気ウキに明かりをつけて投げた。私は昼間釣っておいたイシモチをつけ、ウキはまだ十分見えると思い、明かりはつけずに投げた。「来るのは遅いですよ。暗くなってからです」と源さん。「何時ごろですか」。「大体8時過ぎでしょう。ここ2、3回は8時ごろからでした」。「須ノ川に来始めたのは4月になってからと言ってましたね。何回来ましたか」。「4、5回ですね」。「全部で何匹釣れましたか」。「この前が3匹、その前が7匹、その前が2匹、2匹で、1回は坊主。14匹ですかね。平均3匹ですね」。

「私はこの前連れて行ってもらった、小松崎で1匹でしたが、1匹釣れればいいです。開高健を知ってますか」。「ああ、知ってます。小説家で釣りをやる。以前テレビで見たことがあります」。「その人の書いたものを読んでるんですが、彼は釣りは1匹釣れればいいんだ、1匹釣るのと百匹釣るのは大差ないが、1匹も釣れないのと1匹釣るのは全然違うと言ってるんです。釣れないのは辛いです。坊主はいやです。しかし、私は、前田さんみたいにいつも必ず何か釣れるわけではなく、釣れないのには慣れてます。坊主は覚悟してます。だからイカも1匹釣れれば満足します」。

「イカが食ったら、ただリールを巻くんでなく、一回、合わせというか、グンと竿を立てて、針掛かりさせるんでしたね」。「そう、1回しゃくるんです。そのほうが針掛かりがいい。そのままリールを巻くという人もいますが、私は、しゃくってから巻いたほうがいいと思う。そして、ゆるめたらだめですよ。針に返しがないから、ゆるめたらはずれます。どんどん巻くんです」。

やや暗くなって、国道の脇のライトが明るく光り、陸から釣っている人たちのウキの青い光も見え始めた。「アジやタイは光るので夜でも食いますが、イシモチは光らないから昼でないと食わない。もう、餌を変えてタイにしたらどうですか。そしてついでに明かりもつけたらいいですよ」と源さんに言われ、その通りにした。

源さんが「陸からやっている人が釣ったようですね」という。見ると、二つあったウキが1つしか見えず、また釣り人がヘッドライトをつけているのが見えた。イカを取り込んだのだろう。しばらくすると、黒ハエ灯台向きに投げていた源さんのウキがゆっくりと暗くなった。「そら来ましたよ」と彼は竿を持ち、しゃくり、そしてリールを2、3回巻いた。「あー、外れてしまった。針に掛からなかったらしい」。

彼が仕掛を回収している時、私のウキが暗くなった。「あー、こっちにもきました」。「じゃあ、そーっと竿を立ててみて。重かったら、一回しゃくるんです」。言われたとおりにすると、竿がグーッと重くなり、リールを数回まくと、きしんで巻けなくなった。リールは東京にいた頃、25年も前に買ったものだ。ガタがきていても当然なのだが、掛かったイカがかなり強く引いてもいた。「リールが巻けないです」。「じゃあ、竿を倒して巻けばいい」。しかし、このとき、糸を緩めては逃がしてしまう。私は、糸が緩まないように注意しつつ、竿を下げながら、リールを巻く。そして竿を立てながらイカを寄せる。船にイカが近づくと、源さんが玉網を出してくれた、そのとたん、ブシューッと墨を吐き、糸に逆らってイカは船から離れようとした。もう一度、竿を立てイカを近づけると、源さんの差し出す玉網が届いた。「はーい、釣れましたよ」と船の上に玉網を置き、針を外してくれた。私は確かにド素人なのだが、やや子ども扱いされている。そして私はそれに甘えているのである。1キロ近くありそうだ。

その後は当たりが出なかった。前田さんはサバでやるのは初めてで、「サバは食いがわるいのだろうか」と言った。私が「さっき針は外れたけれども、食ったことは食ったし、今タイをつけている私の方も食わなくなった。陸の方でもあれっきりで、食ってない」と言うと、源さんもうなずく。「今日はキビナゴが見えなかった。キビナゴが入ってるときはイカも追いかけてくるんだろうが、今日はイカがきてないんだろう」と言う。それでも、かれは餌のサバが弱ってないかどうか、2、3回竿を上げ、餌を付け替えるなどした。しかし、結局納竿にした9時までに釣れたのは私の1匹だけだった。

帰り。真珠筏と陸、筏と筏の間の水路の間を、所々に見える陸の明かりを参考にして方角の見当をつけながら、片手で持ったサーチライトを----自分の見たいところを自分で照らしながら走るために、サーチライトは他の人に持ってもらうことはできない----左右に動かして、光の中に浮き上がる真珠筏の白や橙色のブイ、そして黒い玉浮子を見て船を進める。源さんは大まかかな頭の中の「軌跡」に従い、サーチライトで照らして補正しながら走る。

それでも、一度、エビス崎を回って家串側に来て、筏から陸に張られたロープのところで、ロープに着いた藻(ホンダワラ)にペラが絡んで停止した。なぜ、来るときは問題なく走れたのに、帰りは藻に絡まったのだろうか。潮は、来るときよりは満ちていた。通ったところは陸に近いほうではなく、筏に近いところだった。筏から、ロープはいったん深く入るはずで、ロープが上に浮くのはむしろ陸に近いところのはずだ。潮の流れ方で、藻が上に来るのだろうか。源さんも首をかしげていた。私にライトを持って海面を照らすように頼み、ロープの方向や藻の着き具合を見ながら、船外機を上げたり、また下ろしてエンジンを掛けたりして、藻の中から抜け出した。

