『総合人間学部報』? 199?/?
  
学力とは学ぶ力


  毎年入試の採点をしていて思うのは、少なくとも物理の問題を見る限り、与えられた制限時間内でよくぞこれだけの分量の複雑な設問を読みとり、やっかいな計算をこなせるものだ、それがものの半年も経たないうちに、ずっと簡単な問題設定でさえ考える力を失ってしまうのは、いったい何なんだよ、ということです。

  そして他学部の先生からは、専門課程に進んだ学生の 「学力低下」 を嘆く声が年々高まっています。すでに言い古された一言で片づけるなら、入試に合格することそのものが目的化し、入学が出発点ではなくゴールになってしまっているということでしょう。

  幸か不幸か総合人間学部では、これから自分が何を専攻するか、1年かけて苦悩しなければならない分だけ緊張感を持続せざるを得ない仕掛けになっていると言えるかもしれません。

  この 「学力低下」 とはどういうことでしょう。何年か前に大学入試センターの先生の研究発表を聞く機会がありました。ある年のセンター試験の日に、すでに1年前に大学に入っている学生を集め、真剣勝負をしてもらうためけっこう高いアルバイト料を払って、それ以外は受験生と全く同じ条件で試験を受けてもらったところ、あきらかに理科や社会の学力が下がっていたということでした。

  あたりまえの結論ですよね。こんなことが 研究発表 になるなんて驚きでした。入試センターで給料をもらっている以上、何か発表しないといけないのかもしれませんが、あたりまえのことを研究費を使って 「データ」 で実証したといいたかったのでしょう。

  受験勉強という異常な学習行動がピークに達したのが入試本番のときですから、こんな「学力」は下がるのが当然です。詰め込んだ知識なんて使わなければ必ず失われていきます。このことでもって学力低下というのは当たらないでしょう。せっかくこういう調査の機会に恵まれたのなら、理科や社会のどういう問題(知識)が蒸発しやすいか、あるいは定着するかまで掘り下げて分析してほしかったです。それこそが高校教育の役に立つ情報であると思いました。

  学力とは文字通り 「学ぶ力」 だと思います。入試問題のように一見何の役に立つのかわからないような知識を含めて、必要とあらば系統的に頭に取り込んでいくことのできる力、これぞ立派な学力、研究職、教育職、医師、法律家...職に就けば誰でも必ず必要となる能力です。

  受験勉強で詰め込んだ理科や社会の知識が入学後どんどん抜けていっても、代わりに新たな質の知識が頭の中に取り込まれているなら、学力低下どころかすばらしい学力向上です。問題は新しい知識を学んでいく力、残念ながらその能動回路がプッツンと切れてしまう人が多いようです。その修復は大変です。あげくの果ては 「おれ、アタマ悪いっスから」、冗談じゃない!気がついてないんでしょうが、学生の発言でこれほど鼻につくことはありませんよ。

  さて、基礎科学科。この学科には 「数理科学」 「情報科学」 「物理科学」 の3専攻があります。とりわけ 「情報科学」の中の「人間情報」、これは優れた情報処理系である人間の様々な認知行動を研究対象とする分野で、学部創設以来ずっと高い人気を誇ってきました。残念ながらその両側の数学と物理、ここにはこの学部の前身である教養部の名残で多数の教官が在籍しているにもかかわらず専攻してくる学生が相対的に少ないという状態が続いています。

  一昔前なら 「ここでも数学や物理をやれるんだ」 と学生が殺到したことと思いますが、歴史の流れはいたし方ありません。もちろん数学や物理をやりたいという人は大歓迎ですが、私自身、これからは生命科学・環境科学・人間科学、そういう分野に優秀な人材がどんどん進んで行かなければ人類は滅亡すると信じていますから、この状態に全く悲観はしていません。

  それよりも、数学的思考はあらゆる分野で必要とされるし、自然を理解する上で物理学は基本です。せっかくの恵まれた学部の環境をあらゆる分野の人に活用してもらいたい、つまり学部共通の専門基礎として、あるいは高度な教養として 「総人の連中はめっぽう数学・物理に強い」、いろんな分野をめざす学生どうしの切磋琢磨の結果として、諸君がそういう定評を得ることができるように役立つことができればいいと思っています。