翌年4月8日、同じ須ノ川のポイントに私の船でいっしょにいくことになった。源さんは前日一本松のおじさんと二人で行き、8杯ずつ上げたと言う。今日もきっと釣れるだろう、という。6時出港。源さんの言うところに、2丁アンカーで掛けた。水深はほんの数mで、2丁アンカーでも上げるときの手間を心配する必要はなかった。風はなく、寒さをほとんど感じない。

餌のゼンゴのつけ方が難しい。軍手などをはめてしっかりつかめば針には掛けやすいが、魚が弱ってしまう。源さんは素手で軽く握って素早く針に掛けるが、真似しようと思っても、魚が逃げようと動くので簡単ではない。なんとかゼンゴを針に掛けて投入。途端に、電気ウキがグーッと引き込まれあかりが消えた。当たりである。だがすぐにまた明るくなった。仕掛けを上げてみるとエサがなくなっていた。餌をとられたのだ。しかし、イカがいることは確かだった。二投目か三投目にまた当たりがあり、これは竿をたてるとグングンと引いたが、リールのまき方が悪く(イカが強く引いたとき、ハリスが気になり、巻く手を止めた)逃げられた。

しかし、その後も当たりがあり、2杯上げることができた。取り込みは、イカ専用のギャフで前田さんがやってくれた。1.5キロと1キロ超の良型。私は大満足であった。源さんは私の世話をするのに忙しく、自分の釣りに集中できなかったようだ。また、適当な大きさの魚が数匹しかなく、15センチ以上もあるグレを餌に使ったためであろうが、イカの掛りが悪く、2、3度ばらした。さらに仕掛が根掛りするトラブルもあり、結局、ぼうずで終わった。しかし、わたしがとにかく良型を2匹釣ることができたことを喜んでくれた。釣りを終えたのは9時過ぎだった。帰途は完全な「計器操縦」で、一度、平バエの近くの筏に突っ込みそうになったが、無事帰港した。

  4月28日に源さんから再びイカ釣りに誘われた。朝、釣りをして、小型のイサキなど餌になる魚がたくさん釣れたという。6時に、源さんの船で出港。須ノ川のいつものポイントへ。風ははじめ北西、のち北東、あるいは南東からと変ったが、それほど強くはない。

まずめどきは食わなかった。7時半ごろ、ウキに点灯してすぐに当たりがきて、1キロ半ほどの良型が釣れ、8時過ぎにまた1キロほどの良型が釣れた。源さんは8時を過ぎてから、竿を一本折られるながらも、大型を2匹(2キロ半と2キロ200)、それに1キロ(これが小型に見えた)合計3匹釣り、私も1匹追加、3回ばらした。餌はタカベ、イサギ、ツバクロだったが、背がけのときにバラシが集中した。9時半ごろまでの1時間は入れ食い状態だった。

8時半ごろから、キビナゴがバシャバシャと音を立てて泳ぎ、時々スズキがザバーッとはねる音がした。また、風が完全に収まり、海面が鏡のように平らになった。うす曇りで東の高いところにぼんやりと月が出ており、西の空には金星とは違う青色の明るい星(たぶん木星)がこれも薄いベールをかぶったように、きれいな色で見えていた。10時帰港。大漁。源さんに感謝、感謝。

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筏=屋形からの夜釣り

1月〜3月くらいにかけては、夜、家串湾の一番奥で、生き餌をつけた電気ウキ仕掛けで釣ることができる。

家串湾の一番奥の岸壁上に軽油とガソリンを供給する農協のスタンドがあり、その前に小さな波止が突き出ている。私の船を係留していた故水谷さんの筏から波止の先端までの距離は100mくらい。よく釣れるのは水谷さんの筏と農協前の波止先端との中間で、カズさんの筏のすぐ前である。カズさんの筏からは正面に向かってちょっと投げれば、最高のポイントに仕掛けが入ることになる。給油スタンドの西側の岸壁には真珠の作業棟が建っており、作業棟の前の海は、作業船が出入りする通路となる場所以外はほとんどすべて筏で覆われていて、これらの筏の一つに細川貴志さんの小屋があり、彼はここから南に向かって仕掛けを投げる。足元でも時々大物が食うという。

昼間、水谷さんの筏の上から見ると、タカベ、小アジ、トウゴロウイワシ、キビナゴ、木っ端グレ、小ダイ、サンバソウ(イシダイの稚魚)、ベラ、ネンブツダイ(地元の人はイシモチと呼ぶ)、小サバ(年による)などの小魚、さらにハリセンボンなどありとあらゆる魚が泳いでいる。これら小魚を狙ってモイカも寄ってくるのだろう。周囲は作業用の筏が並んだ狭いところだが、イカを狙って、隣の平碆からわざわざ、夜、船でやって来る人もいる。

小魚が多いためであろう。スズキも回ってくる。作業場の前の、底に捨石の入っている深さ2mばかりところにスズキがゆっくりと泳いで入ってくるのを、常夜灯の明かりを頼りに船の上から見張り、竹竿の先端につけたヤスで突く。私はカズさんや細川浩志さんがこうやって魚を突くのを何度か見た。 モイカを釣るためには、ゼンゴ(小アジ)を釣っておかねばならない。ゼンゴはモイカがもっともよく釣れる餌である。ところが、ゼンゴがいつ、どこで釣れるかさっぱり分からない。家串地区の南のはずれにある保育所前の高堤防のわきで1週間程夕方5時から6時くらいにかけて連日ゼンゴが釣れた。このときは、モイカ釣りをやる人が入れ替わり立ち代りやってきて釣る。20匹も釣れれば、生かしておいて3日ほど釣りができる。ところがゼンゴがよく釣れたときにはイカが全く食わなかった。そしてゼンゴはその後ぴたっと釣れなくなった。そして、カズさんのように大きな生簀でゼンゴを沢山生かしておいた人か、あるいはよそでゼンゴを買ってきた外来の釣り客が一晩に何匹もモイカを釣った。海に餌となる魚が多くいるときは、イカは満腹状態にあり、探し回って釣りの仕掛けに付けられた魚を食う必要がないということなのかもしれない。ゼンゴが釣れる時にはイカは釣れず、イカが釣れるときにはゼンゴは釣れないようだ。

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暗闇の中で釣る

08年11月下旬、久しぶりにモイカ釣りをした。加藤さんの筏で釣ったゼンゴを餌に、最初は水谷筏に係留してある私の船から投げた。多少南西からの向かい風が吹いていたが、投げられないほどではなく、また寒くもなかった。源さんも、ここから20mほど離れた筏に係留してある彼の船から竿を出していた。風が少し強くなって仕掛けがすぐに手前に吹き寄せられるようになったので、水谷筏の北向きの角から投げてみた。カズさんの筏の前にもウキが見えた。加藤さんも、作業場の七輪に火を起こし、鍋を食べながら(そして一杯やりながら)やるといっていたが、ここからは遠くてウキは見えない。後で聞いたら、1匹釣ったと言う。私は坊主だった。

少し雲はあったが南西方向の雲の切れ間から明るい星がひとつ見えていた。水色がかっていて、木星かと思っていたが、あとで「天気コーナー」の気象予報士の話では明るく見えるのは金星で、木星は小さくしかみえないということだった。暗い海面にモイカ釣りの電気ウキの小さな赤い光が、3つ4つとゆらゆら浮かんでいる光景は家串の冬の風物詩だ。

翌日、夕方、もう一回イカ釣りをしようと水谷筏にいった。源さんに会ってこれからイカをやると言うと、彼もこれから船でイカ釣りに行くところだ。一緒に行こうと誘ってくれた。餌の小アジをアンドンと呼ばれる真珠養殖に使うネットを利用した小型生簀に入れ、電気ウキをセットしていると、彼の船が廻って来て、乗せてもらう。行き先はここから500〜600mほど西の小松崎。そこの真珠筏に船を掛けて釣る。源さんは着くとすぐに小さいのを1匹釣り、その後も7時までに、1.5キロの大型、1キロ弱の中型とあわせて3枚も釣った。

6時少し前、完全に暗くなったころ、すぐ隣にだれかが船を掛けたが、ウキは見えない。腕を上下に動かしているのが見えた。餌木を使っているのだろう。「釣れてるかね」と向こうから聞いてきた。誰だかわからない。「私は釣ったが、須藤さんはまだだ」と源さんが答える。「先生も釣らなけりゃー」と言う。源さんが「(浅野)藤吉郎さんだ」と言って、私も分かった。

間もなく、イカ釣り用の短い「てばね竿」を船の上に投げ捨てる音がして、見ると糸を手で手繰っている。「おっ、イカが釣れたようだ」と見ていると、彼の船の2〜3m前で、ブシュッと大きな音がした。イカが墨を吐いたのだ。「ウワッ」、藤吉郎さんに墨がかかったのだろう、悲鳴が上がった。これだけの墨を吐くのは大きいはずだ。「大きいんじゃないですか」と聞くと、「そうだなあ、2キロは超えてるかなあ」と言う。6時半ごろには、暗い中を明かりも点けずに浅野さんは帰っていった。私が「明かりなしで、分かるんですね」と感心して言うと、源さんも、「頭の中に入ってるんでしょう。私はライトで照らしながらでないと帰れませんがね」と言う。ほんの30分か40分だけ来て、大きいイカを釣ってさっと帰る。彼の晩酌のつまみ、家族の夕食のおかずにするのだろう。

私はなんだか仕掛けの状態がおかしいようだとは思ったが、暗くてチェックしにくいため、そのまま続けていたが、7時少し前くらいになって、ウキ止めが効いていないことに気がついた。これでは餌のアジが海底まで行ってしまい、イカが食うはずがない。しかし、もう7時前で、今日は終わりということにした。私は源さんが最初に釣ったイカをもらって帰り、刺身にして食べた。目方は4〜500グラムくらいだろうか。タップリ食べられて多すぎない、ちょうどよい量で、味も、もちっとした歯ざわりもとてもよかった。

その次の日。前日のモイカ釣りで雪辱を果たすべく、私は昼食を終えるとすぐにウキ止め糸をしっかり結ぶなどの準備をした。藤吉郎さんの真似をしてエギングもやろうと中オモリ式の仕掛けも用意した。そして3時半には、自分の船で小松崎前の筏に掛けた。今日は誰も来ていない。出港するときにすでに前田さんの船はなかったが、小松崎にもいなかった。

エギングは、餌木をいったん底まで落し、そこから海面近くまでしゃくりながらあげてくる。2時間以上やって見たが、乗らなかった。生き餌を泳がせるウキ釣りの方は6時半過ぎくらいに、電気ウキがゆらゆらと海中に沈んで400グラムか500グラムのイカが釣れた。7時ちょっとすぎ、源さんが油袋から戻ってきた。イカは食わなかったが、大アジを3匹釣ったという。私は「小さいが1匹」釣れたことを報告した。その後、8時までやったが、結局、その1匹しか釣れなかった。

釣りをしながら、明るいうちに、船から正面に見える、小屋のある水谷さんの筏---そこが私の船を繋ぐところだ----、その左の真珠の作業棟、右側の水産会社の倉庫などの建物、そして海面に浮いている真珠筏の黒い玉浮子、タイの生簀の枠などの位置を頭に入れようとした。正面の水路は300mか400mほど水谷筏に向かってまっすぐに伸びていて、そこからから両側の真珠筏はなくなり、水谷筏の20mほど手前の宝水産の養殖の生簀を除いて、水谷筏やほかの作業小屋の乗った筏群のあるところまでの100mほどは何もない。水谷筏の手前の生簀に注意する必要があるが、GPSを使わなくても、陸の明かりを目標にして3〜400mの水路を「まっすぐ」進むのは難しいことではない、そう思った。

5時を過ぎると陸に明かりがつく。左から5つ目までは一つずつ離れていて、6つ目から3つずつ塊になっている。6つ目と7つ目の明かりの塊を目指していけば、生簀の前に出る。近づいたらギヤをいったん中立にして、ライトを手で持って照らそう。それまでは水路に幅があるから、低速でまっすぐ進めばいいはずだ。

8時、真っ暗になった。釣りを終え、3つずつ塊になった2箇所の明かりを正面に見ながらボートを進める。しかし、やはり、ちょっとだけ進路が曲がっていたようだ。右舷側に玉浮子の列がぐっと迫り、ハンドルを左に切りながらあわててギヤを中立に入れる。止まらない。すぐに後進に入れる。船は筏の直前で止まった。バックして玉浮子の列からはなれたが、そのときにハンドルをどう回したか覚えていない。

船が止まってからライトで周囲の玉浮子を照らしてみたが、船の位置も向きも分からない。陸の明かりを見ながら、ギヤを入れたり、切ったりしながら超低速で進むと、船を繋ぐべき水谷筏からはかなり離れたところに船が来た。再びライトで照らし、船を回して、水谷筏と、そこから3〜4m離れたアンカーに結ばれたバールの間に船を入れようとするが、船が筏のふちにぶつかりそうになったり、バールにぶつかったりと苦労した。

3本の係留ロープを繋ぎ終え、エンジンを切ったときに、やっと帰ってきたという気がして思わず「はあっ」と大きな息を吐いた。たった3〜400mの距離でも、明るい時に周囲の事物を見ながら船を動かすのと、暗闇のなかで、遠くの明かりだけを頼りに船を走らせるのとでは、全く違うということ、1秒1秒、方向を確かめ修正しながらでなければ、思う方向には進めないのだということが、つくづく分かった。

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真珠筏の球ウキが空に飛んだ!

5時近く前田さんの船で出かける。昼間は強風波浪注意報がでていたという。もう解除されましたかと聞くと、わからないという。風は吹いているがここ湾の中では波は立っていない。行って、早めに帰ってきましょう、ということになった。釣り場は、しばしば行く、湾の奥で風に強い小松崎である。しかし釣り始めてみると、風がかなりあってやりにくかった。6時くらいまでやってみたが、喰わないので、やめて帰ることにした。

帰り道、源さんが自分で海を照らしながら運転する。私は船首に近いところに座り、身をかがめて前方に注意した。突然、ライトの中に白く丸いものが沢山浮かび上がってきた。私は真珠筏の端のバール(俵型のウキ)だと思った。このままでは筏に突っ込んでしまう。驚いて手を上げ、止まるように合図した。船は止まらず、いや、源さんが船を止めようとしなかったので、前進を続けた。すると、その白く丸いものの形が変り、羽が生えて、空に飛び上がったのだ。海に浮いていた白いものはカモメの群れだったのだ。源さんはすでに何度か経験してるのだろう、「ウキだと思ったでしょう」と落ち着いた声で言った。

真珠筏は50mから100mくらいの長さの、2mくらいの間隔で並んだロープからなりたっており、これらロープの端は、これに直角に張られた別のロープに結ばれていて、このロープに5m間隔でついているバールを介して、海底のアンカーに結ばれ、筏は長方形に保たれるようになっている。こういう筏が湾内に数十基並んでいて、家串から油袋への水路は、多少は曲がっているが、ほぼ東西にまっすぐについている。だから、前にも書いたが、バールは水路の両端に、ほぼ東西に並んでいる。油袋と家串の中間にある小松から、この水路を通り家串に向かうときに、バールの列が真正面に現れるはずはないのである。しかし、真っ暗な海で、白いものが並んで浮いているのを見たとき、私はバールだと思ってしまったのだ。行く手に現れた障害物のバールは、羽が生えて暗闇の中に消えていった。筏に突っ込む恐れがなくなってほっとするとともに、なんだか、キツネに化かされたようなおかしな気持ちになった。

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2.アマダイ・イトヨリ釣り

マダイなどに比べて超高級魚とされているアマダイ(甘鯛)とイトヨリダイ(糸撚鯛)の釣りについて書こう。両者はほぼ同じ場所で、片テンビンの同じ仕掛けで釣れる。

家串で釣って、初めて本物を見、食べたアマダイ、イトヨリ

アマダイという魚については、東京に住んでいたとき、釣り雑誌で神奈川県真鶴沖のアマダイ釣りについて書かれた記事を読んで、初めて知った。アマダイ釣りはマダイ釣りに比べて釣りやすいと書かれており、また掲載されていた写真で見たアマダイのきれいな魚体が魅力的で、五目釣りくらいしかやったことのなかった私は、ぜひとも一度アマダイ釣りをやってみたいと思った。五目釣りとは特定の魚を狙うのではなく、初心者でも釣れる中小のアジやサバなど様々な種類の魚を、乗合船に備え付けられている竿とリールを借りて釣る、船釣りでは入門的な釣りである。

また別の本で東京湾の上総湊(カズサミナト、千葉県)周辺で釣るという、イトヨリについて書いたものを読み、写真であったか、挿絵であったかは忘れたが、尾ビレの一部が長く延びた、独特の魚体に興味を感じ、釣って、自分の手にとってじかに見てみたいと思った。

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子供の時に食べた魚

私は大学に入学して東京に住むようになる以前、越後平野の真ん中(旧新津市、現在は新潟市秋葉区)で育った。夫を戦争でなくしたという女性がゴムの前掛けをして、大きなスタンドのついた自転車の荷台に魚を入れた木箱を積んで家々に売りにきていた。活きがよくなかったのだろう、中学生の頃、サバの青い色をした背側の身を食べたときに気持ちが悪くなり、それ以後、サバの青いところは避けるようになった。

食べたり、目で見て知っていた他の魚はサケ、サンマ、イワシ、タイ、ウナギくらいであった。食事は母親が作り、私と妹、二人の子どもに「何が食べたいか」と聞くことはなく、私たちは出されたものを食べた。塩鮭とサンマのミリン干しはよく食べた。刺身はほとんど食べたことがなかった。タイはときどき父親が宴会の後に折り詰めの尾頭付きをもって帰った。25センチ程度の小ダイの塩焼きだったが、(父は飲んで帰り食べなかったので)家族3人で、すみずみまでていねいにつついて食べ、残りにはお湯をそそいで味わった。普段、生活はつましく食事も質素であったが、年に一度家族で、駅前通りにある町一番の料亭に行き、和洋中のおいしいものをおなか一杯食べる贅沢をした。その際に食べるウナギの蒲焼は格別にうまいと思った。

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東京で魚好きになった

東京では20年以上暮らしたが、独身のときにも、結婚後もよく食事を作った。自分で魚屋に行き、アジ、カレイ、アナゴ、マグロ、カジキマグロ、キンメダイ、アコウダイなどさまざまな魚が一匹もので、あるいは切り身で並んでいるのを興味深く眺め、アナゴ以外は自分で調理をした。東京で、新鮮なサバが背側の青いところも含め非常においしいということを知り、しょっちゅう食べるようになった。

また新潟にいたときには、魚よりも肉の方が絶対にいいと思っていたが、東京にきてから魚も肉に劣らず好きになった。刺身や寿司が高くないこともあり、よく食べた。夏には、結婚前も子どもができてからも、毎年のように家族や友人らとともに、房総や伊豆の海辺に遊びにいった。私たちが泊った安い国民宿舎や民宿の料理は決して豪華ではなかったが、近くの海で取れたという魚介類が食べられることに満足した。

さまざまな魚を釣り、手でふれ、食べてみたいと思った

乗り合いの遊漁船に数回乗り、アナゴ、カレイ、ワカシ(30cm程度のブリの稚魚)、サバを釣っただけだったが、上で名前を上げた魚は、マグロ、カジキマグロは別として、すべて一度は釣ってみたいと思い、仕掛け集の本や釣り雑誌を読んだ。特定の魚の釣りに通い、うまくなりたいと考えたのでなく、さまざまな魚を一度でいいから釣ってみたい、釣り上げた魚を手でふれてみたい、そして食べたいと考えた。

東京にいる間、後半の10数年は結局イシダイ釣りに通うようになった。しかしイシダイ釣りに傾倒するようになってからも、ベテランは一つの磯に精通するほうが上達し、数釣りができるようになると言うにもかかわらず、私は特定の磯に通うのでなく、あちらこちらの磯に行った。これも、一つのことに集中するのでなくいろいろなことをやってみたいという、傾向の現れだったといえるかもしれない。

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内海・家串では多くの魚を釣ることができる

ここ内海、家串では、アコウダイなど深いところに住むに魚やサケやサンマなど寒流に住む魚以外は、ほとんど何でも釣れるのではないか。カツオ(マガツオ)も、ときには黒潮が勢いよく宇和海に入り込んできて、それに乗って由良の鼻くらいまで来ることがあるようだ。私はまだそのチャンスに出会ったことがないが、そういうときにルアーを曳けば釣ることもできるはずだ。

わたしが家串で船釣りを始めてから5年ほどの間に釣った、魚の種類を書いてみよう。一匹しか釣ったことがないものも含まれる。小型の潜航板を使った曳き釣りで、ソウダガツオ(マルソウダ、ヒラソウダ)、ヤズ(イナダ)、ヨコワ(クロマグロの稚魚)、スマ、ビシ糸を使った朝夕の曳き釣りでサゴシ(サワラの稚魚)、太刀魚。太いビシ糸の曳釣りでハマチ、1キロ以下のカンパチ、1m以上のシイラ。

竿と天秤を使ったビシ釣り(関西ではズボ釣り)でマダイ、イサキ、沖イトヨリ(一回だけ)、クロヒラアジ。サビキ・コマセ釣りでアジ、サバ、イワシ、タカベ。ドウヅキ仕掛け+生き餌の泳がせ釣りでマトウダイ、ヤガラ(1mを超える赤ヤガラ。吸い物にして食べた。「市場魚貝類図鑑」によれば「歩留まりが悪いので」、つまり身が非常に少ないので、「高級魚というよりは超高級魚」だという)。バクダン(マキコボシ釣り)で、イサキ、アジ、シマアジ(2キロくらいまで)、マダイ、チダイ、イシダイ、グレ(メジナ)、アイゴ、チヌ(クロダイ)、ウスバハギ、ウマヅラハギ、カワハギ、ホゴ(カサゴ)、ヒブダイ、アズキハタ、コショウダイ、コロダイ、30センチほどのクエ、コバンザメ(これは放流)、イカ針+生き餌の泳がせでアオリイカ。イシダイ竿+ウニ餌で、イシダイ、イシガキダイ、タマミ(フエフキダイ)、コブダイ(カンダイ)。

これから書くアマダイとイトヨリは片テンビン仕掛けの簡単な道具を使って、流し釣りで釣る。キダイ、コウイカも釣れた。

私は釣ってないが、近くで狙えば釣れるものに、スズキ、ヒラメ、ヤリイカがある。カレイは少し足を伸ばして北灘湾まで行けば釣れるようだ。

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超高級魚アマダイ、美しい高級魚イトヨリ

赤アマダイ

南予、宇和島から愛南町にかけてはアマダイはコズナと呼ばれている。インターネットの「ボウズコンニャク」の ホームページ「市場魚貝類図鑑」によれば、アマダイは東京都での呼び名で、1980年くらいまではあまり利用されず神奈川県相模湾ではアカアマダイの価値をほとんど知らなかった。 関西では若狭湾、京都府舞鶴市などで獲れるクシ(京都、大阪ではグジ)が古くから高級魚とされ、京料理などには欠くことの出来ないものとされてきた。産地である若狭から一塩されてきたものを非常に珍重していた。現在でもアカアマダイをもっとも大量に取り扱うのは京都だ、という。最近になり、関西料理の進出とともに関東でも超高級魚となった。市場での評価は西日本で高く、東日本で安い魚であったが、現在では関東でももっとも値段の高い魚のひとつで、キロ当たり1万円以上と言うことも珍しくない、という。

クズ、クズダイ、アカクズナと呼ぶところもあるといい、コズナという南予の呼び名は、若狭地方および京都での呼び名と関連があるのかもしれない。わたしが宇和島の魚市場に行ったときに直接聞いたのだが、3月ごろの値段で、キロ6千円であった。とにかくアマダイ、コズナは超高級魚なのである。

イトヨリダイ

イトヨリもやはり主に料理店などで使われる高級魚として知られている。同じ「市場魚貝類図鑑」によると、イトヨリという名前の語源は「体色の赤と黄の筋状の模様が、泳いでいるとき金糸を撚るようだから 」と書いている。アマダイもイトヨリもともに高級魚だが、同時に、その姿がとても美しいことも特長として挙げられる。



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シーアンカーを使った、アマダイ、イトヨリの流し釣り

冬、強い北西風が吹くときには、内海湾北部は由良半島の風裏になるとはいえ、家串湾の外に出て釣るのは難しい。船を生簀や真珠筏に掛けて釣るにしても、竿と天秤を使う釣りは可能だが、マキコボシ釣りの場合には、デッキの上で糸が風に巻き上げられて縺れやすく、やりにくいい。家串に移り住んで2年目の冬に、小型のテンビンを用いた簡単な仕掛け(この節の末尾の図を参照)を使った湾内の流し釣りで、イトヨリ、アマダイを狙ってみることにした。少ししてシーアンカーを購入した。シーアンカーを使うと、多少風があっても、船の動きがずっと緩やかになり、釣りやすい。

白アマダイ、「Web魚図鑑」より借用

2007年の1月下旬に10日ほど、2月に1回、3月に3回、4月に2回(最後は4月28日)、アマダイとイトヨリを狙って流し釣りを試みた。始めは家串湾でやり、後の2回は、海図を見て家串同様に海底がmud(泥)となっている魚神山(ナガミヤマ)でやった。狙いは当たって、イトヨリは40センチ超、1キロを頭にほぼ30センチ以上のものが12匹、アマダイは50センチ1.5キロ、55センチ2.1キロなど3匹釣った。数は多いとは言えないが、釣れたものはほとんど良型ないし大型なので驚いた。
図鑑を参照すると、赤アマダイはオスで60センチ前後になるものがあるがメスは40センチ程度までだとされ、白アマダイは50センチ前後になるととされている。赤アマダイはどの写真を見ても、赤さがはっきりしている。だが、わたしが釣った大きいほうの2匹は少しは赤い色が交じっているがまだらで、全体は白っぽくボケた薄い色だった。図鑑の写真と比べると、わたしが釣ったのは白アマダイだと思われる。

私が釣ったアマダイ。新聞紙の縦の幅は54cmくらいである。

一回の釣りは平均3時間程度で、坊主が4回あった。他にオニカサゴ、キダイ、コウイカ、アナゴ、ホウボウ、カナガシラ、良型のミノカサゴなどが釣れた。ヤマダテは難しいので、GPSでマークし、釣れた場所を流した。イトヨリが釣れたのは、明らかに瀬(根)があるところだった。

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赤アマダイ、白アマダイ、黄アマダイ

アマダイには、赤アマダイ、黄アマダイ、白アマダイの3種類あり、釣りの本では、黄、赤、白の順により旨くなる。白アマダイが最も旨いが「幻」といわれるくらいめったに釣れないという。尾川泰将(つり情報社)編『釣れる!!海のボート釣り』(辰巳出版、平成16年)の「アマダイ」の中の「幻のシロアマ釣り場ガイド」という囲みの記事には、東京湾出口の館山付近から、相模湾、駿河湾にかけて「ここ数年」の実績が、日付、釣った人の名前とともに書かれている。海岸の長さは100数十キロに及ぶ。ここで7匹が釣れたという。確かに幻のようなものだ。うち一匹は尾川さんが釣り「ボート釣りの神様である石川皓章さんのご自宅へ持ち込み3人ではじめて食べてみた。アマダイの品のいい甘みを保ちつつしかも身が水っぽくなく締まっていた。脂もうっすりとのりまさしく高級料亭の食材としてキング級でありました」と書かれている。石川皓章氏は、この本の別のページでは、「ボート釣りのすべてを経験してきた」「ボート釣りの達人」という。

ところが前掲「市場魚貝図鑑」によると、「昔はシロアマダイが最高値、最上位にあるとされたが、近年はアカアマダイと変わらない。ともに非常に高価。またキアマダイは珍しく、一定の評価はないが、これもまた高級魚。古くからの3種の順位づけは間違い」という。白、赤、黄のいずれも市場では、近年、同じような評価を受けており、白が特別に旨いわけではない、というのだ。一般的には需要と供給の法則が働くだろうから、白アマダイが赤アマダイや黄アマダイに比べ、ずっと旨い魚なら値段は極端に高くなるのではないかと考えられる。しかし同じような価格だとすれば、旨さも格別違わないということになりそうである。もしそうだとすれば、もしかしたら「神様」、あるいは「達人」でもまだ釣っていないという幻の魚を釣ることができたという感激、興奮で、尾川氏の舌の「賞味力」に多少狂いが生じたのではないかと疑われるかもしれない。

しかし、そうとも言い切れない。「市場」の値段とは、経験豊かな料理人の冷静な舌の判断力によって決まるのではなく、グルメを求めるプチブル大衆が時々の流行にしたがって魚料理を食べようとする回数の多少で決まるに過ぎないとするならば、味の違いなどわからないまま、三種類のアマダイを区別せずただ「アマダイ」を食べようとする人の数が増え、結果的に黄や赤のアマダイの需要を増大させ、これらの価格を押し上げたのだと考えられなくもない。難しいところだ。

一般的には、例えばインターネットでアマダイ料理を調べてみると、まず、白、赤、黄の区別はしていない。どれも「アマダイ」である。そしてたいてい「 白身の高級魚で、 柔らかく水っぽい味のため、焼き魚や照り焼、西京焼き、ムニエル、ポワレなどに調理するのがよい」と書かれている。刺身はそのままではなく、普通、昆布締めで食べるとされている。

生きのいいものを刺身で食べれば(好みの違いは措くとして)そのうまさの違いはある程度客観的に判断できると思う。しかし、料理した魚は魚の味以上に料理の仕方でうまさが決まるのではないだろうか。

私はアマダイ、マダイは昆布締めで食べたことがある。しかしそれらを、並べて食べ比べたことはない。タイはよく食べる。アマダイは確かに旨いと思ったが、タイ(その記憶)と比べて格段に旨いとまでは思わなかった。

2008年には、魚神山に3回、家串に5回出漁した。イトヨリは35センチから45センチの良型を18匹釣った。この年はアマダイは釣れなかった。08年に出漁回数が減ったのは、この年は、凪のときにはクロハエ周辺に出かけて、グレとシマアジ(この年にしばしば回遊した)を釣ることが多かったためである。

2009年には、マキコボシ釣りが上達して、低水温期にアタリが細かく釣りにくいマダイを釣ることができるようになって、1月下旬から2月中旬にかけて、連日、湾奥の生簀に掛けてマダイを狙った。その後、やはりマキコボシ釣りで大アジが釣れるポイントを教えてもらい春まで大アジを釣った。また、この1〜2年外部から漁船が入ってきてアマダイ、イトヨリ釣りのポイントである湾央に延縄を仕掛けるようになり、そのせいでアマダイやイトヨリが釣れなくなったのではないかと考えた。こうして、この年にはアマダイ、イトヨリを狙った私の出漁は2回だけで釣果は30センチ程度のイトヨリ2匹だった。2010年には行かなかった。

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家串湾ではアマダイがいなくなった?

延縄では針は何十本も付いている。いつもやってくる漁船が仕掛けを上げるのをみていたが、小さなトラギスのようなものが、2〜3匹かかっているだけで、アマダイは釣れていなかった。小さな湾では1、2シーズン続けてプロの漁師が延縄をやると、釣りつくしてしまうのかもいれない。「コズナは本当にうまい。しかし、昔はよう釣れたが、最近はめったに釣れん」と家串の年寄りが言う。市場でもキロ3千円を下ることはないらしい。2キロ程度のものが3匹も上がれば、1日の稼ぎとしては十分かもしれず、延縄でなら1日3匹くらいは釣れるかも知れない。しかし、3本針仕掛けの竿釣りで、アマダイを狙うのは無理のようである。

アマダイは泥の中にもぐっていて眼だけ出して餌が来るのを待っているとどこかで読んだ。他方、イトヨリは根の周囲にいて少し上まで泳ぐという。家串湾の中央の水深60m程度のところは全体的には泥底であるがところどころに根がある。私は風があるときに釣ることが多く、たいていは船がどんどん流れるが、(たぶん潮と風が逆で)船の動きが非常にゆっくりだったときに、仕掛けを上げたり、落としたりしてみたら、3mから5m、あるいはもう少し上まで巻き上げた所で食い、また巻き上げる途中で食った。上針に掛かっていた。幹糸の長さを考慮しても、2ヒロくらいのところである。

マダイなどほかの魚を狙って水深40m前後の根の近くでマキコボシ釣りをしていて、底から2ヒロくらいのところで何度もイトヨリが釣れている。イトヨリはかなり上にいるか、上まで来て、餌を食うようである。

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スパンカーとシーアンカー

わたしのボートは購入時にスパンカーがついていた。スパンカーは舳先を風上に向け(これを風に立てるという)、風によって押されて流されるのを少なくするための帆のことである。しかし、細かい操舵と推力調整を行なう必要があり、釣りどころではなくなってしまう。 遊漁船ではスパンカーを使って流し釣りを行うが、船が常に風上に向くように船長がつきっきりで運転しているからそれが可能なのだ。結局、私はスパンカーは取り外し、次の年からはシーアンカー(パラシュート・アンカーともいう)を使うことにした。

船を風に立てるための装置として、一時、日産から風向風速計と連動したフルオート・電動モーター、「オートスパンカー」が発売されたが、ホームページを見ると2015年現在「生産終了」という。たぶん、ボート・フィッシングのための道具としては高価過ぎ、売れなかったのだろう。

だが、シーアンカーなら1万円ほどで買える。シーアンカーを使うと、船は水の抵抗と舳先が風上に向く二重の効果で、流される速度が格段に緩くなる。シーアンカーを海に入れたら、次に回収するまでのひと流しの間、船を運転する必要がなく、流している間は釣りに専念することができる。ひと流ししたらシーアンカーをいったん回収し、風上に上ってから投入し直す必要はある。また、シーアンカーを入れたら、次に引き上げるまでの船が流される進路は風で決まってしまい。風任せになる。例えばステアリング操作で途中の進路を変えるということはできない。しかし、何よりも、ひと流しする間、船を運転せずに釣りをすることができるのはいい。ただし、船が混む場所での使用は避けるのが賢明だろう。

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仕掛けと釣り方

イトヨリ、アマダイを狙う仕掛けは図のような簡単なものだ。

仕掛けの全長を長くして枝針の数をもっと増やすこともできるだろうが、底に這わせなければならず、仕掛けが縺れたり痛んだりしやすいので、針の数は3本くらいがいいのではないか。
小野伸昭氏は中通しの誘導天秤を使っている(『釣れる!海のボート釣り』)が、普通の天秤でも差し支えないと思われる。
アマダイもイトヨリもゴツンゴツンというはっきりしたアタリが出るので、ゆっくり竿を立てれば掛る。イトヨリが釣れるポイントで手に持った竿にゴツゴツとアタリがあって、反射的に合わせようと竿を立てて、針が掛らなかったケースが数回あった。私はいつも風で船が流される状況で釣っており、魚がエサにくいついたときに竿を立てたためにエサが急に引かれ、一方魚の泳ぎが遅いため(これは推測)、魚が刺し餌を呑み込み損ねたのではなかろうか。向こう合わせで針掛りするのを待っているほうがいいかもしれない。

仕掛けを底に落として這わせ、竿を立てて仕掛けを浮かせ、再び這わせる。魚が掛ったらゆるめないようにゆっくりとリールをまくだけである。2キロを超えるアマダイのときは引きも相当なものだったが、ハリス3号で一度も切れたことはない。イトヨリは途中からウキブクロが膨らんでしまい、海面ではほとんど浮くだけで、取り込みも簡単である。

船は風がないときは潮に乗って潮下に、風のあるときは風下に流れ、少しずつ動く。仕掛けの位置は船よりも次第に遅れてくるので、道糸を少しずつ出してやる必要があるが、基本的には仕掛けを上げ下げするというだけの、やや単調な釣りである。この釣りは釣り味(アタリや合わせの微妙さ)を楽しむというよりは、美しい魚体(とくにイトヨリ)を見、また食の味を楽しむ釣りだといえるだろう。

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